01.係レジスタンス



 スザクは、ルルーシュの騎士である。
 主人は神聖ブリタニア帝国第三皇女であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニア皇女殿下その人だ。ルルーシュは、14歳の時、スザクの生国であり、今は植民国家となった現エリア11、元日本にやってきた。
 埋蔵量、精製量共に、世界の七割を占める当時日本に於いて行われた、サクラダイト輸出国協議に第二皇子の傍ら、勉強の為と称して連れ出されたのである。
 ブリタニアは、日本が輸出するサクラダイトの約65パーセントを輸入する国だ。世界の3分の1を植民地化したブリタニアは世界一の軍需産業先進国となったが、その広大な植民地にサクラダイト原産地は含まれておらず、今なお輸入に頼らねばならない状態にあった。
 ブリタニアの次の目標は日本であろうと世界中各国の首脳部、のみならず一般人にまで真しやかに語られてはいたものの、日本とブリタニア、表向きには両者の関係は友好的なものと言えた。
 そのさなか、枢木スザクはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと引き合わされた―――義母と息子として。

 ルルーシュは、日本とブリタニア、両国間の緊張緩和政策と言う名の体のいい人質だった。



 スザクはこの義母となる少女が一目で気に入った。有り体に言えば一目惚れという奴である。それまでも、理論ではなく動物的直感によって乗り切った苦難は数知れず、という人間だったスザクは、その時もその直感に従った。直感が識閾下での無意識の計算に依って、あるいは経験則によって導き出されたものであるならば、スザクのそれは常に確かであった。
 枢木の本宅は、全国に点在する枢木神社の統括本部でもある。人の出入りの多いそこを避け、スザクとルルーシュは枢木の別邸に遷された。

 スザクの母はスザクを産んだ数年後に亡くなった。父の玄武は現在独り身だ。だが、自分と同じ歳の少女と婚約とはいくらなんでも有り得ない、と思う。いくら義母とは言え、息子と同じ歳だ。話だけを聞いた時、スザクは少なからず父の決断にショックを受けた。それが父の性癖とは思ってはいないが、相手に同情しないでは居られなかった。
 だが、初めて会ったルルーシュは落ち着いていた。とても同じ歳とは思えない所作と言動。美貌は言うに及ばず、十数年後には傾国の美女となっているだろう。
 ルルーシュはいつも冷静だった。いつ敵となるかもしれない国に唯一人置き去りにされた、孤独の姫。母は既に亡いと聞いた。足と目の不自由な妹を、第四皇女に預けて来ているらしい。
 一度だけ、本国に国際電話をかけているルルーシュに遭遇した。相手は妹だろうか、柔らかな表情、甘い声。一度も見たことのないルルーシュの一面だった。
 ルルーシュがスザクの前で国際電話をかけたのは後にも先にもその一度きりだった。時期で言えば、枢木の別邸に落ち着いた頃だ。






『うん、…うん、そうか、ユフィが。今度会ったときには、御礼を言わないといけないな。……ああ、わかってるさ。お休み、ナナリー。良い夢を』
 時刻は正午すぎだった。お休み、と言うということは、相手のいる場所は既に夜なのだ、と言うこと。
 そして、人名。ナナリー。彼女の妹―――スザクの伯母に当たる人だ。

「本国に電話をしていたんですか?」
「…スザク?」
「すみません、聞くつもりはなかったんですが」
「勝手に電話を借りてしまって悪かった、」
「そんな、良いんですよ。貴女はこの家の主人になる人なんですから」
 スザクは意図して微笑を作り義母に向けたが、彼女は一瞬驚いたように小さく息を呑んだ。


 夏の昼間、邸宅の中央を貫く廊下には余り外気は入ってこない。窓もないので、光源は部屋との仕切の障子越しに外の明かりが漏れ入ってくるだけ。薄暗い中では相手と自分の立てる音と、遠い何処かで家人が立ち働く音が響くだけだ。ルルーシュはひんやりと感じる湿気に肺を侵されているように、苦しげに喘いでいた。

「…お前は、納得しているのか?お前の義母が、自分と同じ歳だなんて、」

「じゃあ、ルルーシュは、自分と同じ歳の息子ってどう?」

 スザクはわざと、露悪的に返した。質問に質問で返すのはフェアではない。だが、おそらくこの問いは、この数日間、両者ともに抱えていたものだった筈だとスザク思っていた。

「…」

 再び沈黙が落ちた。
 燻っていた問いを口にした途端、これは相手にとって禁句だったのか、と、内心スザクは慌てた。

 だが。

 不意に、遠く、家人が立ち働く音に混じって、拍子の音が届いた。


「…何の音だ?」
「気になる?一緒に行こうか」

 沈黙を落とされるよりは数倍マシだと、スザクは新しい話題に飛び付いた。
 突然明るい声になったスザクに戸惑うルルーシュの腕を、スザクは掴んで、人の気配がある場所に向かう。それほど広くない別邸の中、すぐに手伝いの女性は見つかった。
「美奈子さん」
「はい?」
 振り返ったのは30台前半の、着物の上に割烹着を付けた若々しい女性だった。
「この家に女性用の浴衣ってある?」
「はいはい、ございますよ。スザク様のお母様の物ですが」
「出してくれないかな?今夜着たいんだ」
 そう言うと美奈子は、後ろで手を引かれるまま佇んでいたルルーシュを見て、全てを了解したとばかりに頷いた。
「わかりました。少々お待ちになってくださいね。着付けは夕方でかまいませんか?一度、お洗濯をしてからの方が良いでしょうから」
「はい、お願いします」

 ルルーシュは何がなんだか、という顔で二人の会話を聞いている。日本語が堪能な彼女にも、日本特有の着物である浴衣が何を指すのかがわかっていなかったのかもしれない。

 美奈子に背を向けて、ちょっと外に出ようか、とルルーシュを連れ出す。玄関に置いてある外出用の帽子をルルーシュに渡して、有無を言わさず外に出た後も、ルルーシュの手は離さなかった。



 スザクは、別邸から数百メートル離れた河原までやってきた。広い川幅に相応しく、両岸には広い河原が広がっている。夏の今、影は何処にもなく二人を容赦なく照らしたが、奔放に青々と繁る河原の草や、河原に生える木の下の黒々とした影が、陽光にやかれる河原の砂利の上に鮮やかなコントラストで落ちていた。
 河原の上では数人の男達が忙しく立ち働いている。
「今夜は花火なんだ」
「花火?」
「そう、花火。見た事ある?」
「…祝砲位なら」
「うーん、それとはまた違うんだ…」
「夜にやるのか?」
「うん。説明するより見る方が早いね。楽しみにしていて。あと、今夜からお祭りがあるんだ。今日が前夜で、明日が本祭。だから、お囃子がもう始まってる。あ、お囃子っていうのは、さっき聞こえた笛とかの事」
「あぁ…」

 ルルーシュは得心がいったという顔で頷いた。
「祭は、枢木神社でやるんだな?」
「そう。近いから、うちもちょっと煩くなっちゃうんだけど…三日間だけだから、ごめん」
「いや、いいさ。活気があって楽しそうだ」
 表情をあまり変えずにルルーシュが言う。
「そう?そう言って貰えると嬉しいけど。結構、質の悪い酔っ払いとかいるかもしれないから気をつけて」
「あぁ」

 わかった、とルルーシュは頷いた。



 スザクは、祭りの準備の様子を見たいからと言って、ルルーシュを家まで送り届けた後、再び外へ出た。
 一応、この近辺の地理は教えたつもりだ。何も起こらないとは思うが、警戒はしてしすぎることはない。

 この辺りで、枢木は名士で通っている。それでなくとも当主は首相だ。当然注目も他の一般家庭のそれとは比にならない。
 そして、近頃日本に蔓延する反ブリタニア感情が、スザクは心配だった。
 スザクとて、ブリタニアに一片の悪感情もないとは言わない。それは多分に父や父の側近の影響をはらんだものだったが、今やそれが日本という国の総意になりつつある。現状は、微妙な一線を引いたり押したり、凸凹な面を描いていた。
 ルルーシュもそれはわかっているようで、極力目立たないよう動いているのがスザクにはわかった。
 悪意は思わぬ所から延びるのが常なのだ。用心に用心を重ねすぎて悪いことはない。

 ―――だがしかし、用心のあまり深窓の令嬢の様に箱入りにしてしまっては活きる可能性も潰れてしまう。

「だって、まだ俺と同じ歳なんだろ」

 スザクは、着々と落ちていく夕日を背中に浴びながら、家へ戻った。


 家に帰ると、玄関で美奈子に呼び止められ、スザク様の分も出しておきましたから先に御入浴下さい、着替えは脱衣所に置いてありますから、と言われ浴場に放り込まれた。中の様子から察するに一番風呂だ。 ルルーシュより先に入るのは気が引けるが、逆の順番でも妙な気になるのは間違いないのでスザクは湯舟には浸からずに済ませる事にした。どうせ帰宅後にも入ることになるのだからと、髪を洗い体を洗い、最後に水を被って火照った体と頭を冷やす。
 置いてあった浴衣、ではなく甚平衛を着て、(まぁ浴衣よりいざと言うとき動きやすいし、)と納得して自室に戻る。
 戻る途中でまた美奈子に遭遇し、ルルーシュの動向を尋ねた。
「そんなにお時間はかかりませんから、どうぞお部屋でお待ちになっていてください。」
 終わったらお呼びしますから、美奈子はコロコロと笑って浴場に消えた。


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20070809


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