04. カだな

 目を醒ますと、視界には綺麗な木目の天井が写った。日本に留学生という名目で送られて来た自分達兄妹に与えられた住み処は、住居に適したものとは到底言えないものだったが、高い天井には感謝した。土蔵と言われる建物は薄暗く天井を見ることは叶わないのだが、これで天井が低かったら酷い圧迫感に苛まれるだろうと常々思っていたのだ。隣で眠るナナリーは目が見えないので関係ないのだが、目が見えるルルーシュとしては、やはり視界は清々しいもので満たしたいのだ。


 ところで、ここは何処だろう、と思う。土蔵に用意されていた寝具よりは格段に柔らかい布団とブランケット。布団は一組しかなかったので、ルルーシュはその寝具をナナリーに当て、自身は薄手のブランケット一枚を体に巻いて寝ていた。
 今が夏という季節でよかったと心底思うのはこの時だ。もしこれが冬であれば、ルルーシュは確実に風邪を引いてしまうだろう。
 だが、足が不自由なナナリーと同じ寝具で寝ることは出来ないと思う。自分は寝相は良い方だし、ナナリーの足も傷は塞がり大分良くなったとはいえ、もし乗り上げたりしてナナリーの足を悪化させてしまっては元も子もない。

 しかし、いくら夏とは言え、床の上で転がって寝るというのは体に良いものではない。朝になると体の節々が痛む。そんな状態が続き、ルルーシュからは安眠というものがどんどんと遠ざかっていった。
 それが久方ぶりにこんなに上等な寝具で眠ったおかげかどうかはわからないが、随分深く眠ってしまっていたらしい。
 肘に力を込めて上半身を起こした。
 既に慣れてしまった一瞬の浮遊感があり、身体の自重が地球に正しく吸い寄せられる感覚が戻る。
 が、いつもはそれで済むのに、今日に限って肘から力が抜ける。起こした以上のスピードでシーツに落下した。幸い頭部は枕に当たったのでそれほど衝撃はなかったが、身体全体に広がった傷には響いた。
「……っ」
 小さく呻いて痛みを拡散させようと荒い息をついていると、突然の陽光が部屋を満たした。視線だけそちらに向けると、行儀悪く足で障子と言うらしい木枠に紙を貼付けた引き戸を引き開けた枢木スザクと目があった。

「起きたのか」
「…」

 ぶすりとした顔でずかずかと部屋に入り、手に持った盆を畳の上に置く。
 彼が足で障子を開けたのは手が塞がっていたからかと合点がいった。が、そんな事よりも何故枢木スザクが自分の横に座るのかがわからない。

 枢木スザクと最悪の出会いを果たした後、彼は度々、買い物に出てはちょっかいをかけてくる子供達をいなしていた。だが、それだけだ。彼が自分に、自分達に話し掛けることはなかった。
 暴行を受けたルルーシュを憎々しげな目で見て、そのまま歩き去る。何がしたいのか良くわからなかった。彼の子供達に向けた言葉が本当なら、弱い者虐めが許せない、という事になるのだろうが、始めに自分を暴行した人間の言うことではないと思った。
 だから、突然現れたスザクに、ルルーシュは警戒の目を向けた。理由のない施しなど到底信じられるものではない。
 スザクは横たわるルルーシュの背中に手を回して上半身を起こさせた。延びて来た手にびくりと震えたルルーシュに気付いたろうに、頓着せず手を回す。小さく痛みに息をのむルルーシュにも何も言わなかった。身を起こしたルルーシュの膝元に、持ってきた盆を突き出す。

「食えよ」
「…僕は、施しは受けない」
「じゃあなんだ、お前は死にたいのか?」
「僕は生きる」
「なら食えよ!」


 ここまできてようやくルルーシュは思い出していた。


 いつものように街に下りて、日本人の冷たい視線に気付かない振りで食材を買う。本国から渡された持参金は僅かだったから、その食材は殆どがナナリーの食事になった。
 本国での事件の後、過酷な負担は幼いナナリーから発熱する体力すら奪ってしまった。
 誰よりも大事な、最後の家族。ルルーシュは、彼女だけは失うわけにはいかなかった。
 父と呼ぶのも悍ましいあの男に、お前は生きたことなどないのだ、と言われた事は大きな傷になっている。

 認めよう。

 だから、今度は生きるのだと決めた。
 誰の手も借りない、自分と妹の生命は自分が守る、と。

 だから枢木の家から与えられる僅かばかりの食事も断った。
 慣れない料理というものに始めは失敗を繰り返したが、ナナリーの為を思えば上達も速まった。お陰でナナリーの状態は少しずつではあるが良くなって来ている。
 だが、それと逆行するようにルルーシュからは食欲が失われていった。
 食べなくてはならない、とは思う。だが、食事の後、どうしても身体が受け付けずに吐いてしまうのだ。
 ストレスか、不安か、それとも純粋に身体の不調か。わからなかったが、少ない所持金をわざわざ無駄にしてしまうくらいならとルルーシュは、自分の分の食事を作ることをやめた。
 空腹は感じなかったが、いつも胃の底から込み上げる不快感と目眩がある。だが、それさえも慣れてしまえばなんという事はなかった。
 全く食べていないわけではない。元々が少食だったし、味見や、ナナリーに促されて食べさせられた少量は、辛うじて吐かずに済んでいた。だがそれは育ち盛りの子供が食べる量には程遠かった。
 ルルーシュの顔色は悪くなる一方だったが、唯一ルルーシュと共に過ごすナナリーは、ルルーシュにとっては幸な事に盲目だ。食べられなくなってから、手足が冷たく、また肌が荒れるようになったが、それもごまかしようはいくらでもある。
 だが今、日本に来たばかりの頃のルルーシュを見ているスザクには隠しようがなかった。

「お前、倒れたんだぞ?そんなんで生きてるっていえるのかよ!」
 スザクは盆を置いて、シーツに投げ出されたルルーシュの白い手を取った。病的なまでに青く白い、冷たい手を両手で握る。
 ルルーシュはスザクの熱い手の温度に驚いて振り払おうとしたが、力の入らない身ではそれも叶わない。
「離してくれないか」
「お前が食べるって言うなら離してやるよ」
 傲岸に言い放つ。
 だが、その表情は今にも泣きそうに眉が寄っている。

「僕は」
「お前が!」

 ルルーシュの言葉を遮るようにスザクが怒鳴った。
「お前が、何を思って生きるって言うのか、俺には良くわからなかった!人は、生きてるから、生きるんだろ?お前は、妹の為にも生きなきゃいけないんだろ?なら、生きれば良いじゃないか。うちの食事を食べることがお前が死ぬ事になるなんて、そんなのおかしい!」
「…どうして泣くんだ?」
「知るか!」

 ぼろぼろと落ちる涙は、握ったスザクとルルーシュの手を濡らした。
 掌の温度も上がった気がして、ルルーシュは痛いくらいに握りこまれている手を、少しだけ力を込めて握り返した。
「!」
「わかった、食べるよ。だから」
 手を離してくれ、と頼む。
 スザクが手を離すと、ルルーシュはポケットからハンカチを取り出してスザクの頬に添えた。
「全く、お節介な奴だな君は」
「何だと!」
「お節介以外の何物でもないだろう?嫌いな相手の心配なんて」
「ち、違う!お前じゃなくて、おれはお前の妹を…」
「ナナリーを?」
 鼻の頭と目を真っ赤にしたスザクが言い募る。

「…その、この間は悪かったと思って…ごめんって、ずっと言わなきゃって思ってたのに、」
「…だから泣くなよ」
「わかってる!」

 しばらくぐすぐすと鼻を啜って、ハンカチで涙を拭くと、今度こそ脇によけていた盆をルルーシュの膝の上に置いた。
 蓋をとると、煮込まれた白米と、卵と梅干し。
「これは?」
「お粥。お前、しばらく何にも食べてないだろうってお医者様が。胃に優しいものって作ってもらったから。…毒なんか入ってないからな。」
「疑ってないよ」
 最初から。

 レンゲをとって、お椀に移し、渡された小さなスプーンで掬う。白く煮崩れた米は熱くて、食道をゆっくりと落ちていった。塩加減が調度良い。
(見た目は…あれだけど)
「美味いか?」
「…うん」
「そうか、」
 よかった、と笑うスザクを見て、何だか胃の中以外の場所も温かくなった気がした。


 嬉しかった。
 生きろ、と言ってくれたことが。
 枢木スザクにとっては、生きている人間が生き続けることは当然で、生きる為に意味を見出ださなければ生きられないなんて、考えた事もなかったのだろう。当然だ、実の父にお前は生きていない、などと言われる人間の方が少ないに違いない。
 今のスザクには、ルルーシュの言った「生きる」意味はわからないだろう、と思う。
 けれど、ルルーシュは単純に嬉しかったのだ。
 ナナリーは、自分が守らなければ生活さえままならない。
 だからと言う訳ではないが、ナナリーがルルーシュを望むのは当然なのだ。たった一人の家族でもある。
 だが、家族であるからこそ、というべきか。
 閉塞された二人きりの空間はひどく安定しているが、世界から取り残された感覚に陥るのだ。

 スザクは、外の人間だ。
 それは、あらゆる意味で外部の人間なのであり、ルルーシュと重なる点がない、全く新しい未知の世界なのだ。
 その世界に生きろと生を望まれた事が、ルルーシュには単純に嬉しかった。

「明日から、ちゃんとうちの飯を食えよ?」
「さぁ、どうしようかな」
「毒なんか入ってないっていってるだろ!」
「知ってるよ。」
「じゃあなんで食べなかったんだよ今まで!」
「…さぁ、どうしてだったかな?まぁどっちにしろ、君にあんなに泣かれたんじゃ、いただかざるを得ない、かな。」
「!」

 頬を赤く染めて言葉も出ないスザクを見ていると、自然と唇が吊り上がった。

 人は一人で生きなくてはならないのだ。
 けれど、独りでは生きられないのも本当だ。だから、

(あと少しだけ)

 人に背を預けることを

(許そう)

 自分に。


―――時がきたら、今度こそしっかりと一人で立つから。




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20070518

サウンドエピソードからの妄想。小説だとちゃんと枢木さんちの御飯を食べているみたいですが!
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