09.ナイショなんてなかったの

おずおずと扉がノックされたので、スザクはどうぞ、と笑って答える。
「そんな、部屋にはいるたびにノックしなくても。ルルーシュだって分かってるのに」
「うるさい。他人の私室に入るときの礼儀だろう」

 部屋の主に罵倒しながら入室するのも礼儀のうちか、と、ほほえましくてついつい漏れてしまう笑みを止めることが出来ない。ルルーシュはそんなスザクを見ていつまで笑ってる、と憮然とした表情で花瓶をベッドサイドに置く。
「君ってさ、」
「なんだ」
「ホント、花をしょっても負けないよね」
「その減らず口、縫い付けてやろうか」
「ルルーシュの口で?」
「…お前、性格変わってないか」
「やだなぁ、かわいい猫じゃないか。それに、自分の欲求に素直になっただけだよ」
 白磁の花瓶には、ルルーシュが持ってきた見舞いの花が活けられている。何を選んで良いかわからなかったルルーシュに、花屋のお姉さんが見兼ねて選んでくれたものだ。
 小ぶりの向日葵に、ピンクのカーネーション、オレンジのガーベラが数本に間を埋める霞み草。
 向日葵だけはルルーシュが選んだ。へこたれない陽気な様が、全くもってスザクだ。
 それを言ったら、一生懸命だって言ってよ、とスザクはからりと笑った。

 スザクはルルーシュの白磁に置かれた水に濡れたままの手を取った。

「何だ?」
「言わなくても通じるかなって」
 てのひらをあわせて、目を閉じる。
「…そろそろ外に出たい?」
 スザクの退院はあと二週間後だ。
「うーん…」
「そんな難しい顔しなくても、怪我が治ればちゃんと外に出られるぞ」
「いやいや」
「何だ、違うのか」
「うん…」
 スザクは上の空な上、眉間に皺を寄せたしかめ面で目を閉じている。ルルーシュも吊られて目を閉じそうになった。

 だがはっとしたように首を振るとスザクが目を開いた。
「やっぱり、」
「?」
 ぐい、と繋がれた手を引き、スザクはルルーシュの、空の左手を取った。
「うわ」
「僕は」
 力の込め方に迷っていた指先にスザクは口付けた。
「君を守りたいんだ」


 スザクの目覚めた日から今日まで三日間、ルルーシュはスザクに会いに来なかった。
 薄情者、と思わなかったと言えば嘘になる。
 しかし所詮、スザクはただの皇女の世話係で、名目は留学、その実は国の代表としてやってきたルルーシュの全てを把握しているわけでもない。またそれを恨んだり悲しんだりするほどスザク自身子供ではないつもりでいた。
 だが、心配と言うのはまた別の話だ。

 ルルーシュは普段鋭利な刃物を思わせる静謐な静けさと鋭さを纏っているように見せ掛けて、実の所何もない所で転ぶ無用心さがある。
 ルルーシュが日本に来てからいつの間にか数か月が経つが、一緒に暮らすようになったここ数日、顔を合わせなかった日はなかったので、病院から出られない現状、ルルーシュの様子を伺えない事が心配でならなかった。

 そう、スザクのうちにルルーシュは、これほどまでに入り込んでいる。―――今更手放せない、と思うほどに。


 ルルーシュの居ない数日のうちに、父と話してそれから考えていた事をスザクは言った。
「僕は、君を守りたい。守らせてほしい…君の、騎士として」


 ルルーシュは身体を震わせて、馬鹿な事を、と吐き捨てた。
「おまえは、ゲンブ首相の息子で、枢木神社の次期総領だぞ?日本から、離れられる訳がないだろう」
「僕の気質に政治は向いてないし、多分父さんもそう思ってる筈だ。総領は、従妹が居るんだ、彼女の方が適役だよ」
「おまえのそれは、逃げとどう違う!」
「聞いて、ルルーシュ。日本は、父さんは、ルルーシュをブリタニアに返さなきゃならない。戦争の火種にするわけにはいかないからだ。けれど、差し出した皇女を返すのは、ブリタニア皇室に泥を塗るとか、サクラダイトの輸出交渉の亀裂と思われかねない。今度は誰かがブリタニアに行く必要があるんだ、だから」
「お前が来るのか?…人質として?」
「言葉は悪いけど、そう。日本には、資源はあるけど、ブリタニアと戦う国力はない」
「お前は、国を守る為にブリタニアに膝を付き、俺の騎士になる、と?」
「日本を守りたいのは本当だけど、ルルーシュの騎士になりたいのはルルーシュを守りたいからだ」
 スザクは真摯な眼で、俯いたルルーシュを見上げる。
 だが、ルルーシュはスザクを見ない。俯いたまま小さく肩を震わせている。
「ルルーシュ?」
「お前がブリタニアに行きたいと言うのはわかった。俺も、ゲンブ殿と話をしたからな。全く同じ事を言われたよ。よく連携の取れた親子だ、感心する」
「…」

 内心面白くない気持ちでいっぱいだったがスザクは懸命に堪えた。

「スザクをブリタニアに連れていく事は既に許可を得ている。だが、騎士見習に着くのは第二皇子殿下の下だ」
「…なぜ、と聞いても?」
 スザクは動揺を面に出さないよう、冷静に尋ねた。
「…私は、第三皇女だが、皇位継承権は低い。政治に関われるわけでもないから、お前に便宜を図ってやれるわけでも情報を与えてやれる訳でもない。私の騎士になっても、お前の利益は何もない」
 出世の機会もな。
「その点第二皇子なら、実質ブリタニアの宰相だ、お前の為にも…」
「ルルーシュ!何で!僕は君を」
「お前こそ何故分からない!?」

 遮るように口を出したスザクを、更に言わせまいと切る声が切実で、スザクは一瞬押し黙った。
「…日本での生活は、短かったが、楽しかった。ありがとう」

 それだけを呟いて、怒鳴り合うのが悲しくなったルルーシュは部屋を出ようとバッグを掴み踵を返した。しかし、スザクはそれを許さなかった。

「行かせないっ!」
「っ!」
 人差し指の輪で握り込めてしまう細さの腕をはっしと捕らえ、重心が傾いたせいでルルーシュが体勢を後ろ向きに崩した所を、腕の力だけで腰を掬い上げてベッドの壁側に閉じ込める。
 腕に力を込めた瞬間、嫌な痛みが走り、腹部に僅か濡れた温かい感触が広がるが、気にしてはいられなかった。今離したら、今別れたら、やっと無理矢理に繋げた関係がゼロに、否、寧ろマイナスに落ち込むだろう。ルルーシュがスザクを切ろうとするなら、一緒に過ごした時間は全てスザクの敵となる。そんな直感が、スザクの中に焦燥と悲壮な気持ちを掻き立てた。

「っ、スザク、何を…!」
 直ぐさま身を起こしたルルーシュを、スザクは手首を掴んでシーツに押し付け腕の中に閉じ込めた。


「放せ!」
「放さない、僕の話はまだ終わってないよ」
「私は、もう話す事なんかない」
「なら僕の話を聞いて―――好きだ、ルルーシュ」
「!」
「今思い出したんだけど、僕、言ってなかったよね。はは、最低だな、ごめんルルーシュ。」
「…スザク」
「僕は、確かな事は何も言わなかった。君が、僕を甘やかしてくれるから、他の人にはない近さを赦してくれるから、僕は自惚れてたみたいだ、だから」
「あ…」

「ちゃんと、君に言うよ。好きだよ、ルルーシュ。本当に好きなんだ。だから、まだ君と離れたくない。君と一緒に居たい。父さんも日本も建前も関係なしに、君と一緒に居たいんだ。もっと君の事を知って、君の側に居て、傷付かない様に守ってあげたい。…っ、もっと本当の事を言おうか。出来ることなら、僕が君に笑顔をあげたいし、泣かせるのだって僕以外の理由じゃ嫌だ。君が父さんと結婚しても、泣いて嫌がる君を掠って世界中を逃げたって構わないと思ってた。」

 スザクの顔がだんだんと青ざめる。空調の効いた部屋で、喋り続けただけではない息切れと、脂汗が額に浮かぶ。
「スザク、血が」
 寝着代わりに来ていたシャツにまで、じわりと滲んできた腹部の出血に気付いてルルーシュが制止しようとするが、スザクはそれを聞きながらも、口を止める事はしなかった。

「君が好きだ。君がブリタニアに行くなら着いていきたい。君を守りたいんだ。国の為じゃない、そんな聖人君子じゃないし、もしそうだったら僕はもうこの世に居ない。僕は君に守られる程弱くない」
「私だって弱くなんかない…っ」
「わかってる。言ったろ、僕は聖人君子じゃないって。所詮、自分の為にならない事なんか、なるべくならやりたくないし、僕は僕の周りにいる人達の事だけで手一杯で、どっちにしろ父さんの後継ぎの器じゃないんだ。いや、そうじゃない、言いたいのはそんな事じゃなくて、」
「スザ…」
「僕がブリタニアに行くのは日本の為もある、けど、ルルーシュの騎士になりたいのは僕のエゴだった。僕は僕の為に君の側に居たくて、僕の為に君を守りたかった。」
 ルルーシュが自分を嫌っているとは思わない、けれど自惚れていた自分が恥ずかしく、スザクの事を考えてくれたのだろう父とルルーシュに申し訳なく、そして僅か、ルルーシュに受け入れて貰えないのが悲しくて、色々なものが混じった涙がスザクの目尻に滲んだ。

「僕はルルーシュが好きだ。…君は?」
 言った後に、湧いた頭の一部冷静な部分が、しまった、と呟いたのを聞いた。
 たった今、ルルーシュにこれは自分のわがままだと告白したばかりなのに。

―――仕方ないじゃないか、と湧いた部分が叫ぶ。
 
 だって欲しいんだ、手に入る可能性があるならなぜ我慢する必要がある?手をのばす事をやめられる?一生で一番本気な恋くらい、とち狂ったってみっともなくたって縋って呆れられても良いじゃないか。ルルーシュなら笑わない。悲しむか、困るか、激昂するか。どれでも良い、今俺に向かい合ってくれるなら、俺にくれる感情なら、何でも、欲しいなら、

(手をのばせ!)

 一度は閉じた口を、もう一度開くには気力が必要だった。
「…ルルーシュ?」
 返事は?

 ルルーシュの見張られたままの紫紺を覗き込む。先程から、一切の反応がない。
 ルルーシュの瞳は煙っていたが、スザクが声を掛けた途端、びくりと肩を震わせた。どうやらスザクが慣れない日本語でまくし立てたせいで脳内がフル回転し、身体機能が麻痺してしまったらしかった。
 だが、それでも根気強く待っていると、やっとルルーシュが口を開いた。
「私も…私だって…」

 泣きそうに顔を歪めて、小さな声で続く一言。

「もう一回聞きたい」

「……き」

「聞こえない」


「す、きだ」


「もう一回、」
「好きだ、っていい加減に、」
「ルルーシュ」
 ルルーシュの激昂にか、それとも羞恥にか、僅かに血色の良くなった頬。
スザクはもう一度逸らされた視線を、腕を掴んだ手に力を込める事で引き寄せて絡ませる。
「本当に、私で良いんだな?」
「?」
「主人が私で、」
「…君以外の誰でも嫌だ、って言ったら、君は信じてくれるの?」

「…わかった」
 お前を騎士に任じよう、枢木スザク。


 ルルーシュの口から、それはあまりにも簡単に零れ出た。


 

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 20070820






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