時々突き刺さる、ルルーシュにとって妹がどういった存在だったのか。 僕は不思議に思えるほど過保護なルルーシュに、けれどいつしか慣れていった。 危ないことはしない、黙って出掛けない。大切な事を話すときは手を握り、目を覗き込むように。一言一言を大切に発音する。微笑むときは花が綻ぶように、怒ることはあまりない―――これは僕が極力問題を起こさないように気をつけているからだろうか―――夏が過ぎて、本格的に授業が再開し初めた途端、お祭り好きの会長らしいイベントの目白押しだった。ブラックリベリオンで総入れ替えになった新しい生徒の為の出会いと別れの場と称して行われた失恋コンテスト、スポーツの秋と言えば、の一言で始まったマラソンダンス、そして高校生活の花形、文化祭だ。 全て生徒会が主導で行われて、クラブハウスに住む僕たちは問答無用で主戦力に投入された。ルルーシュは、人の扱いがうまかった。語弊が生まれるだろうから言い直そう、人の采配を執ることがうまかった。さすが、テロリストの主魁を勤めただけの事はある。僕は素直にそう思った。 文化祭が差し迫って来た頃、いつも出掛けるときには一言かけてくれるルルーシュが、その日に限って何も言ってくれないまま、リヴァルと出掛けてしまった日があった。僕は気が気じゃなかったけれど、文化祭の買い出しで、リヴァルが一緒なら、そうそうおかしな事は起こらないだろうと自分に言い聞かせた。第一外での監視は機情の仕事で、僕の区分ではない―――本来なら。 着いていけなかったその日、ルルーシュは文化祭の買い出しとは別の買い物をしたらしい。入ったのは雑貨屋で、随分悩んだ末に購入した品物はラッピングされて、ここにきて急に、ルルーシュに女性関係の疑いが浮上してきた、不審人物に留意せよ、と備考の着いた報告書が僕らの間にも回された。勿論、ルルーシュの―――餌の存在意義、渦中の女、C.C.の事を示唆しているのだろう、と声には出さず推測して、けれども女性関係、と言う四文字に、僕は一瞬、頭に血が上った。 監視カメラによれば、自慰さえしないストイックなルルーシュに、女性―――恋人が出来る。概念として、恋人はいずれ結ばれ伴侶となり、新しい家族になる、と言う理解はある。けれど、あまりに男らしさを持たないルルーシュにそんな想像は出来なかったし、したところでこんなに嫌な気持ちになるとは思わなかった。それは、ルルーシュに対する厭らしい、だとかの拒絶より、ルルーシュにちょっかいをかける存在への煩わしさが勝っていた。 その日の食事時の会話はあまり弾まず、それ以降、本格的に忙しくなったルルーシュと、猫の手要員の僕はあまり私的な会話は出来なくなった。話す内容と言えば、文化祭の準備の進退具合だとか、ミレイ会長の言動について、とか。 食事を終えて、使った食器をキッチンに運ぶ。洗い物は僕の仕事になった。ルルーシュはリビングで紅茶を飲んでいる。僕も食器を運んで、すぐにリビングに戻った。飲み終わりかけたカップを受け取り、キッチンに戻る道すがら、ルルーシュが話しかけて来た。 「ロロ、25日は家に居るか?」 「来週の?平日じゃない、とくに用事もないし」 いるよ、と言外に滲ませると、ルルーシュは何故かホッとした様だった。 「なに、恋人と出掛けるの」 息を吐き切るとき、それが、人間が一番無防備な瞬間だ。ルルーシュはまさか、と眉をしかめてから肩を竦めた。 キャンプファイヤーの炎で祭の余韻を全て焼き尽くし、校内は火が消えたように静まった。比喩ではない、文化祭の振替休日なので校内に人影がないだけなのだけれど、祭で飾り付けられた装飾を剥ぎ取られた壁や床は雑然としていて打ち捨てられた様にも見える。 僕は校舎の地下に用事があったので、誰もいない廊下を歩いた。訓練の賜物、と言えるのかどうか、監視カメラに異常はないか、視界の片隅でチェックする。任務の時には僕自身が見張られている事が大半だったから、監視する側に回ったのは初めてだ。 図書館から、エレベーターで地下に降りた。部屋の中にはヴィレッタ・ヌゥと、データの羅列でしか知らない局員が三人居た。暗い室内に光る多くのモニターは誰もいない教室や廊下、そして家に居ない兄の部屋の中まで映し出している。 他の三人と違い、一人立ったままのヴィレッタ「先生」に近付く。 「ルルーシュに変化はありません。C.C.の影も見えませんし、不審人物の影も皆無です」 「そうか。」 僕はルルーシュの部屋、造り付けの机の上から二番目の引き出しを見た。先日、怪しいと思われたプレゼントはそこに仕舞われていると言う。それがそこにあると思うだけで、胸がざわつく心地がして、もう慣れたそれに小さく息を吐いた。 「では、戻ります。帰宅は15時と聞いているので、対象が帰宅し次第、監視任務に戻ります」 「わかった―――ロロ、」 「何ですか」 ヴィレッタは、らしくなく言葉を切った。琥珀の視線をさ迷わせる。 「あ、兄としてのルルーシュはどうだ?」 「―――理想的な兄像ではないですか。甘すぎるきらいはありますけど。」 「―――そうか、」 僕の言葉にヴィレッタは頷いた。だけど、まだ何か言いたげな表情をしている。 「何ですか」 「あまり深入りするなよ」 僕は失笑した。深入り?僕が? 「ゼロとしての記憶が戻れば、お前は奴を殺さなければならなくなる」 そんな事、 「大丈夫です、ヴィレッタ先生」 にっこり作り笑顔を浮かべる。無垢で純粋な子供の浮かべるべき、兄さん用の笑顔だ。 「僕にとって、人を殺すことは息をすることに等しい。距離のとりかたは心得ています」 僕には、自負がある。あの人の元で学んだ、一握りの子供にだけ与えられるギアスの力、それを与えられたという事はつまり僕の力が認められたと言う事だ。僕はそう聞かされていたし、それで矛盾はなかった。 ルルーシュが帰宅した。けれど、ルルーシュは早々にキッチンに篭った。ロロは課題をしておいで、と部屋に押し込められた。女性の姿はない。ベタな所で、後から出現する可能性も捨て切れなかったが、とにかく僕は不審がられないように、部屋に篭った。 夕飯の時間になって、ルルーシュが僕の名前を呼んだ。僕は返事をしてダイニングに向かう。いつも食事を摂るダイニングで、けれど僕は息を飲んだ。 ケーキ、だけれど。 「兄さん?」 「さぁ、座れよ」 キッチンから大皿に盛られたサラダを運びながらルルーシュが促す。 僕はいつもの席に座ろうとして、そっちじゃない、こっちだ、と上座、所謂ホスト席に座らされた。目の前には、ワンホールの中くらいの大きさの、赤いイチゴのアクセントに真っ白な生クリームのケーキが鎮座している。 「ハッピーバースデー、ロロ」 「―――…え?」 「何だ、本気で忘れてるのか?」 誕生日だろう、今日はお前の。 ルルーシュは苦笑して、僕とは角を挟んだ左隣に座った。 僕はたんじょうび、と小さく呟いた。たんじょうび、誕生日。生まれた日の事だ。今まで僕とは無縁だった単語に、僕の頭は真っ白になった。 僕に家族はいない。孤児だったからだ。家族が居なければ生まれた日など知りようがない。ただ、拾われた日から15年が経ったから便宜上15才と言っているだけで、ニューイヤーと共にこの数字は一つ繰り上がる。毎年、毎年。 「誕生日?」 「まだぼけてるのか?10月25日、お前の誕生日じゃないか」 朝一に生まれたんだぞ、と笑って、ルルーシュは席を立った。少し待ってろよ、と部屋を出る。僕は記憶を探る。ルルーシュの妹の誕生日はいつだったろうか。ハロウィンの近くだったような朧げな記憶しかないが、おそらくルルーシュはそれと勘違いしているに違いない。 理由がはっきりすれば、後はそれに乗って演じるだけだ、16才の誕生日を祝われる、自分の誕生日を忘れていた少しぼんやりな弟の役を。 「ロロ」 ルルーシュが戻って来た。 「ごめんね兄さん、僕自分の誕生日なんてすっかり忘れてたみたい」 「だろうと思ったよ。デート?なんて聞いてくるから。まぁ、その分サプライズ感があって、俺は楽しかった」 「ホントにごめん、でも、嬉しいよ、ありがとう兄さん」 「頑張った甲斐があったよ」 ルルーシュはにこやかに笑って、席に着く。おもむろに僕の手を取って、手の中に四角い箱を押し付けた。 (この仕種は、目の見えない妹の為の、) 「プレゼント。」 気に入るかわからないけど、と予防線を張られる一言。赤いリボンの結ばれたそれは、ルルーシュが僕に黙って出掛けた折に購入したものだ。まさか、自分宛のものとは思っていなかった。僕は、手の中の箱を見つめたまま、動けなかった。 これは、ルルーシュが、僕の為に選んでくれたのだと、と言うことは、ここ数日常に付き纏っていた緊張と苛々の原因でもある女性の影も消えたと言う事だと。 「開けてみろよ」 ルルーシュが促す。僕は、覚束ない手で赤いリボンを解いた。蓋をそっと開ける。 白いシルクの台座の上、鎮座する――― 「―――ロケット?」 「可愛すぎるかとも思ったんだが、お前に似合うような気がして。」 ルルーシュを見ると、視線をあらぬ方向に向けている。少しぶっきらぼうな口調で、早口に続けた。 「お前も、そろそろ好きな子が出来るんじゃないかと、いや、余計なお世話かとは思うんだが、」 「―――兄さんは」 僕は、ルルーシュが僕の恋人を懸念している事に、嬉しさと淋しさを感じた。情緒を司る頭の芯とは別の所で、ルルーシュは他人だと、わめき立てている僕が居る。けれど、口は勝手に動いていて。 「僕はもう、いらない?」 囁くように力無く呟いた言葉に、ルルーシュは振り返る。 「ばか、そんな訳ないだろう。例えばお前が結婚したって、俺のそばからいなくなったって、お前はずっと、俺の弟だ」 いらないなんて、そんなこと。 くしゃ、と僕の頭を撫でる。 「バカだな、何て顔してるんだ」 「え」 ルルーシュの言葉は不思議な位、すんなりと僕の中に入って来た。それが切なくて心地よくて、そんな風に感じる自分に動揺していたら、とても心配そうな顔でルルーシュが僕の顔を覗き込んで来た。 突然近付いた顔に、似ているのは目の色だけなのだと考えていると、頬に手をのばされた。 「あ…」 泣いていた。涙を流すなんて、何年ぶりだろうか。 僕は恥ずかしくなって、兄さんから離れた。白い手をよけて、箱を持っていない左手のシャツの袖で涙を拭いた。 僕は、兄さんを安心させたい一心で笑顔を作った。 「ありがとう、兄さん。すごく嬉しいよ」 「そうか、」 兄さんはほっとした顔をして、さぁケーキを切らないとな、と、今度はキッチンにケーキナイフを取りに行った。 僕は箱の中のロケットを手に取った。 男が持つにはかわいらし過ぎる気もするが、兄さんは確かに、僕の為にこれを選んでくれたのだと言った。 僕の為に。 僕を思い浮かべながら、これを。 それならこれは僕にとって初めてのバースデープレゼントだ。 ハートのフレームを開く。どの写真を嵌め込もうかと考えて、その対象が一人しか居ないことに今更ながら気がついた。僕はあまり写真を撮らないけれど、この学園に来てから、お祭り好きの会長のおかげで写真を撮る機会も撮られる機会も増えた。今度、一枚頼んで譲ってもらおう。 本当は、こんな風に嬉しく思ってはいけないんだ、と。 わくわくしたり、どきどきしたり、喜んだり悲しんだり、そんな感情は排除すべきものだと、理解している。それでも、甘苦しい切なさは僕の心から離れなかった。 4.ハッピーバースデーまだ見ぬ兄の妹へ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20080528 ブラウザバックでお戻りください |