10.ゼロからもう一度、私を選んで 「…ありがとう」 一言言って、スザクは脱力した。 まるでベッドに押し倒されるかのような体勢にルルーシュは慌てたが、先程の出血を思い出して上がった血がざっと音を立てて引いた。 意識を失った人間の身体は重い。しかも相手は怪我をしているから、無下な扱いは出来ない。苦労して、傷口に障らぬ様(既に出血していると言う事は傷口が開いていると言う事なのだが、気持ちだ、気持ち)ほうほうの体で這い出して、ナースコールを押す。 だが、押してから自分の恰好を見下ろして、白いカーディガンの左脇腹に血の染みを見つけてぎょっとした。 看護士が見たら驚くだろうが、これを脱いだらノースリーブなので出来れば脱ぎたくはない(何でスザクはシャツ一枚で平気そうな顔をしているんだ、寒くないのか)。 だが脱がなければスザクが気絶するまで二人がどんな体勢でいたのか、いらぬ詮索を受けてしまいそうな気がする…悶々と悩んでいる間に、担当の看護士が扉を開けて入って来てしまったので、ルルーシュは笑ってごまかしながら、最初で最後の新たな騎士にどんな罰を与えようかと画策した。 一ヶ月後、スザクはルルーシュと共に国際空港に居た。二人の前にはブリタニア行の航空機が待機している。 一月前、スザクの病院を辞した後、ルルーシュは即座に兄、シュナイゼルに連絡を入れた。シュナイゼルは第二皇子と高位の皇位継承者でルルーシュとは年齢も一回り離れているが、シュナイゼルは幼いルルーシュにチェスを教えた張本人でもあり、皇族の中でも比較的懇意にしている義兄弟の一人だ。 いつも食えない笑みを浮かべていることが多いが、ルルーシュの才能を早くから見抜き、女の身に、女性には似つかわしくない―――第二皇女コーネリアは別にして―――兵法指南の教師を付けてくれたのは彼だった。日本に来る時に付き添ってくれたのも、だ。 故にスザクの仮の主人になってほしいと、先日連絡を取ったばかりだったのだが。 『やぁルルーシュ。元気にしているかい?』 シュナイゼルへのホットラインは、侍従を通してシュナイゼルの手に渡された。 『朝早くにすみません。元気です、その問いは三日前にも頂きましたが、その折りは、お願いを聞いて下さってありがとうございました』 『かわいい妹の頼みだ、聞かないわけには行かないだろう?』 『おだてても何も差し上げる事は出来ませんよ、でも、ありがとうございました。』 感謝している気持ちはとりあえず本当なので、それは素直に告げておく。 『堅苦しいのはここまでにしよう。それで、電話の用件は?』 『前にお話されていた、エリア8の衛星国家昇格は、どうなりましたか』 『あぁ、受けてくれる気になったのかい?』 『はい、それで度々申し訳ないのですが、枢木スザクについてなのです』 『どうしたんだい?』 『彼を、私の騎士に下さい』 『それは構わないが。』 言って、シュナイゼルは全てを察したようにくつりと笑った。 『お前がそんな風に変わるとは、お前を日本に送った父上も考えていなかったんじゃないかな』 『放っておいてください』 実は笑い上戸である義兄は、一度笑い始めるととめどなく笑い続けるのを知っていたルルーシュは、ここが潮時と悟った。 これ以上はからかいのネタにされるだけだ。 ―――鉄壁と言われた黒の皇女が、ベビーフェイスに落とされた、など! 『では兄上、よろしくお願いします』 『ああ、わかった。だが、その件、枢木君は了承したのかい?』 『ええ』 しゃあしゃあと嘘を吐いた。シュナイゼルには見抜かれている気がしないでもないが、これが彼に対するちょっとした報復だ、等と言えるわけがない、みっともない。 『…では、今日中に手配を済ませよう。明日のこの時間、また連絡を。それと、』 『?なんです』 『ナナリーとユフィにも、まめに連絡してあげるといい、淋しがっているよ』 『…わかりました』 殊勝に頷いて受話器を置いた。 「ごめんねルルーシュ。手続きとか、一切合切やってもらっちゃって」 「昨日まで通院していたんだ、仕方ないだろう」 ルルーシュは向かいのソファに座るスザクを見た。スザクは、情けなさそうに笑んでありがとう、と言った。 スザクは取り敢えず、行儀作法を学ぶためにブリタニアに留学、という形を取ることになった。ブリタニアに渡ってからは士官学校に通うことになるだろう。その実は、日本側からブリタニアへの、譲歩の人質であるとしても、戦争の火種を日本から作るわけにはいかず、またスザクがブリタニアで死ぬことがあれば今度はブリタニアの過失となり両国の関係が一気に崩れる。 だが、一応の後見人(後ろ盾とも言う)兼交渉相手はルルーシュと懇意にしている現宰相である。そうそう滅多な事は起こらないだろう、と信じたい…。 あらかじめ期限は三年と切ってある。 ルルーシュも、少なくとも一年以内に手筈を整えなければならない。 「…ありがとう、ルルーシュ」 「だから、もう良いって、」 「僕の我が儘を聞いてくれて」 それは、連れていけ、という事についてか、それとも折角お膳立てした第二皇子の騎士を蹴ってルルーシュの騎士になった事を言っているのか。 「ばか。お前が望んで、私が認めた。お前が変に気に病む事じゃない」 「うん。ありがとう。、…ルルーシュ。」 「?」 「好きだよ」 「ばっ…」 「ねぇ、ルルーシュの亡くなったお母さんは、元騎士侯だったんだよね」 「…そうだ」 「じゃあ、騎士と主人でも結婚することは出来るんだよね!」 殊勝な態度だったかと思えばすぐに子供のような顔をする、このギャップにルルーシュはたびたび振り回されていたが一月たった今でもそれは変わらなかった。 「あれは!相手が皇帝だったから、皆反対のしようがなかっただけだ!」 「そっか…じゃあ、僕が頑張るから」 「は?」 「待っててね、ルルーシュ」 言いながら、回りを取り囲むSP(とは言っても声が届かない程度には離れた場所にいるのだが)の目を憚って、唇の端に小さく口付けた。 「!スザク!」 「正攻法で君を手に入れて見せるから」 「…っ」 その瞬間のスザクの表情を、なんと表現したものか。 「…っせいぜい頑張ることだ」 ルルーシュは顔を背けて吐き捨てた。動揺した顔を見せるのは、なぜかとても屈辱的な気がしたからだ。 花の咲きそうなスザクをよそに、ルルーシュは搭乗ロビーの窓を眺めた。 小型機の整備が進められ、ゆっくりと動き出すのが見えた。 ルルーシュは手元に置いてある荷物を取ると、身軽に立ち上がった。 「さて、ここから先は暫く別行動だ、スザク」 「?」 「私はこれからエリア8に視察に行く。お前は本国に行って、兄上に存分に扱かれていると良い。二ヶ月で戻る」 「は?」 「いい子にしてろよ。あと、私のいない間にナナリーに手を出してみろ。その時は私直々にお前を殺してやるから」 心しておけ。 真ん丸に見開かれるアーモンドアイ。 スザクにそんな顔をさせるのが、思いの外うまくいき、ルルーシュは内心高笑いの快哉を上げてニコリと微笑み、ぼうっとしているスザクを置き、颯爽と搭乗口を目指した。 小型の飛行機は、ルルーシュと、離れた席に座る数人の私服SPが陣取る以外に一般客の姿はなかった。10列程しかないその中で、ルルーシュは窓側の席を陣取ると顔を引き締めた。 一月前シュナイゼルに申し出た案件は無事に許可が下りた。 ―――エリア8は、一年半前にブリタニア植民エリアに加わった欧州地方のエリアだ。 だがサクラダイトを僅かながら産出出来る地域でもあった為、財力と資源に任せた抵抗は根強く、当初の予測を裏切り未だ衛星国家に昇格を果たせずにいるエリアだった。 名目は視察である。 だが。 「傷付けたくはないんだ」 色々なものを。人を。 でも、天秤はどうしたって、大切な者に傾いてしまう。 ルルーシュにもっと大きな力があれば、話は別だったのかもしれない。 だが、シュナイゼル以外には固く秘めた実績は、世間的になんの防波堤にもならない。 だからこれから、その防波堤を作りに行く。 全く、騎士になりたいだなどと。 「主人の苦労をお前も味わえば良いんだ」 ルルーシュ程度の皇位継承権では、いくら位があるとは言え、騎士を持つ方が不遜と映る。ましてスザクはブリタニア人ではない。 主人にそれなりの力がなければ、杭は打たれるだけだ。 たった一人でブリタニアに行かせる事は不安でもあるが、スザクのバイタリティなら大丈夫だろう。ナナリーもいるし、後見人は宰相閣下。身元引受人は変人とは言え伯爵だ。 「いや、最後のは余計だったな…」 だが、まぁ少なくともホームシックやら退屈やらとは無関係な時間が過ごせる筈である。 ルルーシュは一息吐き、手荷物の中に忍ばせてあった書類を取り出し、後は無心にページをめくり始めた。 ずば抜けた身体能力と運動センスによって、一年かかるところの行儀作法実戦法を終えたスザクが、日本にいる間に学べる事は学んで来たからと、シュナイゼルの質の悪い通信と共に身元引受人ごとエリア8に送られてくるのは、その一ヶ月後の事だった。 FIN ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20070913 ブラウザバックでお戻りください |