(1)

 海は黒ずんだ灰色、空はクリーム色がかった灰色をしていた。
 重たるく立ち込めた雲に蓋をされ、打ち寄せては引く波の音はどこか低くおどろおどろしい。風が強く、耳が風を切る音に満たされる。

 学校帰り、今にも雨が降りそうな曇天を、国道沿いに歩く。バイパスが近くに出来て、車は滅多に通らなくなった。ルルーシュは、傘を忘れてしまったので早く家に帰ってしまいたかった。この辺りの雨は、海から吸い上げられた海水がそのまま叩き付けるように、降り始めると痛いほどの雨粒が地を穿とうと長く降る。
 梅雨前線と低気圧、毎年の事だ。
 ごお、と不吉な音が海上から響く。ルルーシュの中には早く帰りたいと言う気持ちが心の下半分に沈んでいたが、後の半分は、左斜め上を歩いているスザクに向けられていた。
 堤防の高さはルルーシュの歩く地面から30センチ、高いところでは80センチ程になる場所もある階段状になっている。30センチに満たない幅を危なげなく歩くスザクの頭はルルーシュの身長を追い越し、見上げるほど高い場所にあった。

 くるくると巻いた少し長い後ろ髪が風に揺れている。ひらひらと短いプリーツスカートが翻り、日に焼けない大腿が時折覗く。すらりと長い足が強風にも関わらず危なげなく変色したコンクリートを蹴り進む。毎日の事である。夜であったり、夕方、雨の日もある。スザクの歩く場所は、堤防の上であったり、ルルーシュの横、斜め前の日もあった。気まぐれなのだ。だが、必ず二人一緒だった。スザクが陸上部で遅い日にはルルーシュが待つし、ルルーシュが生徒会で遅いときには準会員とうそぶいてスザクが手伝う。
 そんな毎日が続いていた。
 ナナリーの療養にとこの島に来て、島唯一の医者の娘と知り合うのは半ば必然で、近所で同じ歳、同じ学校なら付き合いがあって当然なのだ。
 スザクは、よくわからない女の子だ。ナナリーとも、異母姉妹とも違う、気まぐれで、ばかで、足が早い。子供っぽく慎みがないかと思えば、今の様に無表情で遠くを見ている姿は同じ歳とは思えない冷淡さがある。

「おい、スザク」

 ルルーシュは声を上げた。
「何」
「下りろよ、危ない」
「大丈夫だよ、いつも通ってるじゃないか」
「そうじゃない。老朽化の話じゃなくて、風の話をしてるんだ」
「あぁ、うん、今日は風強いね、降水確率100パーセントって感じ。本土はもう降り始めてるかな」
 くすりと笑んで、だが堤防から降りる様子は見られない。どころか、小走りに走り助走を付けて、一段高い場所へ飛び乗る。この堤防で一番高くなる場所だ。ルルーシュの頭の高さにスザクの腰の辺りがくる。
「スザク」
「はは」

 戒めるように呼んだが、細い堤防の上、ローファーが溜まった砂を蹴り立ててくるりとまわり、スザクが声を上げて笑った。手に持った軽い鞄を放られて条件反射に二歩下がりキャッチする。
 その間にスザクは走り出してしまった。勿論、30センチに満たない堤防の上を、である。
「スザク!」

 一声批難の声を上げてルルーシュも後を追った。

 不安定だ。
 スザクの足取りは確かだ。
 だが同時に何もかもが安定しない。

「ルルーシュ!」
「は?!」
「いってらっしゃい!」
「、っ」

 スザクの声は不思議な程に響き、強風を貫いてルルーシュの耳に届いた。
 中学三年生だ。

 ルルーシュは、首都にある総合病院の三男だった。ブリタニア家の親族が理事会を勤めるそこは、ルルーシュの父親の王国だ。知る人ぞ知るこの病院は、だが、医療設備、技術、人材、どれをとってもこの国で最高峰の病院だった。例え広く一般には知られていなくても。

 ルルーシュと15離れた長兄は、既に医師として勤務し、今は理事に名を連ねている。
 次兄も同じ道を歩むかと思われたが、何をトチ狂ったか(と言うのは親族の弁である、家族はやはりと頷いた)芸術の道を志し、今は国を出ている。
 それもあり、中学生活を終える今年、ルルーシュは実家から僅かのプレッシャーをかけられていた。

 足と目が不自由になり、実母を亡くした妹が心を病んだのは仕方のない事だ。ルルーシュはナナリーと離れる気はなかった。首都の病院には全てがあったが、ナナリーとルルーシュが真に欲したものだけはなかった。遠く離れたこの地に来てもう四年になる。












「ルルーシュは、医者になるんだろ!」
 斜め前を走るスザクは小揺るぎもしない。
「本土に戻るべきだ」
「お前は?お前だってお父さんの後を」
「あはは、僕の頭で後を継げると思う?」
「…無理だなっ…!」
 いい加減、不自然に鞄を二つ抱えて走りながら怒鳴るのに疲労を覚えて来た頃、スザクが足を緩めた。堤防の終わりが近付いている。
 ルルーシュも僅かに走る足を緩めてスザクの後を追った。

 端まで来て、ついにスザクが足を止めた。
「スザク?」
「ルルーシュ」

 下ろして。

 前にまわると、無表情のスザクが両手を差し出して来た。堤防の高さは50センチ程、普段は身軽く飛び降りる癖に何を、とルルーシュは思ったがなぜか拒めず、ナナリーにするように両脇に手を入れて抱き上げる。スザクの手が首に回った。
 しがみつかれてバランスを崩しそうになったのを堪えた。
 安堵すると今度は密着したまま離れないスザクが気になった。
「おい、スザク?」




「ごめん」















 唇に、触れるものがあった。
 渇いていながら、温かい。












 ぽつ、とアスファルトに黒い点が落ちた。
 仰のいたルルーシュの顔に、温かな雨粒が当たる。


 だが、最初の一滴は、やけに熱かった、ように感じた。







 嗚呼君にれるだけで


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



20080620




ブラウザバックでお戻りください