捩れた世界の、嘘














―――これが、すべてのはじまり






 城の内部から火の手が上がった。ブリタニアに怨みを持つものは世界にごまんといる。
 今までにも同じ様な出来事は何度もあったのだ。だが、今回は火の廻りが尋常ではない。犯人が余程優秀なのか、それとも複数の人間が入り込んでいるのか。普段であればすぐに取り押さえられる所が、今日に限っては乾燥した空気と、そして都合の悪いことに夕方から吹き始めた風に煽られた火勢いは強い。行く先々で炎に行く手を阻まれ迂回を重ねていくうちに、避難を急ぐ人の流れに遭遇する。

 城の中のあらゆる人間が―――料理人から役人からメイドから蔵書室の係員から、とにかく全部署の人間が、入り交じり駆け足で絨毯の上を走る。幾分冷静さを残していた人間も、このばたばたと走り抜ける人の群れに遭遇するとつい走り出してしまう。
 そんな様子を傍目に、スザクは主を探した。ブリタニア人には珍しい黒い髪だ、この城の中には数えるほどしかいない。
 群れの向こうに主を見付けて、スザクは走り出した。
「ルルーシュ様」
 人の流れを掻き分け、人々とは反対に走るルルーシュの腕を掴んで振り向かせる。
「何処に行かれるんです」
「犯人を挙げに」
「一人で行くおつもりだったんですか」
「だからおまえを探していたんだ」
 呆れたように吐くスザクに、ルルーシュは悪びれた様子もなく笑いかけた。
 だが、その笑顔が不意に曇る。深夜と言う時間だったが、照明は煌々とスザクの真白の装束に散る血の赤を照らし出していた。
「怪我をしたのか」
「いえ、犯人に遭遇したと思しき怪我人を外へ運びました。その時に着いたのでしょう、」
 スザクはすぐに視線に気付いて血の付着した右袖を左手で隠した。
「それより、殿下は早くお逃げ下さい。」
「だが、逃げると言ったって、こっちは」
 反対方向だ。
 人々の逃げる方向に背を向けて、スザクはルルーシュの手を引いて走り出した。
「待て!」
「走りながらお聞きします、何ですか」
「何故こっちなんだ?火の手は北から上がった。南に逃げるのが…」
「だからですよ」
「、」
「相手の狙いは城内の攪乱です。人の多い場所を狙って火を放った事からもそれは明らか。そしてもし殺戮が目的なら、人が多く集まる場所に行くなんて言語道断です」
「しかし、では、」
「貴方は逃げなくてはいけません。例え皇族が一人のこらず絶えようとも、」
 僕が貴方を守ります。

 スザクは振り向かなかった。ただ、ルルーシュの腕を掴む掌に力を込めた。主は、何も返さなかった。

 十字に交わる廊下を抜けようとした時だ。右手の通路から、料理人の白い厨房服を着た男が飛び出してきた。スザクは咄嗟に背後にいた主と繋いでいた左手を引き、進行方向側の通路へ突き飛ばした。
「スザクッ!」
「っう、」
 金属同士の擦れ合う高い音が響いた。咄嗟に抜いた剣で一刀目を受け止め、勢いのままに払った。距離を取ってから、逸って大上段に振りかぶられた剣を避けたスザクが右に逃れた所で、横凪ぎに転じた剣先を己の剣を滑らせて上へ跳ね上げ、がら空きの胴に踵を蹴り込んだ。もともと大して大柄ではなかった敵は吹っ飛び、運悪く廊下の角に頭を打ってしまったらしく、がくりと首を垂らして動かなくなったが、次の瞬間、廊下の遥か向こうに新手が二人、迫ってくるのが見えた。
「ルルーシュ様、」
 立ち上がったルルーシュの腰をちらと見て、スザクは自身の腰から、防御用のナイフよりも僅かに大振りの小剣を持たせた。
「先に外に、森に逃げて、」
「だめだ、臣下を残して逃げる事は」
「私は貴方の騎士です。貴方をお守りするのが私の使命、貴方は皇帝となりこの国を変えると私に約束しましたね」
「…っ、だが、一人では」
「貴方の騎士を見損なわないで下さい、」
 こんな時だと言うのに、スザクの口許は自然と上がる。
「ここは私が食い止めます、すぐに追い付きますから、貴方は全速力で走ってくださって構いませんよ」
 からかわれているとわかったのか、ルルーシュが僅かに目を吊り上げた。 だが、先程までの戸惑いの揺らぎは消え、しっかりと頷いた。
「わかった。早く追い付いてこいよ。無能な騎士なんてこっちから願い下げなんだ」
 いつもの調子に戻った主にスザクはにこ、と微笑みかけた。ばたばたと、二人分の足音がスザクの背後に迫っている。
「気をつけてね」
 口調柔らかく、スザクの手がルルーシュの肩を押した。









 森へ出て、ルルーシュはいつしか神域の湖まで来ていた。ここは代々の皇帝しか来ることを許されていない。皇帝以外の人間には常に閉じられた場所で、湖、―――むしろ泉と呼ぶに相応しい―――話だけしか聞いたことはなかった。


 ルルーシュがたどり着いた時、そこには先客が居た。
 月光は隠れ、光源は星明かりしかない夜だと言うのに、その女は自ら輝くように、強烈な存在感を放っていた。
「力が欲しくはないか」
 ルルーシュは女と対峙した。
「…力」
 ルルーシュはこの不自然な先客に向かって嘲りを放った。
「必要ない」
「本当に?」
「くどい!それよりお前は一体何者だ!」

 誰何を浴びせる。そうだ、力なんて必要ない、力は既にこの手にある。
(スザク)
 ルルーシュはナナリーを守る。スザクは故国を。
 そのために、覇権を。

 だのに、―――






 その時だ。
 ぱぁん、と。
 酷く軽く、そのくせ響く音が森を揺るがした。
 音は、断続的に、しかし途切れる事なく続く。

 がさがさと茂みを掻き分けて、飛び出して来た白い影はスザクだった。
「スザク!」
「ルルーシュ様!?何故こんな所に、」
「それより何だこの音は、」
 駆け寄って来たスザクの後を追うように、赤い髪の女が飛び出してくる。
「待て、枢木スザク!」
 細身の女だ。まだ幼い。見たことのない、ぴたりとした生地の服を来ている。
「騎士団の、ゼロの仇!」
 茂みを抜けた時に付いたのだろうか、頬や額を裂き、流れる血は彼女の凄惨な雰囲気に相俟って悲壮な覚悟と悲嘆の涙に見えた。

 金属音とも違う音がして、手の中の黒く輝くそれが構えられる。これもまたルルーシュが見たことがないもので、けれど先程の音の発生元がこれであるとすれば、ルルーシュは実験段階のこれと、似た物を見せられたことがあった。
 ルルーシュが見たそれは、木と金属で出来ていて、金の優美な塗装が成されていた。原始的な方法で着火し、そして。
 間違っても人に向けて良いものではなかった。

「よせ!」

 制止の声も虚しく、躊躇なく引かれた引き金は、耳をつんざく轟音を立てた。身体に響く衝撃をやり過ごし、思わずつむってしまった目をルルーシュが開くと、目の前には、スザクが立っていた。スザクは何故か硬直したように動かず、しかし一度大きく痙攣すると、ゆっくりとルルーシュに向かって倒れ込んで来た。

「スザク!」

 スザクはルルーシュに被さる形で倒れ込んで、ルルーシュを撃たせまいとするように抱え込んだ。じわじわと熱い物がルルーシュの胸に染み込み、ぞわりと総毛立つ。
「スザク!しっかりしろ!何やってる!」
「は、は、何って酷いじゃ、ないですか、」


 スザクは尚もルルーシュを抱え込んだ。
「じきに、仲間が、ここへやって、来ます。僕と同じ、"名誉"の、」

「何言って…、」
「や、くそく、だったでしょう、っ取り返してくれる、て」
 スザクは、ルルーシュの間近で笑んでみせた。鼓動が全身に響くように、熱く痛む。身体の芯は熱いのに、末端は冷えていくなんて。遭難した事はないけれど、もしかしたらこんな感じなのかもしれない、とスザクは思う。
 後悔は有り余るほど。しかし敬愛する主君を守り切って看取られるならこれ程名誉な事はない。
 ―――だが、その為には彼を仲間に引き渡すまで守らなければならなかった。
「彼女は、」
「おい、」
「僕に怨みがある様でした、僕は知らない所で彼女を、」
「おい、やめろよ」
「罰しないであげて、」
「わかった、わかったから、もう…っ!」

 遠くで、スザクの名を呼ぶ仲間の声がした。
「綺麗な、め」

 スザクは気力を振り絞るようにして手を延ばした。
 頬に人差し指の背を滑らせる。温かい。

「やくそく、」
「スザク、そこをどけ、」

「貴方を」
「命令だ、」

「信じて」
「っ、めろ、おい!」









「―――あいして」

 あぁ、もう眼が見えない。もっと、声を。

「スザク!!」
 もっと呼んで、






























「スザク?」


「なぁおい、スザク!」













































































 ルルーシュは渾身の力を込めてスザクの身体を横に押し、傍らに仰向けにさせた。
 眠るように安らかに、僅かに微笑んでいるようにも見える。

 だらりと落ちた、まだ温かい手を取った。握り返されることもなく、鼓動を感じることもない、手。自分よりも長く、多くの危機を乗り越えて来た、ごつごつとした大人の手。
 スザクの、生を侵す儀式を行った遠いようで近い日を思う。あの時は、ただただ高揚していた。通じ合い、手に入れた騎士という存在に。心を繋いだのは、それからしばらく経ってからだった。せせら笑うような態度を取られ、頭に血をのぼらせた。子供だった自分を、子供だと気付かせたのはスザクで、道を示してくれたのもまた、スザクだった。

 あの時は、手の甲に口付けを落とされた。
 自分の手をそっと奪った手は、今血に染まって自分の手の中にある。
比べるとまだ、一回り大きな、スザクの手。自分の指先は、僅かに血が着いている。まだ子供の手だ。

 ルルーシュはスザクの掌に口付けを落とした。汚れた指先が、ルルーシュの顔を汚したが構わなかった。むしろもっと血に塗れるべきだ、と思う。

 スザクの血を、生の証を侵害する権利など、自分以外にある筈がない。
 凍り付いた情緒が、沸々と沸き立った。






 カレンは愕然とした。
 仇敵を倒し、昇っていた血が下がって来たのか。倒れた枢木スザクがかばっていたのは
「ゼロ?!」
 否、ゼロは纏った虚の名前。本当は、
「ルルーシュ…?」







 ゼロが討たれ、黒の騎士団が解体した。ゼロを撃ったとされる枢木スザクはそれまでの甘さを捨てたように容赦なく敵を屠った。
 だが、ゼロが撃たれた現場にいた筈のカレンはその瞬間の記憶を失っていた。残された現場に散る、ゼロの血痕…血溜まりだけが、ゼロとスザクがその場に居た証拠だった。
 騎士団に戻ったが、求心力を失った団員はバラバラに動き始め、遂に瓦解した。
 そんな時、カレンの前に現れた、V.V.と名乗る少年。C.C.と似た名前を持つ彼は、枢木スザクが憎くはないか、とカレンに問う。

―――是。

 答えた瞬間、カレンはブリタニアの皇宮――通称太陽宮に居た。

 太陽宮の象徴たるレリーフを見、その向こうに走る枢木スザクの姿を見た途端、カレンの頭から冷静さは失われていた。灼熱に妬ける鉄が、血の代わり全身に流れているような。
 気付けばスザクの跡を追い、だがスザクはゼロを、ルルーシュを庇い―――。

「え?」




「悪ふざけが過ぎるぞV.V.」
 魔女は虚空に話しかけた。不意に空間が揺らぎ少年が現れる。

「悪ふざけなんかじゃないよ、これが運命なんだ」
「は、運命だと?」
 魔女は小馬鹿にしたように吐き捨てる。
「運命は捻れつつ螺旋を描いて繋がっている。君だって、今また此処にいるのは「彼」に期待しているからなんでしょ」
 少年はうっすらと真意を読ませない笑みを浮かべて魔女を見た。
「…ふん」
 魔女は腕を組んで少年から顔を逸らした。







「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。もう一度問おう。―――力が欲しくはないか」

「欲しい」


 問われて、再び返る言葉にもまた躊躇はなかった。

「世界を変える力か」
「違う。欲しいのは、世界を壊す力だ」

 暗い闇に浸る紫水晶が瞬間、不可解な光を閃かせた。
―――久しぶりだな。


 C.C.は声に出さず呟く。
「ならば手を。」

 ほっそりとした白い掌に、血に濡れた華奢な手が重ねられた。
「これは契約だ」
「わかっている」


 強い意思を宿した靭い瞳を一度閉ざし、再び開いた時









 魔王が、息を吹き返した。









(あいしていますだからどうか、)








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20071222





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