03.My heart is too honest. 「下ろせ!歩けるから!」 「鼻緒が切れちゃったんだ、直さなきゃはけないよ。」 「だったら裸足で良いから」 「ダメだってば。怪我しちゃうだろ。良いからおとなしく運ばれてよ。暴れると落としちゃうかも。」 だから、ね。と有無を言わさず畳み込み微笑みかけると、ルルーシュは諦めたように黙ってスザクの首に手を回した。 頭上で、僅かな光と共に、空砲が数発響き渡った。 *** 泣き出したルルーシュを宥めて、転んだ原因を確かめると、下駄の鼻緒の結び目が解けて抜けていた。 「ごめん、ルルーシュ。怪我してない?」 「俺は大丈夫だ。おまえが庇ってくれたからな。…お前は怪我とかしてないのか?」 「僕?大丈夫だよ、」 「そうか。だが、お母上の履物を駄目にしてしまったな」 すまない、とうなだれるルルーシュにスザクの方が慌ててしまう。 「気にしないで、ルルーシュが悪いんじゃないんだ。ちゃんとはけるか、確かめなかった僕がうっかりしてた。ごめんね」 「スザクが謝る事でもない。だが、その、それは履けるようになるのか?」 何を懸念しているかを悟ってスザクは悪戯心が芽生えた。しみじみと下駄を眺めて、殊更残念そうに云う。 「これは、この場ではむりかなぁ。家に帰るか、本職の人に見てもらわないと。」 「そう、なのか」 「うん。だから、はい」 これ持って?と、金魚の入ったペットボトルと、ルルーシュの巾着を持たせて、自分はルルーシュの下駄の鼻緒の無事な方を左手に引っ掛ける。 「え、おい」 「ちょっとごめんね」 しゃがみ込んでいたルルーシュの、浴衣の構造上揃えざるを得ない膝裏と、背中に腕を回して、ひょいと抱え上げた。 「!おい、下ろせ!歩けるから!」 「鼻緒が切れちゃったんだ、直さなきゃはけないよ。」 「だったら裸足で良いから」 「ダメだってば。怪我しちゃうだろ。良いからおとなしく運ばれてよ。暴れると落としちゃうかも。」 …冒頭に戻る。 枢木神社から東に延びる遊歩道は南側が崖になっていて、石造りの柵が設けられている。崖はそれほど高い位置にあるわけではなく、すぐそばまで3、4階建てのアパートや一戸建てが迫るように建っている。それでも視界を覆う程の高さの建物はなく、今は暗くて解りにくいが、近くの景色を一望できる位の高さは十分にあった。 スザクはルルーシュを抱えたまま遊歩道を歩く。 時々人と擦れ違うたびにルルーシュは顔を下げ緊張に身を強張らせていたが、実際暗過ぎて相手の顔等判別出来ないのだから、気にする必要もないのに、と思う。 時々、ルルーシュが身じろぎするのが、接した体で読み取れて、けれど降ろすわけにもいかず素知らぬふりをして歩く。すると、とうとう焦れたのか、ルルーシュが言葉を発した。 「スザク」 「何?」 「その、右手が」 「右手?」 「…あたってるんだが…」 ルルーシュは顔を背けて呟いた。暗さに紛れて見えないけれど、多分耳まで真っ赤なのだろう。 それはそうと、右手?スザクは自分の右手を確かめる。左手は、ルルーシュの下駄を引っ掛けていて、右手は… 「あ、ごめん…」 「いや、」 言い出したこと自体が気まずいらしく、そこで会話を打ち切ろうとするルルーシュに気付かず、スザクはぽろりと漏らした。 「平らだったから気がつかなかった」 小さく拳が胸に入った。 土の道を数百メートル行った所で、ルルーシュを柵の上に座れるように下ろす。崖から数メートルは内側にある柵は、足を外に出してもそれほど危険でないことは、昼に確認済みだった。 「なんだ?」 柵は、80センチおきに、横向きに渡された丸太を支える柱が入っている。ルルーシュの足元に、鼻緒の切れている右足と、切れていない左足の下駄を揃えておいて、足を休ませると、スザクは右隣の枠を乗り越え同じように座る。ルルーシュが大事そうに抱えたボトルは、念のため柵の内側の地面に置いた。 「昔、此処で母さんと花火を見たんだ。父さんは仕事で居なかったから。って言っても、母さんは僕が4才の時に死んじゃったから、そんなに覚えてる訳じゃないんだけど。」 ルルーシュははっとしたようにスザクを見た。 母親―――昼間の問いの、答えを。 「母さんが大好きだったよ。死んだときは、まだ死ぬって言うのがどういう事かわからなくて。誰も教えてくれなかったから、勝手に置いて行かれた気がして、ずっと部屋の隅で泣いてた。いつか母さんが、迎えに来てくれるんじゃないかって業と隠れて、でも寂しくて。」 「朱音さんは、良い母上だったんだな」 「父さんは、今もそうだけど、昔から殆ど家には帰ってこなくて。僕は、でも母さんが居たから、淋しくはなかった。」 「うん。」 「ねぇルルーシュ。本当に父さんと結婚するの?…別に反対してるとかそんなのじゃないんだ。ただ、ルルーシュはどう思ってるの?」 突然聞かれて、ルルーシュはスザクを見た。スザクの顔は、眼下からの光に照らされて影の中だ。だが、こちらに向けられているのだけは理解して、ルルーシュは戸惑いがちに視線をさ迷わせた。 「…今回の婚姻は、日本とブリタニアの和議の為のものだ。それが望まれるのなら、従うのが皇族の勤めだ」 「でも、それはルルーシュの気持ちじゃないだろう?今のは、ただの」 「拒否権はない。だが、従っている間は保証される。だから逆らうことは、どの道出来ない。聞いているんだろう?母は殺された。第三皇女、女の身で政務には携われない癖に、皇位継承権だけは高位だ。…邪魔な存在なんだよ、俺は。」 そう、ルルーシュのせいで母は死に、妹は足の自由と目の光を失った。狙われたのは自分の筈だった。 「今は異母兄が私の後見だ、あの人の意に逆らえば本国に居る妹の身が危険に曝される。…だから私に拒否権はないんだ。結婚しろと言うのなら結婚もする。和平の子を宿せと言われればそれも。例え同じ歳の息子がいる、父の歳の男だろうと、求められれば応じる他はない。」 「………」 「すまない、気を悪くさせたか」 言わねばならない事を全て吐き出し、相手が自分と同じ世代のスザクだった為か、つい言葉が多く零れてしまったようだ。スザクは、相手の警戒心を解く術を無意識に知っている人間だ、とルルーシュは思う。 けれど、そんなスザクも、同じ歳の少女の覚悟を見せられて、しばし言葉が出なかった。ルルーシュの肩には、ルルーシュだけではない、人間の命が掛かっているのだと知れば、無闇に言葉を発する訳にはいかない。 ルルーシュと話をするのに、枢木家から離れたのは正解だった、と思う。家の中では、何処で話を聞かれてしまうかわからないから、ルルーシュの口数は少なかった。 「…ううん、正直に話してくれてありがとう。」 「いや、こちらこそすまない。気を使わせたか?本当に、お前が気にする事じゃないんだ。こんな考え方をする人間が、お前は嫌いかもしれないが、」 それでも俺は、と続けようとするルルーシュの唇を、スザクは指先を当てることで遮った。 「僕は、ルルーシュと一緒に暮らせるのは嬉しいよ。」 僕はルルーシュが好きだから。 突然スザクの顔を照らす光が生まれたかと思うと、スザクの言葉尻に被さるように、ぱあん、と花火の乾いた轟音が、藍色の空に響いた。 「あ、始まった」 スザクはルルーシュから視線をずらして、南を向く。先ほどは気付かなかったが、崖の上からは昼に見た、花火の打ち上げ台が見えるらしい。 ひゅんひゅんと空を切る音を立てて昇った癇癪玉が空中で弾けて、火薬が燃え尽きる音をたてる。遠くから見る花火では、ここまでの臨場感は味わえない。 幸い、風は東から西に吹いているようで、花火が煙りに隠れることもなかった。 次々に上がっては弾ける鮮やかな色の火花にルルーシュは目を見張って見入る。 眼下に見える民家の屋上やベランダや道端に、いつの間にか沢山の人影があった。小さな子供達の楽しげな声も響く。この沢山の、年齢も性別も人種も違う人達が同じ一つの空に咲く一瞬の花を見ていることが、とても不思議だ。 頭の片隅には、スザクの最後の言葉を問い質したい気持ちも、ないではない。だがそれを問い質すことは、今感じる平安を、この美しい思い出になるだろう空を、壊してしまうような気がして、ルルーシュは恐ろしい。 今だけだ。 今だけは、不穏な問題から目を反らして、スザクが用意してくれたこの場所を、時間を享受したい。 ルルーシュは只管に空を見る。 スザクは、そんなルルーシュを横目で見て、僅かに微笑んだ。 掛け値なしの本音は、きちんとルルーシュに伝わったらしい。 今 はまだ、ルルーシュは父のものだ。だが、父はルルーシュに興味を抱いてはいない。 であれば。 (結婚するのが俺でも、何等問題はないわけだ) 親でも息子でも。否、常識的に考えれば、ルルーシュの婚約相手は自分こそが相応しい。父の思惑など知るものか。 父が母を、朱音を愛していたことを、スザクは理解していた。そして、朱音の死因も。 だから。 (守らなくては) ルルーシュを。伊達で枢木の嫡男を十数年やってきたわけではないのだ。 ルルーシュの、涙を見せた紫紺を見つめて、スザクは決意を新たにした。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20070811 ブラウザバックでお戻りください |