(6)

 スザクは目を覚ました。ルルーシュからの返事を待つうちに、眠ってしまったようだった。体表が汗ばんでいる所に冷風があたり、冷え切っている。それとは反対に、毛布に包まっている部分は暑く汗をかいていた。ベタベタしていて気持ちが悪い。

「枢木?」
「はい…」
 カーテンの白い布の向こうに保健医の影が映り、カーテンが引かれた。
「授業が終わったが、具合はどうだ?」
「寒い、です」
 スザクはベッドから身を起こした。靴を履き、暖まろうと日向に無意識に近寄る。
「一応今日は部活は休め、」
「はい」
「薬は飲むか?」
「平気です、もう」
 昼休みから今まで、なかなか良質の睡眠が摂れたように感じた。触れていたルルーシュの右手。温かかった。
「意外だったな…」
 もっと冷たそうなイメージがあった。
 今まで手を繋いだことは、実はなかった。想像はした。もっと冷たくひんやりしたイメージだったのに。
 窓を開けて、日向に出る。中庭には畑があり、焼却炉や池もあった。雑草が勢い良く根を張り天を向いて育っている。太陽を目指して。
(健気だなぁ)
 スザクは保健室の前に数メートル張り出したコンクリートにしゃがみ込んだ。雑草と同じ目線だ。健気だなんて感想を自分が雑草に抱くようになるとは、と自分の弱り様にスザクは自嘲の笑みを浮かべた。
 太陽の光が制服を少しずつ温め、その下の冷え切った皮膚をも温めた。じわりと上がる体温と姿勢のせいで目の前が一瞬暗くなり、星がちらちらと舞う。世界が何回転かする間も、体の姿勢は動かさなければ倒れずにやり過ごせる。馴染み深い貧血の症状に、だが不意に声を掛けられた。
「スザクさん?」
 注意がそれ、微妙なバランス感覚が僅かにブレた。
 スザクの体はぐら、と傾いだが、手を着いて堪えた。
「大丈夫ですか?」
「ロロ君?」
 視界が復活して見れば、ロロの腕には書類束が抱えられていた。が、空いた右手はスザクの肩に添えられていた。
「何だ枢木、どうした?」
 窓の外に増えた声に千葉が出て来た。
「ただの立ちくらみですから」
「そうか、…君は?」
「あ…今日編入してきました、一年のロロ・ランペルージです」
「ランペルージ…三年のルルーシュ・ランペルージの…」
「従弟です」
 それを聞いて、千葉は考え込みながらロロに尋ねた。
「もし良ければ、枢木を家まで送ってやってくれないか?」
「え?」
「ランペルージと枢木は家が近いときいている…勿論、無理にとは言わないが」
 一介の保健医にまで情報が浸透していることが、スザクはいたたまれない。だが、ロロの方は何の引っ掛かりもないのかわかりました、と微笑みながら答えた。



 焼却炉に書類を入れ、ロロが二人分の鞄を持ってきた。昇降口で待っていたスザクは鞄を受け取ろうとしたが、ロロに僕が持ちますから、と笑顔で断られた。

「ルルーシュは?」
「兄さんは、生徒会が忙しいみたいですよ?僕は雑用を手伝っていただけですから」
 気にしないでくださいね、と微笑まれた。気持ちや問いの、先を読む所もナナリーに似ているのだな、とスザクは思った。
「兄さんに聞きました。スザクさんはスポーツ推薦が決まりかけているんだって」
「…うん」
 話が出たのはここ一週間ほどのことだ。大会に出て結果を残せ、とスザクは顧問に言われていた。ふらふらと進路を定めないスザクに心配になったらしい。
「凄いですね」
「そんな事ないよ」
「すごいですよ。県大会でトップだったんでしょう?あの紅月カレンとも走ったって聞きました。」
 中学の中国大会、決勝で当たったカレンはスザクと同じ学年で、一年の時から頭角を表していた少女だ。
「ナナリーも、まだ脚が動いていた頃は、僕や兄さんよりも活発で脚が早かったんですよ」
「…そう」
「スザクさんとナナリーって、少し似てますね」
「え?」
 驚いて右を歩くロロをスザクは見た。まだ小さい身体はスザクの額位の位置につむじがある。そのロロは、微笑みながらスザクを見上げていた。
「兄さんに大切にされている所が」
 つきん、と胸が痛んだ。
「…君の方が、ナナリーに似ていると思うけど?」
 何故か呼吸がくるしくて、絞り出すようにスザクは声を出した。ロロはその言葉に、ふふ、と笑う。
「僕のは違いますよ。これは、ナナリーに似せているだけですから。」



「秘密ですよ?」
 ロロがスザクを見上げてはにかんだ様に笑い、人差し指を口に立てた。
「それでね、スザクさん。僕、あなたに言わなければならないことがあるんです。」
 ロロは予備動作もなく、傍らの堤防の上に身軽く飛び乗った。
 背中を見せたロロは、右を―――来た道を振り返るように体の向きを変える。
「ロロ、危ないから降りて」
 スザクはロロの細く小さな身体が堤防の上でふらふらと風に煽られるのが気が気ではなかった。普段はそこに居るのが自分だから、立場が逆転して初めて窘めるルルーシュの気持ちを理解する。
「僕は、あなたが嫌いです。憎んでいると言ってもいい」

 先程まで浮かべられていた笑みは今は白皙のどこを探しても見つからない。

「僕が、兄さんと離れなければならなかった四年の間に、兄さんの中に入り込んでいたあなたが憎い」
 兄さんの中には、ナナリーと僕だけで良かったのだ。

「あなたがいるから、兄さんは島を出たがらないと、兄上はおっしゃっていました」
 兄さんは、ナナリーの為に医者になると言ったのに。

「兄さんの頭の中は、今あなたで一杯です。せっかく会いに来たのに、これじゃあ何の為に来たのか解らない」
 だから。

「一刻も早く、兄さんの心を取り戻したいんです、そうしなければいけないんです、僕は」


 スザクに話すロロは、スザクの双眸をひたと睨み据えている。そのせいか、風向きが代わりつつある海風に煽られて、ロロの小さな身体、棒のような手足はゆらゆらと安定しない。
 ロロが口を閉ざした時、一際強い風が、陸から海に向かって吹いた。太陽の時間の終だ。
 それと同時に、ロロの大きな眼が眇められ、口が大きく歪んだ―――嘲笑う様にも見えたが、自嘲ともとれる笑みだった。

 ふらりと突風に煽られた身体が傾いだ時、スザクの背後から、ロロの名を呼ぶルルーシュの叫びが聞こえた。だがスザクはそれより、目前で傾ぐロロの体を支えようと堤防に上り飛び付いた。あと数センチで手が届く、という所で、





 スザクの目前から俄かに、ロロの姿が消えた。


 スザクの視界一杯に夕焼けに赤く染まった海面が現れ、
 白い影が自分の視界を覆った。
 温かい手が、背中に添えられたまま、
 身体を衝撃が伝った。














 ルルーシュは走った。体育の授業ですらのらりくらりとかわすルルーシュは、勿論遅刻など経験がない。であるから、こんなに走り続けたのは本当に久しぶりだった。
 やっと見つけたのは、スザクの後ろ姿と、堤防の上に立つ、ロロの細い身体だった。
 安堵に足を止めようとした時だ。折しも山から急な突風が吹き下りて来て、ロロの身体が傾いた。
「ロロ!」
 ルルーシュは思わず叫んだ。叫びより早く、スザクが反応し、ロロに飛び掛かる。しかし、ロロはそんなスザクを横目に一歩下がり、ふら、と堤防上を避けた。

 その時にはロロの足元、先程までスザクが居た場所に立っていたルルーシュは一息に堤防を飛び越え、既に落下が始まっていたスザクの頭を抱えた。
 海面はすぐ側で、高い場所でなくて良かったと思う間もなく、身体は水中に没した。



 誰よりもくなりたい、

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 20080811





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