07.Sweets or Lips





 目を覚ますと、深刻な面持ちのルルーシュが居た。

「ルルーシュ…?」
「スザク…っ?!」

 ルルーシュは、ベッドサイドに置かれた来客用の椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。

「スザク、スザク…!」

 それ以外の言葉が出ないかの様に数回、スザクの名を呼ばう。そして、スザクが心地良くその声音に酔い始めた時。

「この、馬鹿が!」

 一応、怪我人だから手を出してはいけないという自制の結果だろうか、思い切り怒鳴られた。




 ルルーシュの説明によってスザクが知ったことには、スザクは丸二日半、目を覚まさなかったらしい。今は、あれから三日目の、昼過ぎである。
 スザクの銃傷は、重要な内臓に大きな損傷を与える事なく弾丸が貫通したが、肝臓の一部と動脈の一部を傷付けてしまった為に、一時は失血のショックで心肺停止状態に陥った。
 だがその頃には既に病院に搬入されていたので、処置を受け、今こうして病院のベッドに横たわっているのである。

 一先ず医者を呼び、問診と傷口の洗浄と、今後の検査日程を伝えられて医者が消えると、入れ違いに姿を消していたルルーシュが現れる。その手には、何処から持ってきたのか、お見舞いらしいフルーツ籠と、果物ナイフが入っていた。


 近づいて来たルルーシュに、スザクは問い掛けた。

「ルルーシュ、は、怪我は、ない…?」

 喋ると、縫合した後なのだろう、腹部に痛みが走るから、途切れ途切れの言葉になってしまう。ルルーシュは耳をスザクの口元に寄せて聞き取り、怪我はしていない、と抑揚のない声音でつぶやいた。
「髪、短くなっちゃったんだね」
「あぁ、だが、髪位で済んだのだから僥倖と言わねばな。それより、」
「ルルーシュの髪、きれいだったのに、ごめん…」

 守れなくて。


 苦痛に途切れそうになる声を無理矢理繋げて、スザクは謝罪を零した。
 窓の外の蝉の鳴き声が、僅かに侵入する病室内に、それは思いの外重く落ちた。

「私は、お前に守られてばかりだ。だから謝る事ではない。」
「…」
「確かに、この髪には思い入れがあった。母様に綺麗だと、言われたから延ばしていたんだ。だが、所詮は髪だ。いつかは切るし、それが今だっただけだ。お前が気に病むなら、また延ばしたって良い。」

 それは、「今度はお前の為に」と言われてるみたいだな、とスザクは思って、自分に都合の良すぎる曲解に、反射的に笑ってしまった。
「…今のは笑う文脈ではないと思うが?」
「ううん、ごめん、ちょっと…でも、綺麗な髪なのは本当だよ。だから、ごめん。」
「それは、もう良い」
 僅かに慌てて、ルルーシュがその話は置いておけ、と話を変える。

「その…美奈子さん、の事だ」
「うん」

「彼女は、お前に撃たれてから、逃走した。だが、途中から足取りが分からなくなった。」
 枢木家の西側は、崖になっていて、その下はちょっとした田地になっていた。崖に落ちていた血痕は、畦道を通り抜け、整備された道路に出る所で途切れていたのだ。
 ここ数日、夕立等もない日が続いていたので足跡等の追跡も叶わず、また西側は田畑が広がっているため人通りも皆無だった。

 美奈子の追跡は、事実上不可能になった。

「そう、か」
「良かったな、」
「うん、ごめん」
「良いから、謝るな。捕まって欲しくなかったのは私も一緒だ。」

 ルルーシュは視線を外して微笑した。
 美奈子は優しい。
 会って数日のルルーシュにもそれは感じ取れた。
 スザクも、この別邸にいる間はお世話になっていたのだろう。頼みごとをするときの様子を見ていても、美奈子の対応は、使用人というよりも教育係や、子守役に近かったように思う。
 父の愛人だった彼女は、スザクに複雑な感情を抱いていただろう。女の情念とか、スパイだからとか、けれどもそれだけの感情でスザクに接していたなら、いくら幼くともこのスザクが、懐くとは思えなかった。

 その彼女に騙されて、傷つけてしまい、安否が知れないことは、スザクの心に大きな煩悶を呼び込んだ。
 だが、それを数分で無理矢理押さえ込み、スザクは大きな溜息を漏らす。


「すまない、目を覚ました早々、疲れさせてしまったな。」
「ううん、でも、眠い」
「寝ておけ。いくら二日も寝ていたとは言え、まだお前は怪我人だ」
 せっかく見舞にもらったフルーツ籠を持ってきたんだが、まだ食べられないよな。
 林檎を左手にスザクを見る。と、スザクにその手の林檎を取られた。林檎はベッドサイドに置かれる。ルルーシュがそれを目で何とはなしに追っていると、空いた左手をスザクの右手が引っぱり、ルルーシュはスザクの上に覆いかぶさるように転倒する。けれど、怪我人の上に倒れる訳にはいかないと、白いシーツに辛うじて右手を付いた。

「こら、危ないだろ…っ」

「おまじないは?」

 にん、と擬音するのが相応しいような笑みを、その一度は土気色になった頬に浮かべるものだから。

「ね、おまじないは?母上、」
「…馬鹿が!」
 本当の母親はこんな事しない、と悪態をつけば、いけないお母さんだね、と揶揄して返される。
 心の中で「全くな」、と返して、そう思うなら強請るなと軽口を叩いて顔を寄せる。
 スザクの全てを見通すような深い翡翠がゆっくり瞼に隠れるのを視界に見届け、ルルーシュは軽く、スザクの唇にそれを宛がった。
 一瞬のキス。
 けれど、感じる体温は温かく、確かな吐息は生の証だ。

 ルルーシュが僅かに顔を離して目を開けると、スザクも目を開けていた。
 足りない、と。
 小さな吐息で寄越された強請に、力を増したスザクの右手の拘束に、スザクがルルーシュを欲しているのを感じて、ルルーシュの胸が詰まった。

 ごめんなさい、と、ありがとう、と、
 言えない代わりに、何度も啄むキスを落とす。
 頬に、額に、瞼に、鼻梁に、口の端に、そして唇に。
 口付ける度に少しづつ切なさと愛しさが増して、離れられない。

「スザク、」
「ん、なに…?」
「すきだ…」
「…うん。」
 僕も好き。
 スザクは、今まで動かさなかった左手で顔の左に置かれていたルルーシュの、白く細い右手首を捕まえる。
「スザク?」
 細い指、日にやけない白い手。桃色の華奢な爪。男の自分とは全然違う。
柔らかで繊細な白い手に、日にやけて皮膚の固くなった手で触れるのは。
 壊してしまいそうな恐怖と、汚してしまう冒涜への虞れと、しかし同時に沸き上がる背徳のなんと甘美な事か。

 スザクはその衝動のまま、手を取り掌に口付けた。途端、びくりと震えるルルーシュに獣の愉悦を感じて、更に指の関節に音を立てて舌を這わす。
 小刻みに震えるルルーシュがかわいくて、甘い香りのする手に、悪戯にかじりついた。
「や…スザっ…!」

 親指の付け根に、歯の痕が遺るよう甘噛みをして、息を詰めたルルーシュを慰めるようにちろちろと舐めていると、流石に調子に乗りすぎたのだろう、正気に戻ったルルーシュに、捕らえていた左手を取り返されて、ベチリと額を叩かれた。
「いい加減にしろこの馬鹿!」
「いた!」

 驚いた弾みに右手も取り返され、今日はもう来ない!と宣言し、ルルーシュは病室の扉をスライドさせて出て行った。
 スザクは、言い置く時に振り返ったルルーシュの顔が紅潮して、涙目になっていたのを見て、くすくすと満足の笑みを一頻り零し、腹部の痛みに顔をしかめてベッドに大人しく横たわった。

 明日、ルルーシュはどんな顔で会いに来てくれるだろう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

070812







ブラウザバックでお戻りください