冬が過ぎて、兄は18才になった。そして、また春が来た。

 兄さんは相変わらず僕に甘くて、多分それは本当の妹に向けられるべきそれだと認識する度―――始めは馬鹿にしていた兄さんの甘さを実感する度、僕の胸は痛んだ。けれど、そんな疼痛の原因を探ることを、僕は本能的に避けた。理解してしまえば、戻れなくなると思ったからだ。

―――そう理解に至るプロセスすら、僕にとっては命取りなのだけれど。



 一年を監視に費やした機密情報局に苛立ちが募っている、と言う報告が提出されたからかどうかはわからないけれど、兄さんを外に出してはどうかという案が上がって来た。これまで頑なに、租界外に出そうとはしなかった為か、テロリストの主魁だったにも関わらず、その手の人間の姿は一度も確認されなかった。C.C.は、一年前の事を鑑みれば、今も黒の騎士団と行動を共にしている確率が高い。だからこそ、こちらは兄さんを餌にしていたと言うのに。
 不自然に思われない速度でリヴァル、経由して兄さんに噂が届くように仕向けた。握り潰しの効く非合法カジノの巣窟、バベルタワー。
 僕は兄さんと出掛けた。
 僕はらしくなく緊張していた。
 もし騎士団員が、C.C.が兄さんに接触して来たら、兄さんは記憶を取り戻してしまうかもしれない。そうしたら、ナナリーの代わりの僕はもう用済みだ。そして僕は兄さんを殺さなくてはいけない。
 この任務についてからだって、人は殺して来た。勘が鈍っている事はない。僕は確実に兄を殺すだろう。そうすれば、兄も―――ルルーシュも、僕を殺そうとするだろう。そこに楽観的思惟の混じる余地はない。死ぬのはルルーシュだ。それは既に決まった未来。そしてC.C.が捕まろうと捕まらなかろうと、ルルーシュが居なくなれば僕はここにいる必要はないのだ。
 僕はポケットに入れた携帯電話の重みを意識した。いや、正確にはそれに付けられた兄さんからのプレゼントを。
 苛立った様子で癇性に指先を弄る兄さんを見ながら、僕はバベルタワーを昇って行った。










 迂闊。兄さんを掠われた。
 機情は何をしてたんだ!僕は兄さんに追い縋りながら役に立たない大人達を心中盛大に罵った。あれは、資料でしか見たことはないが、間違いなく黒の騎士団のKMFだ。なら、ここにC.C.が居る筈だ。
 僕は静止した兄さんの腕を掴んでギアスを解き、兄さんを掠った女の走る方向とは逆に走り出した。
 吹き抜けのホールに出て、ゼロが搭乗していたと言う角付きの無頼を確認した。そこでやっと、介入を果たした機情に安堵の息を吐いたが、機情の局員が操るサザーランドは、兄さんがいるにも関わらず発砲した。
 角付き無頼を確認した瞬間の兄さんの戸惑いが気になっていたけれど、機情の行動に、はっとする。兄さんを躊躇いなく撃つと言うことは、用済みと判断されているのだ。
 
 つまり、この場に、恐らくはこの無頼に魔女が。

 (何故こんなタイミングで出てくるんだ!)
 僕は写真でしか知らない魔女が心底憎くなった。

 そして、一瞬後、僕は自分の思考に気付いて頭が真っ白になった。僕は今、何を考えた?
 兄さんは、ルルーシュは、偽物で、僕も偽物で、分かって演じていた筈だ。ルルーシュは餌だ。皇帝陛下直々の御下命、僕の役目はいつか蘇るゼロを殺すことだ。

 出来るのか、僕に。

 自問したとき、近付く気配。
「逃げるぞロロ!」
「…うん」

 ルルーシュに手を引かれて、駆け込んだのは工事途中のビルの外装付近だ。僕よりも体力がないせいで、(それとも動揺のせいだろうか、)息を乱し肩を揺らすルルーシュに僕は少しだけ猜疑の視線を向けた。
 すると、ルルーシュが僕を振り返って云った。口元には、虚勢とも取れる笑みが、それでも浮かべられていた。記憶操作された人生の中では、初めて出会うテロの真っ最中だと言うのに
(笑える、のか)
 この人は。
 僕は、瞬間的に猜疑を深くする。
 けれど、
「絶対に逃がしてやるから、俺が」
「…」
「俺達、二人きりの兄弟なんだから」
 
 虚勢だ。
 
 だが、そんな事実推定が僕をほっとさせる以上に、ルルーシュの言葉が想像以上に胸に刺さった。
(「兄弟なんだから」)

(『フタリキリノ―――』)

「…うん、そうだね」
 僕は何故か泣きたいような気持ちに駆られながら、何とか返事をした。いつもの僕なら、どう返していたかな?

 僕の脳裏にリフレインする
(きょうだい)
(ふたりきりの)

 その言葉の持つ不思議な響きは、僕をせつなくさせた。
 僕は、兄さん、僕は 、
(「あなたの弟なんかじゃ」)

 その瞬間、兄さんに突き飛ばされると同時に射撃される。直後、上の階層から爆風が吹き荒れた。
 転んで重心が下にあった僕はともかく、バランスを崩していた兄さんは風に煽られ、吹き飛ばされた。

 咄嗟に差し出した手は、微かに指先を掠めただけで掴むことはできなかった。
 指先が離れる。
 落ちていく。
 落ちていく。
 底の見えない深淵に。
 僕は、
「兄さん―――」

 その瞬間に、心に含むものはなく。
 信じられないとばかりに開かれた眼差しが呆然と僕を写した。映し出された僕は、恐怖に引き攣った顔をしていた。












 兄さんはゼロではないのだろうか。疑いながら学校に戻る。ヴィレッタ「先生」に扱かれるルルーシュはいつもより少しやつれている気がした(当然か、テロに巻き込まれたのだから)そう思っていた。
 けれど、バベルタワーを出てからの兄さんは表面上は変わりなく、けれど纏う雰囲気を変えたように思う。
 どこか厭世的な雰囲気が消えた。世の中に倦んだような、穏やかな瞳が時折揺れる。












 結果的にいえば、ルルーシュはゼロの記憶を取り戻していた。けれど、ルルーシュは僕を弟だと言ってくれた。
 本当の妹の事も、ルルーシュは思い出したはずなのに、一緒に過ごした一年は、嘘じゃなかった、と。
 僕にとっての一年はどうだ?
(楽しかった)
(任務を忘れてしまう程)

(温もりをくれた)
(凍える闇を溶いてくれた)

(プレゼントをくれた)
(僕を想って選んでくれたって)


 学園の地下、兄さんと二人きりになってしまった時点で、僕の負けは決まりかけていた。
 どうしようもない時、甘い言葉と共に差し出されたそれ。

 手をのばして受け取れば、それは遅効性の毒を塗った針を指に刺して緩やかに僕を殺し、 
 受け取らなければ世界を雲霞の如く取り巻いて即座に僕を殺すだろう。

 虚ばかりで作られた、ちいさなせかい

(僕は)

 兄さんの冷たく滑らかな手を取った。


5.ばたきが聞こえたそしてぼくは手をのばす


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20080602



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