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「スザク!」
いっそ寒々しい程の近代設備に覆われた特派の研究所、常にはない女性の溌剌とした声が響いて、そしてそれが僕を呼ぶ声だと気付いて僕はランスロット―――目下開発中の試作嚮導兵器の名前だ、裏切りの騎士の名前を付けるなんて名付け親はどうかしてる、上司だけど―――のパイロットシートから顔を出した。
僕は今日のノルマを時間内にこなそうと、ヘッドセットを付けて上司であり特派唯一の女性である管制のセシルさんと忙しく調整の有無を確認していたし、ただでさえランスロットの装甲は特殊合金で丈夫に作られているので(その丈夫さは通常のレーザー等では焼き切ることも出来ないらしいと聞いた、脱出装置が付けられないからだとも。)ユフィの呼び掛けを最初の数回、無視してしまっていたらしい。顔を外に向ければもうそこにはユフィが居て、僕は慌てた。
「こ、皇女殿下?!今日おいでとはつゆしらず、ご無礼を…!」
「嫌だわ、スザクったら。今日の私は公人ではないの。唯のユフィです。」
くすりと笑う少女は、この国の皇女殿下にしてエリア11の副総督でもある。いくら彼女が自分は私人だといっても、それを鵜呑みにするほど僕は単純じゃない。だって、ここに来るまでには相当な数のセキュリティを潜り抜けなければならない筈だし、そもそも普通の女の子が入れる場所じゃないんだ、ここは。
けれど、ただの女の子として扱ってほしい彼女のお願いもわかるから、僕は力を抜いた。
「どうしたの、ユフィ」
「私があなたを訪ねてはいけないのですか」
「いけないなんてことはないよ、けど」
ユフィとは、奇妙な縁だ。そもそも出会いから普通ではなかった。とある出来事から冤罪で裁判にかけられそうになっていた僕はなんとか自身の潔白を証明した。帰り道、まさか空から女の子が降ってくるとは思わなかったし、まさかその女の子が副総督、皇女様だなんて想像すらしてなかった。
けれど、彼女は僕にゲットーの案内を頼み、僕は彼女の要望をかなえた。そんなおかしな縁で始まった僕らであるし、その大部分はユフィの浮世離れした雰囲気にあると思うのだけれど、一筋縄ではいかない女性である。なんて、セシルさんと言い、店主と言い、僕の周りの女性はみんな一筋縄じゃいかない人ばっかりのような気がする。
ユフィのピンクのふわふわとした髪の毛を見て、次に、じっと視線を注いでくる彼女の眼と視線を合わせた。あぁ、彼女の瞳も紫だなあ、でもルルーシュの方が色が濃くてはっきりした紫がきれいだな、なんて無意識に比べて満たされてしまう自分に気付いて、僕は不敬罪で懲罰ものだぞ、と自分を戒めた。そしてルルーシュの事を頭から追いやる。
近頃、仕事の事かルルーシュの事しか考えてないような気がする。元々キャパシティーのない人間なので、一つの事に夢中になると他が目に入らなくなる傾向が僕にはあるのだけれど、ルルーシュの事を思い浮かべると他がさっぱり抜けてしまう。プランツの力って凄い。貴族の嗜好品って言うのは、仕事をしなくても良いような僕からすれば天上人が日がな一日プランツと戯れる事が出来るから、と言う意味もあるんじゃないか、なんて最近の僕は考えてる。
僕は首を振ってルルーシュの事を頭から一時退出させた。眼の前にいる人を放って置くのは相手が誰であれ失礼だ、と思う。でもユフィは折角振り払ったルルーシュをまた僕の脳内に連れ戻してしまった。
「スザク、良い匂いがしますね。お花の香?」
「そうですか?」
「ええ、とても良い匂い。何て言う花ですか?それとも香水?」
どなたかの?レディにあるまじき率直さで顔を寄せ、香を特定しようとするユフィに苦笑を滲ませて自分でも匂いを嗅ぐ。正直僕は、ユフィから香る彼女の香水が狭いコクピットの中に広がる方が気になったのだけれど、混じる香の中に見知った香を見つけて、ああ、と合点がいった。
「花ですよ」
ルルーシュの香だ。ルルーシュはプランツで、植物だ。僕も最初は気付かなかった。と言うのもルルーシュが香を発するのは波長の合う人間―――詰まる所僕だ―――が近くに居る時か、感情が昂揚した時で、どちらの場合も僕が側に居る時が圧倒的に多い。だから、僕自身はどうも香に鼻が慣れてしまうみたいなのだ。
僕は不思議そうな顔をするユフィにもう一度説明した。
「家に、花があって。その香だと思うよ」
「どんな花なんですか?」
「うーん、小さくて可愛くて綺麗な感じの花だよ」
普通の感性なら、ここで花の名前なんかを聞くのが正しい会話法だと思う。けれどユフィは持ち前の勘か、それともやはり普通とは一風変わった感性のせいか、それ以上問い詰めることはせず、ではいつか見せてくださいね、と笑った。僕はうん、と頷いたけれど、本当にそんな日が来るのかどうか、わからなかった。それは、単に僕の心の広さの問題なんだけど。
「只今」
僕が部屋に帰ると、ルルーシュがとてとてと軽い足音を立てて迎えてくれる。僕は彼をドレスの裾に気をつけながら抱き上げて、額や頬にキスを落とす。すると、ルルーシュの香が体一杯に浸透して疲れが取れるような気がするから。
けれど、今日は何故か、途中まで寄って来たルルーシュは足をぴたりと止めた。何だか不機嫌そうに形の良い眉を寄せている。どこと無く剣呑な光を放つアメジストが上目遣いに僕を見上げていて、僕は理由も聞かず平謝りしたい気持ちに駆られた。ここまで人の気持ちに配慮したり機嫌を伺う事なんて僕には余り経験がないから、ルルーシュとの生活は僕に足りないものを教えてくれているようにさえ感じる、けれども。
「ルルーシュ?」
今日のこれは先日、名前を呼び忘れていた間の視線より感情的で、ごはんのミルクが熱すぎた時よりもじっとりとした呆れを含んだ視線だった。
なんだ?
僕はルルーシュに目線を合わせようと屈み込んだ。するとルルーシュが更に数歩後ずさる。僕はちょっと、言葉に出来ないショックを感じた。無関心とは違う、初めての明らかなルルーシュの拒絶に僕は涙目になってしまう。
そして、ワイシャツの袖口で涙を拭こうとした時だ。ふわりと、色を付けるとすれば桃色の甘い香が鼻腔を擽った。
「あ…」
僕は納得した。ルルーシュはとかく敏感だ。光や熱、そして味や香。屋内にいるのにまるで太陽がどこにいるのか理解しているように時間を検知しているし、温度変化や湿度変化にも敏感だから、彼の昼間の特等席は窓辺のラグマットだ(光合成をしてるのかな)。そして、皮膚も敏感だから基礎化粧品やバスオイル、果ては洗濯洗剤までプランツ用のものを使っている。臭いが良いものだからつい僕も一緒に洗濯したり、お風呂に浸かったりしてるんだけど。
まぁ、つまり言いたいのは、ルルーシュと僕の服の香は同じ筈であり、多少の体質による体臭があるにせよ基本は同じ筈で。
けれども僕は今、ルルーシュとは全く違う香をぷんぷん香らせていると言うことだ。
どれくらい違うのかと言えば、色に例えると解りやすいだろうか。ユフィの香が春の桃色の華やかさなら、ルルーシュの香は夜空の月、紫紺の空に浮かぶ満月の様にふっくらとした静かで優しい香だ。両者の差は歴然で、現に僕はユフィが近くに来た時、彼女の香が気になっていたのに、こんな違う女性の香を纏って、しかもそれに気付かないまま帰って来てしまうなんて僕ってなんてダメなおっ…
…いやまて、ルルーシュはプランツだ。妻でもなければ恋人でもなく、僕だって夫でも旦那でも彼氏でもない。第一ルルーシュは男の子だ。
ふと我に返ってみるけれど、視線をルルーシュに向ければ爛々と怒りを宿した鮮やかなアメジストが僕を見上げていて、気のせいでなければ、薄いけれど赤い唇がヘの字にひん曲がってしまっている様にも見える。
その顔に出会えば、先の逡巡は即座に吹き飛び、また笑って貰えるなら土下座でもなんでもして赦しを請いたくなる自分がいて。
…けれどもそれでは余りに僕は情けない男だ。と言うか、ルルーシュにもそう刻まれてしまうのは非常に不本意で頂けない。なので僕は、
「お風呂、先に貰うねっ!」
横歩きにバスルームへ移動し、着ているものを全て洗濯槽に投げ込み、夜の時間帯を省みず洗濯機をまわした。
苦情が来ても構うものか、と気迫を漲らせたせいか否か、苦情は来なかった。そして、お風呂場に乱入して来たルルーシュ
と結局は一緒にお風呂に入って、さっき怒らせてしまったお詫びに丁寧に丁寧に艶やかな漆黒の髪を洗い上げた。
同じ香に包まれて眠ったルルーシュの寝顔がいつもより安らかに見えたのは、果たして僕の恥ずかしい願望だったのだろうか。
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20080514
嫉妬 編。
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