CAGE&EDGE/3













 半年がたった頃、日本は初夏を迎えていた。C.C.の接触もなく、ルルーシュの記憶が戻る兆候もない、非常に平和な毎日だった。僕の緊張感もいい加減に切れかけたところに、初めてエリア11を訪れた時にも感じたこの地方独特の湿気が襲い、僕の体が先に白旗を上げた。暗殺者、工作員にあるまじき失態だけれど、こればかりはどうにもならない。

 毎日毎日、ルルーシュは僕に笑いかける。勉強でわからないところはきちんと教えてくれたり、運動の苦手な彼が唯一できる実技科目の乗馬を教えてくれたり。
 僕は動物に嫌われる傾向があるのだけれど、どうしてお前みたいなやさしい子が動物に嫌われるんだろうな、あいつもそうだった、とルルーシュはつぶやいた。口に出した後で、あいつって誰だ、と首を傾げていて、僕はまさか、と身を固くしたけれど、ルルーシュはそれきりそのことは忘れてしまったみたいに白い馬の鬣を撫でた。白い馬にまたがるルルーシュは皇子様のようで、何をばかな想像を、この男はただのテロリストだと僕は自分に言い聞かせなければならなかった。

 熱を出したことに、僕ははじめ気が付いていなかった。ただ、何日も寝付けず、体のリズムが狂い始めているな、とは思った。もともと、睡眠は数時間で足りるよう訓練は受けていた。ルルーシュから離れる昼間、授業中に眠っていたりもするので、それほど憂慮していなかったのが本当のところだ。
 ルルーシュはよく僕の体調を気遣った。僕はいつも大丈夫だよ、と緩く笑って答えた。ルルーシュの妹のナナリー・ランペルージは、足も不自由で体力がなく、よく熱を出していたんじゃないか、と僕は予想をつけた。ルルーシュの心配はナナリーに向けた物で、僕のものではない、と僕は割り切っていた。

 けれど、どうにもこうにも吐き気とめまいが止まらなくなった日。僕はベッドから出られなくなった。
 寒い。
 体中が痛い。
 僕は起きなくては、と自分に言い聞かせた。監視者だ。毎日、朝起きたルルーシュに会い、彼の様子を観察するのが僕の仕事だ。
 もう起きないと、ルルーシュがこの部屋に来てしまう。この部屋は、ナナリー・ランペルージの部屋だ。
 男の部屋にしてはかわいらしい色彩の部屋に、ルルーシュはまだ一度も足を踏み入れたことはない。少しでもルルーシュの琴線に触れてしまうような場所に、彼を触れさせないために、僕は腐心していた。
 部屋の中に残る、車椅子の車輪の跡は、ナナリーの生活圏の証だ。廊下やリビングには絨毯が敷いてあり、ナナリーの面影は残っていないけれど、この部屋は別だ。
 ルルーシュの記憶がよみがえったら、僕は彼を殺さなくてはならない、けれどこんなに体調の悪い日に、それでもルルーシュに後れを取るとは思わないが、万一のこともある。僕は動け、と自分に言い聞かせた。指先に力をこめて、体を持ち上げる、けれど、ずるりと滑った手は冷たい汗をかいていて、僕の意識は闇に呑まれた。







 暗い瞑い、闇の中で、僕はさ迷い歩いていた。遠くの方から、時々人の断末魔の声が上がる。僕の仕事のスタイルは、ギアスを使うことで対象の体感時間を止めることになるから、通常悲鳴は上がらない。ならこれは、まだぼくがギアスを得る前の記憶だ。
 悲鳴は耳に痛い。断末魔は、時々、予想とは違う瞬間に前触れなく響く。
 僕は体を緊張させた。
 気持ち悪い、寒い、もう、動きたくない。僕は蹲った。
 さむいのか、と不意に声をかけられた。
 僕はかすかに頷いた。それは体の震えと大して違わない程度の首肯だったけれど、声の主はそうか、と呟いて、暖かい手を僕の額に当てた。
 じんわりと体にしみこむ熱に、体が、心がほどけていく心地がした。もう少しそうしていてほしい、心の底から思った。

 そのぬくもりは、全身に広がって、僕は初めての安堵を得た。

 


 太陽の乾いた香りと、甘やかな香りに包まれて、僕は目を覚ました。目の前には、なぜか、同じベッドに寝ているルルーシュの姿があった。ルルーシュは今日は学校のはずだ。なんでこんなところにいるんだろう、と思って、身じろぎをすると、ルルーシュが、うん、と小さく呻きをあげた。
 ルルーシュの腕は僕の肩に回って、初めての日みたいに僕を抱え込んでいる。ルルーシュは僕の頭に顔をうずめているような姿勢で、僕の目の前には細い鎖骨と、男にしては薄くて華奢な体があった。けれど、その体はとても温かくて、それは夢で触れていたぬくもりと同じ温度をしていた。
 ルルーシュは寝ているのか、と顔を見ようとし、少しだけ体を離すと、ルルーシュが今度は眠そうな声で、起きたのか、ロロ、と呟いた。
 僕は、うん、とうなずいて、ルルーシュから少し離れた。
 今まで眠っていたのだろう、眠そうに潤んだ自分と同系色の眼は僕を慈しみのまなざしで見ていて、僕はそれを見て、なんだかとても満ち足りた気分になった。もう大丈夫なのか、と聞かれて、うん、と頷く。
 本当に軽くなった体に、僕は気付いていた。

「兄さん、学校は」
「お前の具合が悪いのに、俺が学校に行くわけにいかないだろう。・・・気づいてやれなくて、ごめんな」

 ルルーシュが僕の額に掛かった髪を掻きあげた。額を寄せて、こつん、とぶつける。熱は下がったみたいだな、と満足そうにつぶやくルルーシュに、僕は、悟ってしまった。

 あぁ、この男は、ナナリーにも同じことをしていたに違いない。


3.箱庭のと絶望は微笑みながらやってくる


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20080524




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