君に届かない、この手





07. 重


初めて会った時に感じたのは不気味さだった。何だコイツ、肌真っ白。服も白いし、髪も俺より真っ黒い。幽霊みてぇ。
けれど、その目だけは気に入った。何物にも屈しない深い赤紫色。後になって、それは奴の必死の虚勢だったのだと知った。だけど媚びへつらって、命大事にへこへこお辞儀するような人間だったら、スザクはその後、ルルーシュと関わろうとはしなかっただろう。



「ルルーシュ!今日は川に行こう!」
茹だるような暑さの中、朝一番に思ったことを、土蔵という涼しい場所で生活している兄妹に伝えに行く。
彼等の住み処はエアコンがなくても床に座ればひんやり涼しい夏場には持ってこいの場所だが、夏には夏の楽しみ方をしなければ、という妙な使命感が朝からスザクを縛り付けていた。
土蔵の扉を開けると、ルルーシュはナナリーに食事をさせている所だった。
「何だって?」
「おはようございます、スザクさん」
「おはようナナリー。今日の髪を結わいたのはルルーシュか?少し曲がってる、後で直してあげるよ」「おいスザク、無視する」「そうなんですか?自分ではわからないので…」「ナナリーは可愛いからいろんな髪型が似合うよ。俺もナナリーの髪を弄るのは楽しい」「まぁ、スザクさんたら。」「人の話をき」 「でもリボンと服の配色はルルーシュにしては合ってると思うよ、それ、そのまま使おう」「はい、お願いします」「わざとか?わざとなんだろう!?」
「だからルルーシュ。今日は川へ行こう」
やっと振り返ったスザクは、ルルーシュの問いには答えず、ナナリーの食事のスプーンを奪い取り、着替えの準備をするようにと寝室に追いやった。
「近くに小さな川があるんだ。魚もいて、とても綺麗な所で涼しい。今日はそこに行こう、ナナリー。」
「楽しみです」
「おい、僕は行くなんて一言も」
「じゃあ俺とナナリーで行くから、お前は留守番な」
「馬鹿言うな!お前みたいながさつな奴にナナリーを任せられるか!」
「じゃあお前も来ればいいだろ?ほら、さっさと支度しろ、タオルと着替え」
「…くそ、」
「何か言ったか?」
「何も言っていない!」
ルルーシュはバタバタと音を立てて寝室へ走っていった。本当に元皇子様なんだろうか。少し疑わしくなる瞬間だ。
(まぁ、変に世間知らずではあるけど)
「スザクさん、」
「なに?」
くすくすと笑いながらナナリーが話し掛ける。
「あんまりお兄様を虐めないであげてくださいね」
「わかってるよ」
笑ってスザクは答えた。
「でもなんか、ルルーシュ見てるといじりたくなるんだよなぁ」
「お兄様、多分泳いだことはないと思うんです。庭には、小さな水路位しかありませんでしたから。なので、危ないことはさせないで下さいね」
「うん、大丈夫。俺は泳ぐの得意だし、それに川って言ってもそんなに深い所じゃないから。」
「そうなんですか?」
「うん」
「じゃあ安心ですね、楽しみです」
そういって朗らかに笑うナナリーは、目が見えないとは思えない位正確にスザクの方へ顔を向ける。ナナリーの瞳は見たことがないが、きっとルルーシュの目に似た菫色をしているのだろう。
「よし、髪結わき直すぞ!」




枢木神社からのびる車道を十五分ほど歩き、たんぼの畔を通り、土手沿いの遊歩道を遡る。最初は広かった川幅が段々と狭くなるに連れて、遊歩道沿いの緑が迫るようになり、水量も少なくなって来た。涼しさも増してくる。
適当な所で土手を下りて、スザクがナナリーを背負い河原を突っ切る。清水の流れが緩やかで、安定の良い岩に座らせた。靴を脱がせて、水に触れさせる。
「どう?」
「涼しいですね、とっても!」
「だろ?さて、と」
後ろをよろよろとついてきたルルーシュを振り返った(ちなみにスザクがナナリーを背負って来たのはルルーシュのへっぴり腰に不安になったからだ)。
「お前に夏を満喫させてやる」
「は?」
川縁膝を着いて水を覗き混んでいたルルーシュの背をとん、と押す。
「うわ」
小さな声を上げてルルーシュが前のめりになった。悪くない反射で両腕を水面につく。が、撥ねた水がシャツを濡らした。
「…スザク」
「何だ?」
「お前も濡れろ!」
ばちゃん、とナナリーにかからない向きを計算して、瞬時に水を掬いスザクに向かって飛ばす。
「はは、最初からそのつもりだ!」


むきになって水を掛け合い、そのうちに沢蟹やらめだかやらを見つけてナナリーに触らせて驚かせ、しまいにイモリを見つけてしまった所でルルーシュが体力的・精神的に限界を迎えた。
持参したお弁当の昼ご飯を三人でたべ、土手を越えて木の生い茂る森を貫く小道を抜け、ヒマワリの咲く丘に出た。
ヒマワリの花をナナリーに触れさせるのに二人がかりで持ち上げて、花の大きさや背の高さにナナリーが驚いた。ブリタニアの離宮には、小花のヒマワリしかなかったらしく、表には出さなかったがルルーシュも驚いたようだった。
ちょうど良い木陰を見つけて三人で座る。午前中の遊びに疲れたのか、兄妹は安らかな寝息を立てて眠ってしまった。一人眠くないスザクは、暫く二人を見守っていたが、やがて木にたかった蝉がうるさく鳴くのに辟易した後、捕まえてルルーシュを驚かせてやろうと思い、立ち上がろうとした。
すると、くい、と服の裾が何かに引っ掛かっていた。見ればルルーシュが、行くなと言うように捲くり上げたジーンズの裾を握っていた。スザクは再び座り直すと、ルルーシュの手を外させようと手を近付ける。すると、きゅ、とルルーシュに今度は手を握られた。
(子供みたいな奴だな)
寝ている顔を観察した。普段は顔の一部の様にスザクに向けられている眉間のシワがないルルーシュの表情は、驚くほど安らかなものだった。いつもはまじまじと見ることが出来ないルルーシュの顔を間近で観察する。
紫の瞳が見えないのは残念だが、あの目でみられると、何だか平静ではいられなくなる最近の自分に気付いていたスザクには、それは逆にチャンスでもあった。

日に当たったせいで僅かに赤くなってはいるが、ナナリーと同じくらい白い頬。滑らかで傷痕一つない肌。高い鼻に通った鼻筋、扇状に広がる黒々とした睫毛。血行が良くなったのか、いつもは色の薄い桜色の唇が、今は僅かに赤い。そして、少しだけ開いた口元には、真珠のような小さな歯。

(皇子様、か)

いつかの同級生の罵倒の言葉を思い出す。おんなみてぇなかおしやがって。
(お姫様、)
でも通りそうな、小作りな全て。
少し渇いた唇が気になって、ふと思い付き、水筒の水で指先を湿らせて唇に押し付ける。
「う…」
歯が指先に触れた、と思うと、
「!!」
舌、が。
指先に触れた。
それを理解した途端、スザクはばっと手を引いた。頬がかっと熱くなる。
(え、おい)
嘘だろ、と思う。なんでこんな動揺するんだよ、俺。犬に嘗められたようなもんだろ!
いくら言い聞かせても、心臓の疾駆は止まらない。
どうしよう。

キス、したい。


(ええええええぇ!)
自分の思考に頭を打ち付けたくなる。
落ち着け、俺!寝てる相手にそれはない。というか、それ以前に相手は男なんだから!まだナナリーの方が健全…ってダメだダメだ!ナナリーにそんな…!
思い立ってナナリーの方を見る。ナナリーは目が見えないが気配には聡い。例え起きていても見えはしないが、行動に付き纏う後ろめたさは、知られても構わないほど薄いものでもなかった。
背後を振り返ってナナリーの様子を伺うが、果たして、ナナリーは規則正しい寝息を立てていた。ほっとしてルルーシュに向き直る。そしてなやむ。俺はこいつが好き、なんだろうか?
(って、好きって…!)
またしてもごろごろと転げ回りたい心境に陥る。

スザクの初恋は早い。三歳だ。相手はお手伝いのおねぇさんだった。
勿論告白は流され、彼女は同僚の男性と結婚し、仕事を辞めた。失恋だ。
好きという概念はわかる。近頃学校ではそんな話が蔓延している。けれど、どの噂も、全てが男子から女子へ女子から男子への好き、だ。
世の中に同性同士の恋人が存在することは知っていた。だが、遠い世界の話だと思っていたのだ。特に、男同士なんて。

でも。

ルルーシュなら。


キス、しよう。
それでこれが恋かどうか、はっきりする。根拠はないが、そう思った。
キス、は、特別な魔法だ、というような童話があった(気がする)。なら。

俺の今の悩みを解決してくれ!

幸にも、ブリタニアではキスは日常の挨拶だ。初めてを奪う訳ではない…!



免罪符を携えて、スザクは身を屈た。目は閉じない。ばら色の頬が視界一杯に広がり、唇に感触を感じた。少し渇いた、固い感じ。

心臓が痛んで、体を支える手が震えた。

そっと身を起こすと、震える足を叱咤して、眠る二人が見えない、少し離れた木の影に隠れる。
木に腕を押し付け、腕に額を埋めた。
頬が燃えるように熱い。





あぁ。







認めよう。








これは、恋、だ。













































































スザクは少しだけないた。
色々な事が脳裏を巡る。ルルーシュに初めて会う前、父との話。敵対するかも知れない国の忌ま忌ましい王の息子。
今日までの自分の態度。愛情の裏返し!
好きになって貰えるはずがない。


いいんだ。

俺は、ルルーシュが、ナナリーが、俺に笑いかけてくれる、それだけで嬉しいんだから。
それで満足しなきゃいけない。
いつか、もしいつか状況が変わったら。
その時に俺は―――――





















手に残る、刃の感触。
ナナリー、を、たすけにいかなきゃ。
その一心で、粘つくような足を進め、部屋を横切る。
「ナナリー。大丈夫か?」
「え――ス、スザクさん?」
「ごめんな。こんなとこに閉じ込めたりして。父……あの人、ちよっと酔っぱらってたみたいなんだ」




「スザクさん?スザクさん、どうしたんですか?ご気分でも?」
「あ……ああ。ちょっと……やっぱり――駄目、みたいだ。ナナリー、後はお手伝いさんに頼んで――ほんとに、ごめん」
走った。扉を閉めて、転がった父を見る。

(「……なら、父さんはここから出ちゃいけない」)

胸に突き立った刃を抜こうと柄に手をかけて力を込める。思いの外軽い感触だった。

(どの口がそれを言う?)

鞘に戻そうとして、刃に着いた血と脂を拭うものを探したが、見つからない。



(俺も、この部屋から出られない)



スザクは刀を取り落とした。さっきは重さを感じなかった、今は何より重い罪の証。抜き身の刀。

(ごめんな、ルルーシュ)

理由にすることは、許されないけれど、


他にはもう、何もいらない、から。


(だから)
縛らないよ、縛られないで。











これは、僕自身の望みの結果でしかないのだから。




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20070512



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