春が半ばを過ぎた。 兄さんは皇帝直属の機密情報局を事実上無効化しつつあった―――僕も含めて。 僕の内には、兄さんを信じたい気持ちと、本当にこれで良いのかと尋ねる声が同時に存在していた。内心、信じたい気持ちが強い。今の兄さんはとても優しいし、僕を必要としてくれてる、求められていると思う。だけど、学園の地下、ゼロとして対峙したあの姿が本当のルルーシュだと言うのなら、簡単に信用するのは危険だ―――凄く。最後の懸念が、兄さんを信じる最後の一歩を踏み出させない。 中休み、廊下を歩いていると、ざわざわとした漣が…囁き声の、である…起きて、僕はある予感と共にざわめきの中心を見た。 女の子の小さな悲鳴が聞こえている間はまだ遠い。息を飲む音が聞こえるようになったらすぐだ。 人の波が割れて、彼が姿を表す。麗しの、「副会長」が。 「ロロ!」 けれど、今日は、それに驚愕の声が混じっていた。「マジかよ」「え、ホントに本物?」 「兄さん!…!、ナイトオブセブン…?」 兄さんの後ろから、着いてくるもう一人の男子生徒が、驚愕の理由だ。僕も驚いてしまった。だって、機情には何も聞かされていない。 「ばか、そんな堅苦しい名前で呼んでやるなよ、「スザクさん」だろう」 兄さんはゆるゆると笑った。 「久しぶりだね、ロロ」 「あ、はい、お元気そうで何よりです」 僕は緊張した表情筋を無理矢理動かして笑みらしく見えるように変化させた。久しぶり、なんて言われても、僕と彼は初対面だ。もちろん、それは彼―――枢木スザクも承知しているはずだ。彼が久しぶりと言うのなら、そういう「設定」なのだろう。 「今日の昼は、中庭で皆で食べようって事になったんだ、スザクもゆっくりしたいだろうし。だから、お前も来いよ、な?」 「うん、でもそれだけなら携帯でも良かったんじゃない」 僕は兄さんに話し掛けたつもりだった。それに答えたのは枢木スザクだった。 「僕が頼んだんだよ、早く会いたかったし、驚かせたくて」 合わせた枢木スザクの目は、顔のにこやかさとは裏腹にちらとも緩まず僕と兄さんを観察していた。 注視の視線を受けることはこの一年で慣れてしまった。僕は表面上を当たり障りなく取り繕うことは出来るようになっていた。 つまり、そういうことだ。 「驚きました、凄く。―――あ、僕次の時間当たるんだ、予習してないから僕もう行くね、兄さん」 「あぁ、呼び止めて悪かったな」 「じゃあ、昼休みに」 「ええ、後で」 そう言って、兄さんと枢木スザクは連れだって帰って行った。また人垣が割れる。少しの間、親しげに話す二人の様子を見ていた。一歩後ろを歩く枢木スザクを振り返りながら話す兄さんは、今まで僕が見たことのない表情をしていた。 だけど、前を向いた枢木スザクの顔は見えなかった。 昼食の後、ヴィレッタ「先生」に呼び出された。勿論地下に、だ。 放課後になり本部へ行くと、「先生」はまだ来ていなくて、椅子にぽつりと、枢木スザクが座っていた。 「えっと、こんにちは」 「…こんにちは、」 戸惑ったように挨拶をされて、一瞬頭が真っ白になったけれど、身体は不自然のないように演技を始めていた。 僕は、機密情報局の一員で、ルルーシュの監視者なのだ、と午後の授業中言い聞かせていた。この場にはルルーシュは居ない。ルルーシュを兄として考える思考はいらないのだ。 「はじめまして、貴方にお会い出来るとは思っていませんでした枢木卿」 「…本名を聞くのは不粋だろう、君の事は、ロロで良いのか」 「はい」 「わかった。―――報告は受け取っている。今日まで任務ご苦労だったね。」 「はい…」 僕はしばらく部屋の突き当たり…枢木スザクの左手側に立っていた。モニターに映し出される、放課後の学園内。ルルーシュは生徒会室で、ミレイ会長に文句を付けているようだ。 「彼は…」 不意に枢木スザクが声を上げた。 「あ、すまない、座ってくれないか」 「え?」 「話すのに立たれているのはその、気になるから」 「はぁ」 僕が彼の斜め前に座ると、唯一の光源に背中を向けることになるから、僕の表情は読み取りにくい筈だ。逆に枢木スザクの顔ははっきりと見える。枢木スザクは、戸惑いながら尋ねた。 「彼は、兄としてどうなのかな」 既視感。 (「兄としてのルルーシュはどうだ?」) 「―――理想的な兄だと思います。優しくて、頭が良い。少し抜けている所もありますが」 「―――そうか、」 何か言いたげな表情をしている。(―――彼女もそうだった) 「何ですか」 (「あまり深入りするなよ」) 「君は、ルルーシュを殺せるかい」 僕はあの日ように作り笑顔を浮かべた。無垢で純粋な子供の浮かべるべき、兄さん用の笑顔を。 「僕にとって、人を殺すことは息をすることに等しいのです。距離のとりかたは心得ています」 例えば、そう、それが兄でも、―――上官でも。 枢木スザクは、僕の出自を思い出したようにはっとした顔をした。 「そうか」 「それが何か?」 「…いや、君が羨ましいと思ったんだ」 「…貴方は」 「ん、」 「貴方はどうなんですか…ゼロを皇帝陛下の前に引き出したのは貴方だと伺っています。どうして殺さなかったんですか。…殺せなかったんですか」 僕は枢木スザクの表情の変化を読み取ろうとした。憤怒?憎悪?―――嫉妬? 「僕とルルーシュは、友達だったんだ」 僕は驚いた。今日の一時一緒に居ただけだったからだろうか。そういう「設定」なのかと思っていた。 「だから?情が邪魔して殺せなかったんですか」 「…」 「貴方はユーフェミア皇女の騎士でしたね。うまく隠匿されているようですが、皇女殿下を殺害したのはゼロなのでしょう。仇を討とうとは思わなかったのですか」 僕は冷めた思考で言を紡いだ。枢木スザクの顔が一瞬辛そうに歪められた。 「そうだ、彼がユフィを殺した」 (『ユフィ』) 僕は、胸がざわつくのを感じた。 「主を殺されたのに、友達だったから見逃したんですか。許せてしまえる程の罪でしたか、主を殺された事は」 「違う」 「でも現に貴方はルルーシュに手を下さなかった」 (この人は) 「では何故ですか。主の仇の裁決を、他者に委ねたのは」 僕の口調はじりじりと焼け焦げるような熱を孕み始め、けれど内心は目の前の人を弄りたいと言う冷酷な感情に支配されていた。だが、それまで僕の問いを僅かに眉を寄せて聞いていた男は、不意に言葉を紡いだ。 「…ルルーシュがゼロを名乗ったのは、僕が冤罪で処刑されかけた時だった」 「…」 「ルルーシュがゼロになったのは、僕のせいだから」 (この人は) 気付いているのだろうか (ずるい) (持っていない振りをして) 僕の持っていなかったものを (ぜんぶもってる) そして今、捨てられないと悩んでいる。 (ふざけるな) 「ロロ?と枢木卿、申し訳ありません、最後の授業に怪我人が出まして」 ヴィレッタ「先生」が入室した。 沸々と腹の底が煮え立つような苛立ちに捕われていた僕ははっとした。枢木スザクにこの苛立ちが悟られていないだろうか。今この場では、「同じミッション」に携わる「仲間」なのだから、まだ。 (…まだ?) 僕は正面に座る枢木スザクを見た。ルルーシュを殺せないと感情を揺らす「友達」だった彼は、もう居なかった。 「では枢木卿、実際に接触されてみて―――」 6.こんにちは、ミスターブルー(朽ちゆく鍵/秘された扉) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20080604 ブラウザバックでお戻りください |