08.名前を呼んでもらえる幸せ 名前は、人が一番初めに受ける祝の形である、と言う。親に因っては生まれる前から名前を呼ばれる人間すら存在する。それは、今私の目の前で、私の名を呼ぶ存在もそうだった。 名前は存在を固定する。だから奴はいくつもの名前を持つに至った。生きるのに必要なだけ、名前を作り纏うのだ。だが、奴の母親が奴に付けた部分だけは、どうしても捨てきれないでいる様である(或は捨てきれないのは名ではなく、その名を呼ぶ者の方をこそ、だろうか) みずのおと。 もちろん、私にも名前はあった。だがそれも、昔の話だ。 生まれは知らず、だが何度も死んだ。あらゆる業苦を味わい辛酸を嘗め尽くして死ぬ、それが生み出す力を無くし人を地獄へ運ぶ魔女の名の対価だった。 いつしか私の名は忘れられ、私はC.C.になった。 それで良い。 元々、特に大事にされるような名前でもなかったのだ。 ―――どうせ一度は自ら捨てた名前なのだから。 そう思っていた筈だった。 C.C.と呼ばれることに不満はなかった。ずっと。 自ら名乗り、纏い死に逝く名として、C.C.という名は楽だった。無機的なコードのように、情念など孕む余地のない機能的な名前であると思っていた。 だが、今こんなにも、捨てた筈の名前が愛おしい。 崇められ、次の瞬間には地に踏み付けにされた、卑少な詐欺師の女の名前だ。 それをこんな風に呼ぶ奴は未だかつて存在しなかった。 「 」 C.C.は初めて、昔捨てた名を惜しいと感じた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20080228 ブラウザバックでお戻りください |