06.そんな『特別』嬉しくない 「火事だ!」 夜半過ぎ。風向きが逆なのか、今夜も行われている筈の、祭の音も聞こえない深夜。 屋敷の一画で声が上がったのを皮切りに、夜の静寂は掻き乱され撹拌された。 最初の一声で目を覚ましたルルーシュは、どうするべきか瞬時に考え、行動に移した。最初の声が遠く、喧騒も未だここには届かない。ならば火事は、ここから遠い、北の厨で起きたと考えるのが妥当だ。なら、何か手伝いが出来るかもしれない。ルルーシュは手早く寝着を脱ぎ捨て、手近にあった明日着る予定の着込む。 濡れ縁に出た所で、心配して見に来てくれたのだろう、見慣れた着物姿でなく洋装の美奈子に一瞬気付かず、すれ違おうとした所で「ルルーシュ様!」と名を呼ばれ、慌てて足を止めた。 「美奈子さん?」 「ルルーシュ様、どちらへ行かれるのですか?!」 「火事なのでしょう?私にも何か、お手伝い出来るかもしれないと」 だが皆まで言わせず、美奈子は酷く焦った様子で言を遮った。 「ルルーシュ様はお逃げ下さい。ルルーシュ様には秘密にして欲しいと言われていましたが、今夜は枢木の本邸から人を呼んで、屋敷の周囲を固めて居たのです。そんな中でのこの火事、何者かが侵入して火を付けたに相違ありません!」 「でも」 「スザク様に、ルルーシュ様を保護するよう命じられました。安全な場所に誘導致します、こちらへ!」 美奈子にがっちりと腕を握られ、ルルーシュはそのまま濡れ縁から飛び降りさせられる。美奈子とルルーシュは芝生を踏んで、騒ぎの逆方向へと走った。 しかし、 「ルルーシュを何処へ連れていくんですか」 静かな、スザクの声が響いた。 「スザク!」 「ルルーシュ様、身動きなさいませんよう」 がっちりと握られた腕を引き寄せられ、スザクとの間に立たされる。こめかみには、冷たく当たる鉄の感触がある。 「美奈子さん!」 「スザク様、そこをお通し下さい」 「出来ないよ。…これ、何だと思う」 スザクが手の中に隠していたものを見せる。小さなスイッチだ。 「屋敷の警報装置のスイッチ。入れれば、人が集まってくるよ。美奈子さんが起こした小火に集まった大勢のSPが。…何もせず、この場を去って下さるなら、警察に通報するような事もしません」 「スザク様」 「今朝、父と話をしました」 「!」 「貴女が、父の愛人だった事は知っていた。でも、貴女は僕に親切だったから、僕は貴女が好きでした」 「でも、今朝父さんは、僕が生まれて間もなく貴女を解雇したと言った」 美奈子の手に、力が入った。 「昨夜の報告書と、従業員の履歴も確かめた。おかしいのはそれだけじゃない。昨夜だって、祭の客が入り込まないよう警戒を厳にしていた筈だったのに、皆眠ってしまったのは、貴女が食事に細工をしたせいでしょう?祭で夕食を済ませてしまった僕たちと、数人の家人を除いて、皆眠っていました」 スザクは朝方、父と連絡を取り、美奈子を不穏分子と断定した。 だが何故彼女がルルーシュを狙ったのかはわからなかった。妥当な可能性を考えるならば私怨だろうか。元愛妾としての?だがそんな情で動くには、美奈子は冷静でありすぎた。 結局動機を考えている間に、こんな事態になってしまった。 指摘された美奈子は、やはり冷静な顔つきのまま呟くように零した。 「そう、私が愛人だった事、知ってらしたんですね…」 「えぇ」 そして閃くように。 「でも、私の元々の所属は御存知ではいらっしゃらない!」 美奈子は銃を持っていない左手でナイフを取り出し、ルルーシュの首に宛がい刃先を突き付けると、その挙動を隙と見て動いたスザクに銃口を向けた。 「動かないで下さい、」 「、ルルーシュを開放しろ!」 「出来ません、今の私の任務はルルーシュ様を亡き者とする事、」 「え?」 一瞬、思わぬ事を言われスザクの顔が驚きに染まるのが、星明かりに照らされた。父に対する私怨かと思っていたスザクに、狙いがルルーシュである事は突飛な事にしか聞こえなかったのだ。 「私は、元々野党派の密偵です」 ルルーシュ様がこの屋敷にいらっしゃった時から、私に与えられた任務は監視からかの佳人の抹殺に遷りました。 ですから。 「もうしわけありません、ルルーシュ様」 美しい顔に淋しげな笑みを掃いて、美奈子がルルーシュに意識を注いだ瞬間、スザクが動いた。自分に向けられる銃口に飛び付き下を向かせ、ルルーシュに当てられたナイフも押さえ込む。 ざっと突き倒されるように倒れたルルーシュは、あまりの事に足が動かず、その場でへたり込んだ。 「ルルーシュ、逃げろ!」 「スザク様、邪魔立て無用です!」 「殺させるわけにはいかないんだ…!」 (今度こそ!) けれど。 揉み合いの中、小さな音を立てて発砲された、消音装置付きの銃口が火を噴いた。 倒れたのはスザクだった。 スザクが奪った銃の引き金を、美奈子が弾いたのだ。 どさり、と音を立ててスザクが芝生に転がる。芝生に、少しずつ血が広がった。 月光が、その様を余すところなくルルーシュの瞳に照らし出す。 「ルルーシュ、なにして、逃げ…!」 「さあ、ルルーシュ様、逃げないでくださいまし」 美奈子が手に残ったナイフを掲げて近づく。振りかぶられた瞬間、ルルーシュは頭を振って少しでも刃と距離を置こうとして仰向けに倒れた。ざくりと嫌な音と痛みが頭皮に走る。 耳のすぐ脇に突き立った、銀の刃。 「避けないで下さい、折角の御髪が、」 短くなっていたら、第二皇子殿下が遺体を御覧になった時、悲しい思いをしてしまうのでは? スザクを倒し、ルルーシュの命を狩れる事を確信して、美奈子が饒舌になる。ルルーシュに馬乗りになり、次こそは、とナイフを振り上げたその時。 軽い発射音を立て、美奈子の脇腹を貫通し、突き抜けた一発の弾丸。 「くっ、」 撃たれた脇腹を、ナイフを持たない手で押さえるが、その程度では止まらない出血は、ぼたぼたとルルーシュの頬に落ち、ルルーシュの蒼白になった頬を熱く染めた。 振り返れば、揉み合った最中、利き手でない左手に持っていた美奈子の銃が近くに落ちたのだろう、スザクが銃を両手で支えたまま、肩から崩れ落ちる所だった。 「スザク様…!」 「ごめん、美奈子さん…」 スザクは苦痛に歪む顔を笑みにすり替えて、硝煙を上げる銃を取り落とした。 しかし、美奈子の傷も決して浅いものではなかった。加えて、人の気配がちらほら増え始め、姿の見えない主人の姿を捜す声が聞こえてくる。 美奈子は血に濡れてナイフを持てない両手を眺め遣って、ルルーシュに微笑んだ。 「申し訳ありませんでした、ルルーシュ様。スザク様を宜しくお願いしますね」 ルルーシュに向け、スザクを一瞥し、もっと強く御なり下さいとお伝え願えますか、と慈愛の篭った笑みを投げ掛けて、ルルーシュが小さく頷くのを確認し、美奈子は歩いて、庭の薮の中に消えた。 血に濡れたシャツを羽織った凄惨な美奈子の後ろ姿を呆然と見送り、頬に付着した血を拭う。それに視線をやり、ルルーシュははっとした様にスザクの名を呼んだ。 「スザク!」 腰が抜けたのか、這いずるようにスザクの傍らへ寄るが、スザクの反応はなく、血溜まりは先ほどよりも早いペースで広がっている。 ルルーシュの脳裏に、硝煙と血臭に彩られた惨劇の場の像が結ばれる。 「スザク!死ぬな!」 頬を叩いても目覚めないスザクに、又しても大切な人を失う恐怖が蘇り、虚脱しそうな体に喝を入れ、助けを求めたルルーシュの視界に、先程スザクが持っていた警報装置のスイッチが目に入ったのは奇跡に近かった。そしてそれが、揉み合いの際に落としたのだろう、程近い所に落ちていた事も。 ルルーシュは力の入らない膝を叱咤して、転がったスイッチまでにじり寄った。 震える指でロックを外しスイッチを入れると、耳をつんざくサイレンが近くの藪中で鳴り出した。 それまで気配だけだった人々の存在が、急に近くなる。 「ルルーシュ様!」 「スザク様!?」 驚く家人達にルルーシュは叫んだ。 「スザクが撃たれました、早く処置を!」 スザクを! スザクを早く! 夏の熱気を切り裂くように、ルルーシュの叫びが空を切った。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20070812 ブラウザバックでお戻りください |