(4) ルルーシュが朝起きると、既にナナリーとロロが食事の席に着いていた。楽しそうに話している二人に、ルルーシュは安堵と、ちくりとした胸の痛みを感じた。 ナナリーが汚してしまった口端を、ロロがたまにハンカチで拭う。恥ずかしそうに、ありがとうございます、ロロお兄様、と頬を染めるナナリーに、どういたしまして、と微笑むロロ。ロロの外見は、ルルーシュとナナリーよりも立派に兄妹で罷り通る容姿で、小さな二人が身を寄せ合う光景は、恐らくどんなに気難しい人間でも、思わず笑み崩れてしまうだろう可憐さに満ちていた。 「あらルルーシュ様、おはようございます、」 「お兄様?」 「兄さん?」 廊下の向こうから咲世子が、立ちすくむルルーシュに声を掛けた為に、ナナリーとロロもルルーシュに気付く。ルルーシュは内心の鬱屈を押し隠して微笑み、おはよう、と言った。 「今ご朝食をお持ちしますね」 咲世子が引き返して行く間に、ルルーシュはナナリーと角を挟んだ右に座った。 「おはよう兄さん、」 「お兄様、今日は少し遅かったのですね」 「あぁ、昨夜は少し、課題に時間が掛かって…ロロは、良く眠れたか?」 「うん!」 ルルーシュに気遣って貰えた事が嬉しいのか、ロロが笑顔で頷いた。 「そうだ兄さん、もう昨日のうちに学校に挨拶はしたんだけど、学校の中を見たいから、僕今日は早めに家を出るね」 「あぁ、じゃあ案内してやるから、少し待っていろ。一緒に行こう」 「本当?」 くすくすとナナリーが笑う。 「どうしたんだい、ナナリー」 「ロロお兄様は、本当にお兄様がお好きなんですね。羨ましいです」 「勿論。けど、ナナリーの事も大事だよ?」 「まぁ、そんなお話、初耳ですわ」 「…本当だって」 「ふふ、ありがとうございます。」 信じているのかいないのか、はぐらかすように微笑むナナリーに、ロロは苦笑した。 ルルーシュが朝食を摂っている間に、鞄を持ってくる、とロロは席を立った。部屋(客室の一間である)に戻り、ペンケースとルーズリーフしか入っていない軽い鞄を持つ。そのまま玄関を抜け、外に出ると、調度どこか冴えない顔色のスザクが歩いて来た所だった。 「おはようございます、あなたがスザクさんですか?」 「…君は?」 ナナリーに良く似た容姿に見当を付けたのか、スザクは警戒を解きながら尋ねた。 「ルルーシュとナナリーとは、母方の従兄弟に当たります。ロロ・ランペルージです。“二人”がいつも、お世話になってます」 にこやかに―――普段の褪めた表情等欠片も出さず、ロロが微笑んだ。淡い色の花が綻ぶようなそれが、ナナリーに酷似している事を、ロロは知っていた。スザクも見慣れたそれに、肩の力を抜いた。 「よろしく、ロロ。」 「もうすぐ兄さんも来る筈ですから、一緒に学校に行きませんか?」 無邪気に、ロロが誘った。スザクは、僅かに眉を下げた。 「ごめん、朝練があるから、もう行かなきゃ」 「そうですか」 引き止めてしまってすみませんでした。ロロはそう言って、スザクに手を振った。 「ロロ?待たせたな」 「ううん。行こう、兄さん」 ロロが出て来たルルーシュの腕を取った。 「今、スザクさんに会ったよ」 「…あぁ」 「一緒に行きませんかって誘ったんだけど、朝練があるからって断られちゃった」 少し肩を落としてルルーシュに報告すれば、ルルーシュは一瞬、身体を強張らせた後、仕方ないさ、と呟いた。 「あいつは、今スポーツ推薦の話が来ているから、真面目に部活に出ないといけないんだ」 「ふうん…スザクさんて、凄い人なんだね?」 「…ああ、まあな」 「あ!あとね、僕、昨日、生徒会長のミレイ、さん?に勧誘されたんだ」 「何を?」 「生徒会に入らない?って。兄さんも生徒会なんでしょう?だから僕、つい頷いちゃったんだけど。でもこれで兄さんと一緒に登下校出来るね」 そう無邪気に笑うロロの柔らかな髪を、ルルーシュは撫でた。今のルルーシュには、ロロの笑顔がとても眩しく尊いものに見えたのだ。 ルルーシュの席は、窓際の後ろから二番目の席だった。三時間目、窓の外から見える校庭では、ロロがトレーニングウェアで走り幅跳びをしていた。 見える限りは無表情に近く、しかし時折人に声をかけられては僅かな笑みを零す。お愛想程度のそれは、しかし外国帰りの上、ルルーシュ・ランペルージの従兄弟と言う強烈な背景に反して控えめなロロの性質を表していた。 教壇に立つ教師の言葉を聞き流しながら、ルルーシュは考えている。 ロロは、シュナイゼルの命令で帰国したと言っていた。出来るだけルルーシュと一緒に居たい、と言うロロの言葉は、シュナイゼルにはお見通しだった筈だ。 ロロは、母の弟の子供だったが、昔からルルーシュにだけは良く懐いていた。そのロロは、早く行かなければルルーシュが海外に行ってしまうとシュナイゼルに聞かされていたようだ。 シュナイゼルからの電話が昨日の午後。 圧力を掛けられている。 恐らく、人を寄越すよ、と言う言葉はロロを指していたのだ。 ロロは昔、ルルーシュに懐くあまり、ナナリーに複雑な思いを抱いていた。ロロにしてみれば、幼い頃ずっと自分と居てくれたルルーシュを、ナナリーに奪われた形だ。一時、ロロはナナリーを幼い嫉妬心のままに無視していた。だが、ナナリーに優しくするとルルーシュが微笑み掛けてくれる事に気付いてから、少しずつロロの態度は軟化した。その変化は、六年前、ルルーシュとナナリーの母、ロロにとっては叔母に当たるマリアンヌの死と同時により顕著になった。ロロなりに思う所があったのだろう。ナナリーは同時に光と脚の自由を奪われ、それまでのお転婆な姿から一転、もの静かなベッドの住人になってしまった。 ルルーシュはそれまで以上にナナリーに掛かり切りになり、ロロも又、ルルーシュが大切にするナナリーを大切に思ってくれているように思われる行動が多くなった。 それを、当時既に十分大人だったシュナイゼルは、良く理解している筈だ。 四年前、島に移ったルルーシュとナナリーに追い縋るロロを海外に連れていったのは次兄のクロヴィスだったが(奔放なクロヴィスの重石がわりにシュナイゼルが付けさせたのだろう事は想像に難くない)情に篤いクロヴィスの事だ、ロロにも処生術と言うものを何とか叩き込んでくれたらしい。 次兄のロロを前にして途方に暮れた顔を思い浮かべてルルーシュが内心くすりと笑うと、ランペルージ、と不意に説明の声を途切れさせて教師が呼んだ。返事をして席を立つ。 「余程今日来た従弟が気になるらしいな?」 苛々したように教科書を小刻みに叩く教師を見遣って、ルルーシュがすいません、と笑顔で謝った。 「かわいい従兄弟ですから、うまくやれているか心配で」 「ほう、では君も一緒に授業を受けてきてはどうだい」 先程まで暑さにだれていたクラス中の耳がルルーシュと教師に集まっていた。 「かわいい子には旅をさせろ、と言うでしょう?…まぁ従兄弟は旅から帰って来た所ですがね」 それよりそろそろチャイムが鳴りますよ。そうルルーシュが言った所でチャイムが鳴り響いた。教師は僅かに悔しげな顔をして―――彼の担当に一年のクラスは入っていないことは確認済みだ―――教科書を手に教室を出た。同時に教室中の視線が窓の外に向いた。 立ち上がっていたルルーシュが見えたのか、ロロが教室の窓を見上げていたので、ルルーシュは小さく手を上げた。ロロも小さく手を上げて、ルルーシュに似付かない素早さで更衣室まで走って行った。 「従弟君さ、」 後ろの席のリヴァルがルルーシュに声をかけた。 「お前に全然似てないのな」 「似てない所がかわいいだろう?」 ルルーシュはそう言いながら、教室のほぼ真反対の席に座っているスザクを見たが、スザクは何気ないそぶりで席を立ち、廊下へ出て行った。 昼休み、ルルーシュは保健室へ向かった。スザクは体調不良で保健室に行っています、とスザクと仲の良い友人が四限開始時に教師に伝えているのを聞いたからだ。 失礼します、と保健室に入った。カーテンは奥の一つが閉められていて、保健室の利用者はスザク一人だ。(基本的にこの島の住人は皆健康だ。だから余計にナナリーのような子供は珍しがられるのかもしれない)保健医は保健室を留守にしている。ルルーシュは小さく声をかけた。 「スザク?」 人の気配はしない。だが勝手にカーテンを開けるのはどうかと自分でも思い、入るぞ、と声を掛けてから白いそれをめくった。 中に入れば、スザクは眠っていた。顔色が悪い様に見える。スザクをスザクたらしめるような生命力に溢れる大きな瞳が瞼に隠れてしまうと、スザクは途端に、一回りも二回りも小さくなってしまったように感じた。 保健室は、図書室や職員室同様、空調設備の調った施設だ。蝉の鳴き始めたここ数日で、冷房はフルに働いていて、部屋の中は僅かに寒さを感じるほどに冷やされていた。にも関わらず、スザクは胎児の様に丸くなり、額に脂汗を流し眉をひそめて眠りについている。 体調を崩したナナリーを彷彿とさせる姿に、ルルーシュは無意識に手をのばしていた。額に張り付いた髪を撫で付けて、額に手を当てると思った以上に熱くて驚いた。 「ん…」 「スザク?」 「ルルー…シュ?」 スザクが手の感触に反応して目を醒ました。だが、その目はだるそうに再び閉じられた。 「大丈夫か」 「別に、平気だよ。病気じゃないし」 スザクが口元だけて微笑んだ。だが、その声には力がない。 「首、痕にならなくてよかった」 不意に昨夕の事を持ち出され、ルルーシュは肩を震わせた。スザクの額に置かれたままの手から、それが伝わったようで、スザクが小さく目を開けて、ルルーシュを見上げる。 「昨日の事は、忘れてよ。嘘だから」 「嘘?」 ルルーシュは疑う声音で復唱した。嘘?あれが?あの瞳の色が?言われたとて、到底信じられるものではなかった。 「それに、ここ数日の事もごめん。あの子とは、あれきりだから。もう、終わらせたから」 「そう、なのか?」 「そう。はは、あの子ね、本当は君に憧れてたんだよ。それで、いつも近くにいた僕に近づいて来たんだ」 君は鈍いから。 そうくすくすと笑うスザクに、ルルーシュは唖然とした。 「お前、大丈夫か?」 ルルーシュは、スザクの体に篭る熱が、スザクを狂わせているように感じた。 「平気だよ。ただの生理痛だもの…ルルーシュの手、あったかいね」 スザクはもう一度目を閉じ、額に当てられた手を布団の中に引っ張り込んだ。 「っおい!」 突然引っ張られて、ルルーシュはベッドの端に辛うじて左手を着いて体を支える。スザクはそのままルルーシュの右手を、胸を過ぎ、浮き出た肋骨よりも更に下、腰骨の間の下腹部に押し当てる。ルルーシュの手はスカートのウエスト部分にかかっているが、衣服の上からでも、スザクの体の熱が感じられる。 「動いてるでしょう」 ルルーシュは、同時に独り言の様に呟かれた、暖かいな、という言葉に凍り付いたように動けなくなった。 「女の子の体はね、ここにぽっかり穴があって、ここで赤ちゃんを育てるんだよ」 「スザク、お前まさか」 「違うよ、違う。これはただ子宮の壁が、使わない血をこそげ落とそうとしてるだけ」 スザクは早合点して焦った声を出したルルーシュに笑う。 「ただね、ルルーシュは男だから、僕とか、他の女の子が感じてる、こういう痛みは、理解できないでしょう?」 「いつも、そんなに痛むのか」 「僕はそんなに…いつもはここまで酷くないんだけど」 ちょっといろいろ、あったから。 最後は吐息に紛れさせるように呟いた。 ルルーシュは何も返せなかった。掌の下でうごめく不気味な胎動は、しかしただの生理現象なのだと言う。ルルーシュは母親の腹が膨らんで来た光景を思い出していた。どんどん大きくなる腹部は、ルルーシュにとっては不思議で不気味なものだったが、母の目はいつでも慈愛に満ちてルルーシュを見ていたし、生まれて来たナナリーは可愛くて仕方がなかった。 母はルルーシュが生まれた時から母だった。だが、女性は少女から女を経て母になるのだ。 「君は、僕をどう思っているの」 スザクがルルーシュに尋ねた。 「どうって、」 「僕はね、ルルーシュ。君と出会った頃は、まだ子供だった。けど、今はもう、」 女、なんだよ。 スザクの声は、ルルーシュの右手を伝い心臓に刺さった。 とめどなく零れる涙の数 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 20080810 ブラウザバックでお戻りください |