捩れた世界の、嘘











04: 琥珀に染まるを見た

 松脂のようにどろりとした質感のそれは、肺腑の小さな嚢を満たし、収縮を妨げ、緩やかに呼吸を奪って行く。

 蜜に浸かる蜂の巣のような。自分の生み出したものに塗れ、息の根を止められる。女王蜂だとて、まさか自分の子が集めて来た餌に牙城が奪われるなど考えはしないだろう。
 ブリタニアはそういう国だ。
 子が親を追い落とし、弟が兄の命を奪い、甥が叔父を弑逆する。それが罷り通り、そうあるべきと教えられる皇族の、或は貴族の子息を預かる高等教育学府は数十年前より今まで、諸外国の教育機関から批難の的となっている。それでも猶一向になくならない伝統は、ブリタニアの圧倒的な国力と戦力の証だ。

 
 
 そして、そんな権力闘争から自ら身を引いた、子供が一人。


 子供の継承権返上のお陰で空白となった皇位継承権17の位は、18位であった人間によって直ぐさま埋められた。108人からいる皇妃や側室、その全てに子があるわけではない。それでも一般貴族などよりも遥かに多い子供の数は、国庫の圧迫の原因にもなっていた。

 皇帝は用無しの子供を人質と言う肩書を付けて帝国から追い出した。体の良い厄介払いだった。
 だが、人質という身分さえ唯の目くらましだ。ブリタニアは元皇子を送ったその国を裏切り、掌を返して進攻を開始した。その子供は、そのまま歴史の闇に葬られる筈だった。

―――そう、子供が、唯の子供であったならば。



 子供は手傷をおわされながらもブリタニアの刺客から逃げ延び、生死不明のまま戦火に消えた。損傷の激しい多くの遺体の中に紛れてしまった場合、それを特定するのは事実上不可能だ。また、極秘裏の暗殺は公に出来ない故に人海作戦も効かない。
 だが、任務の失敗は死を意味する。

 任務完遂、第11元皇子殿下の死亡確認。

 皇帝にロイヤル・プライベートを介した報告が入ったのは、決行予定翌明け方の事。


―――後に添付されて届けられた、黄褐色に沈む濃紫の眼球一つを残して、神聖ブリタニア帝国第11皇子ルルーシュ・ウ゛ィ・ブリタニアはその存在を抹消された。









 トレーラーの一室を改造した作戦室で、机上に広がる光点の目まぐるしい移動を視界に入れつつ、ゼロは作戦の進捗を冷静に眺めた。
「ゼロ!A―6から9までのナイトメアの一掃を完了、C地点に向かいます!」
「あぁ、」
「三番隊より通信、目標の出現を確認、これより戦闘を開始します」
「わかった。六番隊に打電、任務完遂後、速やかに周囲を敵に悟られずに包囲しろ。私も無頼で出る」
「!ご自身でですか?まだ危険です!」
 総司令であるゼロの身を護る役目を帯びた零番隊隊長の悲鳴が指令室に響き渡る。

「指し手が安全な場所にいては示しがつくまい。それにポイントAの制圧で勝敗は決したも同然だ」

「しかしッ!」
「心配か?カレン」
「それは…」
 カレンは口ごもった。正直な所、判断が付かない。ゼロのナイトメアフレーム操縦技術は一般人よりは上、とは言え、カレンには劣る。そんな彼を果たして前線に立たせて良いものだろうか、万が一…
「下らないことを考えているな」
 思考を寸断する強さでゼロの言葉がカレンの耳に割り込む。

「心配ならば、お前が私を護るが良い。お前に預けた紅蓮弐式の、今こそ真価を問うべき時節だ」

 それは、遠回しな誘いの言葉に外ならない。

「…御意。紅蓮は剣となり盾となって、貴方をお守り致します」

 身命を賭して。

 言葉にしなかった一言は、けれどモニター越しに、ゼロには伝わったようだった。笑みを含んだ美声が、真面目だな、と呟いた。
「お前に死なれる訳にはいかない、我々の悲願はその先にある事を忘れるな」



(―――漸くだ)
 漸く。
 態勢が調う。

 ブリタニアに叛旗を翻す、その足掛かりとしての、まずはエリア11の開放。
 エリア11は、7年前に奪われた名前を取り戻す。

 整備士の視線を集めながら工廠を抜け、無頼に乗り込み通信の設定を確認する。
 そこまでして初めて、視界の邪魔になる仮面を外した。

 陽に当たる事を忘れたかのような白皙の美貌を覆う絹糸の如きしなやかな黒髪、薄く色づく唇は少女めいた容貌を裏切るように冷たく口角を上げる。
そして、完璧な造作の中で一際異彩を放つ左右で色の異なる瞳は、けれど美しく光を弾き強い意思を宿す。

 深緑は穏やかさを宿し、紫紺は深い叡知を秘め。だが時折抑え切れないかのように妖しく禍々しい光が明滅する。
 ゼロを人でないものに変えた力。朱の鳥。


 だが後悔には値しない。


 ハッチが開き、明け方の空がモニターに映った。破壊された街に、朝日の洗礼は隔てなく与えられ、塵一つに至るまで鮮烈に光を纏う。

 ゼロは右の眼を掌で覆った。
 葉が朝露を零すように、不意に均衡を失い流れた涙を掌に感じ、あぁ、と満ち足りた溜息を漏らす。

 やっと。


「やっとお前に『日本』を返してやれる」





―――スザク。




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20071121


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