04.違う「好き」が欲しいって、我侭ですか 近く遠く響く笛や鉦の音、寝静まらない人々の熱気が、神社から離れた場所にある枢木の自室にまで届いた。 近くで見た花火の、火薬が弾ける音を聞いた興奮が消えないのか、目が冴えて眠れないまますでに一時間が経過している。眠らなければならないと目を瞑るが、花火の背景の夜空と瞼の裏の闇が混じりあい同化して、鮮やか過ぎる程に蘇る、大輪の花。 そして、花火の間中、感じていた、枢木スザクの強い視線。 ルルーシュは、スザクの母となる事に別段戸惑いを感じた事はなかった。先程スザクに語ったのはルルーシュの本心であり、その時にならねば解らないことではあるが、枢木ゲンブの妻になる覚悟は本国で亡き母の墓に誓いを立てた時から揺るがない。 だが、此処に来てルルーシュは不自然な心の乱れを感じていた。 花火が始まる直前の、スザクの言葉。 僕は、ルルーシュと一緒に暮らせるのは嬉しいよ。 僕はルルーシュが好きだから。 (好き) 一緒に暮らせて嬉しい。 (親子として?家族として?) それとも。 (――――――) ルルーシュは寝返りを打った。普段就寝時には着ない着物の裾や、袖が纏わり付いてまるで布団に縫い留められているように感じる。折角浴衣に慣れたのだからと美奈子が着せてくれたものだが、眠くなくても、眠らねばならない。本国にいた時には、読書に夢中になるあまり一夜を明かしてしまう事も度々だった。だが、この国に来てから、否、枢木スザクは、というべきだがルルーシュの健康状態に殊の外鋭い。月経期間に「調子悪そうだけど、大丈夫?」などと声をかけられた時にはなんと返したものか、しばらく硬直してしまって不審を招いた。(実際ルルーシュの月経周期は不規則で、そんな時は大抵、腰痛と腹痛と吐き気を誘発している。だが、本国にいた時にはそれでも平然を装い、それは成功していた筈だ。) 近頃食欲も失せて来ているのは日本の夏の暑気中りだろうか、予防策はしっかり眠ることだよ、とスザクにも言われている。ルルーシュは今度こそ眠ろうと目を閉じた。 努力の甲斐あって、うとうとと眠りの縁をさ迷う事数時間。外は幾分静かになり、屋敷内を歩き回る人の気配も遠くなった深夜。 ルルーシュは人の気配にふっと目を覚ました。 廊下を、誰かが歩く気配がする。ぎしぎしと、ゆっくり進む足音に、誰だろうとルルーシュは考えた。 枢木の別邸であるこの建物は、古式ゆかしい日本家屋で、夏である今は外周部にあたる縁側は開け放たれている。無用心にも程があるように見えたが、それで家人もスザクも何も言わないのだ、余程セキュリティがしっかりしているのか、それともそれが日本での常なのか。 ルルーシュは障子に背を向けて眠っている。殊更足音を消してゆっくりと進む足音に、ルルーシュの中に恐怖心が生まれた。そういえば、この間テレビ番組でこんな時に出る幽霊の話をしていなかったろうか。 日本に於ける幽霊はブリタニアのゴーストとはまた一線を画したものらしい。日本で夏、祭の夜に戻ってくるのは故人の魂である。ルルーシュは故人の霊と聞いて思い浮かんだ人間はたった一人だったが、その一人が本国からこんなに離れた場所まで会いに来てくれるだろうか。それともルルーシュが此処にいるから?もしそうであるならば、それは愛故か、それとも理不尽に殺された事を怨んでいるのだろうか。ルルーシュの思考は千々に乱れた。恐ろしくて、障子の側を見ることが出来ない。母の、怨みがましい視線にもしも出会ってしまったなら、ルルーシュの息は止まってしまうだろう。 ぎしりぎしりと進む足音が早く去ってほしい、去ってくれと心底願ったが、無情にも、足音はルルーシュの部屋の前で止まった。ルルーシュの思考も停止する。呼吸が、緊張のせいで正常に行われず、ひゅうひゅうと音を立てるばかりでちっとも酸素を取り込めない。苦しい。こんな音がしていたら、此処に居る事がしられてしまう―――! ス、と微かな音を立てて障子が開かれる。それまで障子を通して柔らかな光に変容していた星明かりが、よりいっそうの明度でもって室内に差し込み、廊下に立つ人間の影を黒々とルルーシュの横顔に落とした。 違う。 母上では、ましてや幽霊などではない。 のしかかる体重は重く、顔に近付く吐息はアルコール臭がある。 (売られた?) 一瞬過ぎった思考は、けれど即座に捨てられる。こんな形でルルーシュを痛め付けようと、例え殺害を謀っていたとしたって、日本とブリタニア、双方の利益にならない。ならば融和反対派か、もしくは (私怨) ルルーシュの正常な思考はそこで遮られた。侵入者が、ルルーシュの布団を剥ぎ、着物の袷に手をかけて来たからだ。 本能的に手を払おうとすると、逆にその手を取られ、仰向けに転がされる。口を分厚い手で塞がれた。息が出来ない。着物の裾のせいで蹴り上げる事も出来ないが、それでも足をばたつかせると、乱れた裾に男の下卑た視線が這うのがわかった。 本能的にそれを感じて、ぞわりと総毛立つ。男の意識が逸れた瞬間、口を塞ぐ右手に思いきり噛み付いた。 「っく、」 「っはぁ、」 息を吸い込んだ途端、喉奥に溜まった唾液が気管支に入ったが、咳込みながらも体をよじり、男の下から抜け出して部屋を出た。 星明かりに照らされた縁を、はだけた裾に足を取られそうになりながら走った。 暗闇に入るのは怖かった。だから、縁側を走って、昼間に歩いた道筋を本能的にたどった。角を一つ曲がった突き当たり。 昼間に入るのを躊躇した扉を、今は思いきり開く。 「スザク!」 「え?」 部屋に飛び込んで、慌てて寝転んでいた布団の上に身を起こしたスザクに飛び付く。 「へや、部屋に、変な男が入って来て…」 「何だって!?」 未だ呼吸の調わないルルーシュの背を撫でて、スザクがゆっくり立ち上がる。 「スザク…?」 「ルルーシュは此処にいて。寝られるようなら寝ちゃって良いから」 「いやだ、危ない、」 「大丈夫だから。」 スザクは微笑みながら、スザクの布団の上にへたりこんだルルーシュの、乱れた袷を直す。襦袢までは乱れていなかったので、最悪の事は起きていないのだと確認する。 「でも、」 「父がいない今、この家の責任者は僕だ。僕がいかなくちゃ。今日はもう部屋に戻りたくはないでしょう?此処で寝ちゃっていいから。」 ね、ともう一度微笑んでスザクは立ち上がる。 ルルーシュと違い昔から着物に慣れたその動作は自然だ。捕まえるタイミングを逃して、ルルーシュはスザクを見送る。 スザクはルルーシュに背中を向けると同時に翡翠を暗く染め、眼差しを険しくした。 *** ルルーシュの部屋まで行ったが、内部に異常は見られなかった。侵入者の形跡は一つもない。 スザクが部屋の検分をしている間に、スザクが幼少の時からここにいる下男が、屋敷内の静かな動きを聞き付けたのだろう、庭から顔を出した。 「悪いんだけど、美奈子さんを起こして僕の部屋に呼んでくれるかな」 「はい」 「あと、父さんに頼んで、明日の夜からSPの人を門に付けてほしいんだ。至急連絡して。」 「わかりました」 夜遅くにごめんね、と申し訳なさそうに笑みかけながらスザクの内心は後悔と怒りで染め上げられていた。 指示を出し終えて部屋にもどると、ルルーシュはまだ起きていた―――というより、暴れていた。 スザクの枕をグシャグシャと丸め、叩き付けたいのを我慢しているようだ(自分の枕であれば確実に畳に叩き付けていただろう)。その表情は幾分強張っている。廊下から入る光にスザクの影が写ってルルーシュはその行動をやめたが、すると釣りあがった目から涙が零れた。 「ルルーシュ、どうしたの」 「スザク、悔しい、っ」 ルルーシュの手から枕を取り上げて傍らに膝を着くと、ルルーシュは膝の上に置いた手に力を込めて俯いた。 「力がない自分が悔しい、男に勝てない自分が。そういう欲望の対象にされてしまう立場が、お前に助けを求めなくちゃいけない自分が悔しい…っ!」 覚悟はしていた筈だった。意に沿わない結婚も、妹の為なら堪えて見せようと。その為なら、女として振る舞うこともする。男に身を任せる覚悟だってした。 けれど実際はどうだ。 酔った勢いで襲われて、逃げて、助けを求めた先がまた男の部屋なんて…!! 女の身で男に勝てない事なんてわかり切っている。 ルルーシュが傷ついたのは自尊心だ。自分はもっと上手く受け流せると思っていた。もっと上手く、出し抜けると。だが、男の力で押さえ込まれて、恐怖に捕われ、未だ震えがとまらない。そんな自身の惰弱な精神が、ルルーシュには許せなかった。 「ルルーシュ」 俯いていると、スザクが、す、と同じ布団の上に膝を着く。顔を上げると、顔に手を伸ばされて一瞬肩を揺らしてしまう。けれどスザクの手はそれに構わず、ルルーシュの顔に掛かった横髪を後に撫で付け、前髪も梳く。 その、まだ自分とそれほど代わらない細くしなやかな指に触れられて、身体の強張りがふっとほどけるのを感じ、ルルーシュは目を閉じた。 「僕は、ルルーシュが逃げてくれてほっとしてる。」 「え?」 「守ってあげられなくてごめん、―――義母さん」 「…!」 そうなのだ。ルルーシュはスザクの義母で、スザクはルルーシュの息子だ。 でも。 だけど。 これは気の迷いか? ―――否、と心が叫ぶ。 「…一言だけ、聞き流せ」 「え?」 「いいから、一度だけだ、一晩経ったら忘れろ、良いな」 「…うん、」 「私は、お前が好きだ」 「お前の所に来てしまったのは、そういう事なんだろうと思う。私も今気がついた。」 ルルーシュの震えは止まっていた。吊橋効果なんかじゃない、スザクの手は、緊張と、安らぎをルルーシュにもたらす。 「ルルーシュ、」 「すまない、母親にこんな事を言われても、お前は困るよな。忘れてくれ」 ルルーシュはスザクの腕を掴むと、自分から引きはがす。 「今夜だけ、この部屋を借りても良いか?あ、お前が寝る場所がないなら、私は畳で構わないんだが」 「あ、ああ、いや」 「スザク様」 挙動不振なスザクを見兼ねたかのようなタイミングで、座敷に美奈子がやって来た。 「どうなされたのです、なぜルルーシュ様がスザク様のお部屋に?」 至極不思議そうな顔でスザクに尋ねる彼女に、スザクは内心冷汗をかいた。が、口調はさりげなく、冷静を装う。 「詳しいことは明日話します。今日は、ルルーシュに着いていてあげてくださいませんか?」 スザクの言い方はお願いだが、今この屋敷で実質的な主人はスザクだ。 「わかりました」 「今美奈子さんの布団を持ってきますから。一晩、よろしくお願いしますね」 「はい。」 必要なことだけを告げて、スザクはそそくさと部屋を出た。 美奈子の入ってくるタイミングはばっちりだった。ルルーシュは畳でも良いから、と言ったが、スザクとしてはそんな事はさせられない。ルルーシュに布団を使うように言っただろう。それなら、僕が布団を持ってくるから、と。しかしこの屋敷の人間を使うことにいまだ抵抗のあるらしいルルーシュはこんな深夜にそれは悪い、とか言い出すに違いない(この時点で既に推測に推測を重ねている事にスザクは情けなさを感じる)だが、確実にルルーシュはこう言うだろう。 『なら、一緒に寝れば問題ないだろう。』 (いや、問題大有りだから!) 告白はされたが、ルルーシュは、自分に男と言うものをあまり感じていないのだと、スザクは思っている。でなければ、男である自分に(もちろんスザク自身は乱入してきた不埒者と同類に見られる等真っ平だが)先程のような弱った姿を見せることはないだろう。数時間前、ルルーシュに意図せずとは言え触れてしまった無礼な手に、もっと怒っていても良い筈だ。そして、着物をはだけてほぼ襦袢一枚の姿で部屋に駆け込む事もないだろう。 もしこれが、計算尽くだったならば、恐ろしい限りの誘惑だが。 (…いや、無意識でも怖いか…) ならば、ルルーシュは己の魅力を理解していないのだろう。それもそれでスザクにとっては大問題である。 しどけなく俯き震え、乱れた襦袢から覗く華奢な白い首筋や、座った事で顕になった細い足首… (…だめだ、考えるな俺!) 急に一人になり、雄の思考になってスザクは自分を戒めた。想像の中でだって、ルルーシュを汚すような事、今は殊更許せなかった。 取り敢えず、人を呼んで布団を取りに行かせ、不審者がいないか周辺を調べ、朝一で父に連絡を取らねばならない。 スザクは頬を叩いて、ルルーシュの「好き」という言葉に浮かれた脳を静めた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20070811 ブラウザバックでお戻りください |