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「それじゃあ、ルルーシュをよろしくお願いします」
「あぁ、どこかの金持ちの変態に見つかるか、ルルーシュがおまえを忘れる前に帰ってこいよ」
僕がこの世の終わりの様に感じながらお店に背中を向けると、ルルーシュの小さな足音が背中に追い縋るように着いて来た。
店主の憎まれ口(それとも単なる軽口のつもりなのかな?)の意地悪い言葉は僕の心にぐさぐさと突き刺さって、傷心の僕はふらふらと歩いていたから、ルルーシュが僕を心配するのも道理かも知れなかった。けれど、今、今ルルーシュに触れられたら僕は―――!
「ルルーシュ!」
びく、と震えてルルーシュが僕の背後、三メートルのところで止まったのがわかった。僕の足なら約5歩、ルルーシュの足なら倍以上のおよそ15歩分の距離だ。それだけの距離を保たなければ、僕はルルーシュから延びる、まるで磁力のような力に引き寄せられて、ルルーシュから離れられなくなってしまうだろう。
だから、僕は重い口を開いた。
「三日で帰ってくるから。」
行ってきます。そう呟いて、僕はコールタールがブーツの靴裏に付着しているのではと本気で考えてしまうくらい、重く進み難く感じる歩を進め、最後には駆け足になって車に飛び乗った。車の運転席をばん!と閉めて一息吐くと、僅かなルルーシュの香が漂っていることに気付く。そうするとまた物寂しさやらルルーシュ恋しさが沸き上がって収拾が着かなくなりそうになったので、僕は窓を全開にして、職場への道則をひた走った。
そもそもの始まりは、上司の一言だった。
「視察に行くよ〜」
「は?」
「どこにです?」
セシルさんと顔を突き合わせてランスロットの調整具合と結果を報告しあっていた僕は、特派のトップでありランスロットの生みの親でもあるロイドさんの言葉に顔を上げた。
「富士山のー、お膝元のー、河口湖近くに」
「いつですか?」
「んー、明日?」
「明日って…」
何か思い当たったんだろうか、セシルさんがロイドさんをじっとりと見つめた。
「サクラダイトの分配会議があるこの時期に?」
「何か起こりそうな予感がするデショ!」
ふふふ、とロイドさんが楽しげに笑う。僕らが開発している嚮導兵器は世界初の第七世代ナイトメアフレームとは言え、未だ出撃、戦闘経験はない。ユフィの姉君でありこのエリアの総督でもあるコーネリア皇女はブリタニアの掲げる能力主義より血統を重んじるタイプなので、元ナンバーズである僕がパイロットを勤める特派にはあまりそういった命令が下ることはなかったのだ。僕は申し訳ないと感じると同時に、酷く安堵もしていた。だって、出撃しなければ人を傷付ける事も殺すこともないのだから。
勿論、僕だけじゃない、セシルさんやロイドさんは元々大学の研究室の出らしいけれど、きちんとした軍の階級も持っている。だから、服務規定も守っているし、いざとなれば人を殺すことも辞さない覚悟はある。
だけれども。
…一体誰が、進んで人の生死に関わりたいと望むだろう。
実際、兵器開発の部門にいて何を甘い事をと思わないでもない。けれど、例え建前でも、人を殺す武器よりも、人を守る機器としての側面を重視したいと思うのは、やはり甘いのだろうか。
富士山は、今や世界的資源となった超電磁誘導体、サクラダイトの埋蔵量世界一を誇る山で、日本はこの山があるお陰でブリタニアの被支配を受ける事になった。
優美で清澄な姿を見せていた霊峰も、サクラダイトのプラントが設置された今では、その麓の半分以上がこそぎ取られ、山紫水明、かつては緑豊かと評された富士の姿はそこにはなかった。テレビ等で時々姿は見ていたけれど、実物を見るのはまた違う悲しさが込み上げて来た。蹂躙されるエリアの悲哀がそこには目に見える形で存在している。そんな風に感じた。
特派の唯一の移動手段であるランスロットを載せたトラックは富士の麓、サクラダイト分配会議が行われる河口湖コンベンションセンターホテルの近くに停車した。各国から主要人物が集まるこの会議には、コーネリア総督自ら周辺の警備を指揮しているようで、ナイトメアの姿も目についた。
初日は半ばピクニックのような、もしくはキャンプのような雰囲気で、僕らはトラック付近での待機を命じられた。動きがあったのは二日目だ。テロリストからの犯行予告が政庁に届き、そしてコンベンションセンターホテルはテロリストに占拠された。
内部にいた主要人物を人質として。
二日目の夜、膠着状態に陥ってから既に6時間が経っている。満月が昇った21時、僕はランスロットのパイロットシートでセシルさんと対実戦の最終調整に入っていた。
テロリストは日本開放戦線と名乗っている。それは、元日本の戦争急進派がブリタニアに捕まらないまま地下に潜った軍部の集団だ。
けれど、彼等の要求ははっきりとはしなくて、こちらも要人を人質に取られているから下手に手出しは出来なくなっている。
湖の中に建てられたコンベンションセンターホテルに侵入する経路は二つあって、一つは水面近くに作られた正門とそれに連なる橋だ。それ以外に放射線状に架けられていた橋は全て爆破され落とされている。腐っても元軍人、と言うところか。地上軍はこの残った一本の橋を死守すれば良いと言う訳だ。
そしてもう一方の経路は、地下にある。湖の底を走る物資搬入用の湖底トンネル。こちらは巨大なコンテナ通路で、ナイトメアも数機なら余裕で動き回ることが出来る広さがある。最初、ブリタニア軍はこっちからナイトメアフレームを送り込み、ホテルに侵入を果たそうとしたのだけれど。
「敵性ナイトメアからの攻撃、カグウェル卿指揮下三機、ロスト!」
軍内で統一された無線から、地下道の先に居る敵性兵器の存在が明らかになった。そして。
僕は計器に目を走らせた。セシルさんは隣で忙しなくキーボードを操作していて、その早さはいつも通りのタイピングでセシルさんの冷静さを物語っていた。僕はと言えば、戦場の緊張感とは無縁で、不思議な位心は落ち着いていた。死ぬことは怖くない。従軍する最初の数年の間に徹底的に叩き込まれたそれは、僕の心に奇妙な凪の空間を作り出した。
けれど、「それ」を見つけた途端、僕の心は漣を立てた。
「セシルさん、あそこ」
僕はランスロットのファクトスフィアを望遠にした。ピントを合わせると、ホテルの屋上、恐怖に引き攣る男性の姿と、彼を突き落とす軍人の姿。
「まさか人質を―――?」
「やめろ、」
僕は叫ぶしか出来なかった。
また、目の前で人が死んだ。僕は何も出来ないまま。
どうして、人は人を傷付けずにはいられない?
どうして、簡単に人の命を奪ってしまえるんだ。
僕の目の前が赤く染まった。比喩ではなく、これはランスロットのファクトスフィアが捉えるトンネル内の映像だ。
「作戦開始まで、あと600秒」
ヘッドセットから、セシルさんの声が聞こえる。いつもと代わりないように聞こえて、その実包み込むような優しさが感じられる。案じられている。記憶にはないけれど母さんの様だと言ったら叱られてしまうだろうか。
このトンネルの先には、先刻三人の軍人の命を奪った兵器を駆る敵が居る。
僕はその敵を倒し、ホテルの基部に当たる支柱を破壊する。
実弾と高出力レーザーを使えるランスロットでしか、この二つの任務をこなす事は出来ない、と言うのは建前で、本当はこれ以上、自国の民であるブリタニア正規軍を成功率の低い作戦に借り出すことはないという、コーネリア総督の考えだと思う。僕はイレブンで、名誉ブリタニア人とは言えナンバーズ。使い捨てられる、命だけれど、ロイドさんには勝機が見えている。だから命令にも喜々として従ったのだ、と思う。セシルさんは難色を示していたから、きっと普通の人からしたら、眉を潜めてしまうような数字なんだろうけれど。
僕は不思議と命は惜しくない。
ただ今は、目の前の敵と、何の感慨もなく人質を突き落とした人間がこの先に居る。その事実が僕の心に波風を起こす。
この波風を宥めるにはどうするべきか。
「枢木准尉、作戦内容を再度確認します。嚮導兵器Z-01、ランスロットはトンネル内の敵性ナイトメアを破壊後、ホテルの基部を破壊します。武器はヴァリスを使用、インパクトネームはアンチマテリアル」
「イエス、マイロード」
「スザク君、適当な所で引き換えして来てねぇ」
ヘッドセットの声にもう一人の上司の声が割り込んで来た。
「適当なところ、ですか?」
「そう!」
「…解りました」
僕は返した。明確な指示がない、軍の命令には有り得ないことだ。詰まりは僕の判断に任せる、と言うことと同義、と理解する。
「作戦開始まで30秒、カウントを開始します」
セシルさんの声が時を刻む。5秒を切った時、僕は閉じていた目を見開く。視界に満ちる、暗赤色の光。
「ランスロット、発進!」
進行方向から霰弾銃が発射されても、僕の心に怯えや恐怖と言ったものは浮かばなかった。ただ、燃えるように熱い塊が、胸の奥にあった。人を簡単に殺してしまえる、そんな人間はこの世界に居てはいけない。その時の僕の心理を文字化するなら、おそらくそんな風に表せると思う。僕に躊躇いはなかった。
「セシルさん、ここでヴァリスを使います」
「待って」
何か言いかけたセシルさんの言葉を遮った。トンネル内に響くランスロットのランドスピナーの音に掻き消されて聞こえなかったし、聞こえていても聞かなかった可能性が高い。
僕はその時理解した。僕は殺意の塊だった。どうしようもなく。
「滑走領域が狭まりました、爆風は覚悟の上です!」
この狭さとこの威力なら、例え直撃せずとも、敵性兵器を破壊できる。僕の判断は間違いなく、爆風に押し戻されながらもその力を利用して、僕はランスロットをトンネル内から外へ逃がした。高く上がる水柱、その隙間から、ホテルの基部を打ち抜く。
残弾ゼロ。ビープ音がして僕は僕がすべき事を終えた事を知った。爆風に煽られて、ハーケンで機体を支えようにも近くにあるのは自分が破壊した崩れ行くホテルしかない状態で、ランスロットは姿勢を崩し、背面から落下を始める。崩れたホテルの向こうに、真ん丸に太った月が覗いて、僕は無意識に手を延ばしていた。
ランスロットの装甲は流石で、ロイドさんの化け物を見るような「気持ち悪ーい」と言う甚だ不本意な言葉を右から左に聞き流して、セシルさんの「本当に心配したのよ!」と言うやはり母さんの様な小言に頷きを返しながら、医師により右背面肋骨、下から三本の単純骨折と後頭部のこぶと診断された僕は翌日にはトウキョウに戻った。
肋骨の怪我はとにかく安静にするしかないとの事で、三日の休暇をもぎ取って、僕はルルーシュの元へ向かう。
けれど、店の前まで来て僕の身は竦んでしまった。
時刻はもうすぐすべてが夜の闇に沈む逢魔が刻。繁華街のネオンが輝き始め、それは僕にトンネルの暗赤色を彷彿とさせた。
僕の中に、あんなに強烈で凶暴な熱があったなんて、あの時まで僕自身知りもしなかった。
僕は馬鹿だけど負けず嫌いな性質は確かにあって、けれどそれは他人を害す事に躊躇いを覚えないと言う類のものじゃなかった。僕は僕自身が他人を傷付けるのを良しとしないと確信はしてる、けれど、僕が手に掛けた彼等は僕じゃない。僕は僕が死ぬ事に恐怖は感じないけれど、自分の正義を人に押し付けて命を奪って、そうしたら僕と他人の境界線は何処にあるんだ?
ぞくりと背筋が粟立った。立ち止まる僕を通行人が邪魔そうに見ている。彼と僕の違いは?
僕は正常か?
他人との境界線が見えないまま、
僕は彼に触れても良いものか?
そんな迷いが芽生えて、頭を冷やそうと踵を返した時だ。
「あ、こらまて!」
がらんがらん、とドアベルのけたたましい音と店主の叫び声がして僕は足を止めた。すると、膝の辺りにどしん!と勢い良くぶつかる柔らかい感触。
僕は振り返った。
足に手を回して、躊躇いなく僕に身体を預けている彼を見て、僕は力が抜けた。
僕は彼と同じじゃない、いっそ同じなら離れ離れにならなくて済んで万々歳なんだけど、残念ながらそんな都合の良い事実はなくて。
けれど彼は彼自身の意思で僕を見つけて、信頼を寄せてくれて、身体を預けてくれる。
それ以上の関係があるだろうか!
僕は今までさして感じていなかった脇腹の痛みが急に増すのを感じた。やっと世界に現実味が帰って来た。ルルーシュの芳しい香が立ち上る。僕は言った。
「ただいま、ルルーシュ」
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20080515
出張 編
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