政庁の廊下を歩く。緋毛氈の敷かれた廊下は、履き慣れない革靴の靴音を消してくれる。 背後にいるジェレミアは何も言わず、ただ後ろを着いて歩いている。登庁して来た役人と擦れ違う際には、一瞬目を丸くされた後で慌ててお辞儀をされた。ルルーシュは鷹揚に頷き返してそのままエントランスまで歩く。朝一の政庁だ、始業までまだ時間があり、人もそれほど多くない。 全体に母国の建築様式を施した建物のエントランスは扇型に二つの階段が緩い傾斜とカーブを描いて設置されている。二階から一階に下りる時、ちょうど下の階に義兄、このエリア11における総督であり今はルルーシュの唯一の上官でもあるクロヴィスが姿を表した。 ルルーシュは兄の前で足を止める。 「やぁルルーシュ、おはよう。昨日はご苦労だったね、今日から学校かい?」 クロヴィスが、弟がかわいくて仕方ない、という顔をしてルルーシュに話しかけた。ジェレミアはルルーシュの背後で敬礼をする。 「おはようございます、兄上。はい、学校は今日から。スザクも共に」 「そうか。気をつけて行って来るんだよ。虐められたら私に言いなさい。ジェレミア、ルルーシュに怪我一つでも負わせたら、懲罰房行きだよ覚悟しておくように」 「い、Yes,Your Highness!」 「ジェレミア、本気にしなくて良い。兄上も、ジェレミアだって流石に校内までは入れませんよ。それより兄上は、私がいない間も、ちゃんと仕事をしていてくださいね」 本当なら一昨日から登校を始めるはずだったのだ。だが、総督であるクロヴィスが、未決済書類を溜め込んだお陰で、まずはそちらの分類から始め、結局総ての書類に判を押し終えたのが昨日の夕方だった。 「わかっているよ」 少し青ざめた、虚な笑いを漏らすクロヴィスの顔を(本当にわかっているのか)と言う目付きで睨め付けながら、ルルーシュは背後を振り返った。今日から共にアッシュフォードに通うスザクを待っていた。 朝一に起こされた後、ルルーシュの朝食を介添えし(基本的に早起きなスザクは早朝に訓練を済ませ先に朝食を摂る。)自室に戻って身支度をする。それだけの筈だが、それにしては遅い。 そう思いつつ、ちょうど背後を振り返った時だ。 急いで来たのだろう、ルルーシュが使った階段の上にスザクが姿を表した。だが、そのスザクの恰好に、ルルーシュは声にならない悲鳴を上げた。 ルルーシュの動揺を知らぬ気にスザクは遅れてごめんルルーシュ!と謝りながら階段を下りて来た。 「いい!いいから、走るな!」 「え?」 階段の半ばまで来て、ルルーシュの慌てた様子にスザクが立ち止まる。 「ゆっくりでいい!」 「やぁ枢木君、おはよう」 「殿下、おはようございます」 「今日も元気そうだね、ルルーシュを頼むよ」 「はい、任せてください。」 スザクは階段を下りきると小走りにルルーシュ達に近づき、クロヴィスに挨拶を返した。幼い頃からルルーシュと共に学んでいた学友でもあるスザクはルルーシュの親しいきょうだい達ともそれなりに親しい。14才になって軍学校に入り、つい先頃、優秀な成績を修めてルルーシュの騎士となった後では尚更、このかわいいけれど運動の苦手な(下手な訳ではない、決して。スタミナがないだけだ)弟の盾として、スザクを重用していた。 エリア11はスザクの故国である。その縁もあって、長く衛星国家のまま留め置かれたこの国にルルーシュが派遣されたのは、一週間ほど前の事だ。ルルーシュにとって初めての就任式は、エリア11が政情不安定と言われる理由の一つでもある反ブリタニア勢力のテロを警戒し、秘密裏に、厳かに執り行われた。だがどんな事にも抜け道はあるもので、ルルーシュのエリア11入りを聞き付けたアッシュフォード家がルルーシュに会いたいと政庁に訪問し、アッシュフォード学園に来ないかと誘った。これを逃したら学校生活など二度と送れないだろうと、本国では集団行動から逃げ回っていたルルーシュをクロヴィスが押し出したのである。 アッシュフォードは、今は亡きルルーシュの母、マリアンヌの後見を勤めてくれた、ルルーシュにとっては恩も縁もある家である。エリア11という、本国にしてみれば辺境の地に在るのも、マリアンヌがテロに倒れ、宮廷での力を失ったからにほかならない。 だがアッシュフォードの当主はそれをおくびにも出さず、祖父が孫に向けるような優しい態度と心でルルーシュに会いに来た。そしてアッシュフォードが経営する学園に通わないかと誘ったのだ。 Yes,と答えた三日後に、制服や教材一式は届けられた。教材を見る限り、教育については本国で大卒資格をとったルルーシュには甘いものでしかなかったが、恩人であるルーベンの頼みをルルーシュは無下には出来なかったのである。 記念すべき初登校は週始めの筈だった。が、前述の通り、義兄の仕事を手伝う事を優先した為に(いくら未成年とは言えルルーシュは自分がここに送られた理由を正確に理解していた、ので優先すべきは内政に関わる致命的な決裁の遅れであると言うのはわかり切った事でもあった)今日が初登校だ。制服に袖を通したのは届けられた初日だけで、学校の諸データもその日に一瞥したのみだった。 (き、聞いていないぞ) 「どうしたの、ルルーシュ」 どこを見ていいかもわからず、疾走する心臓を押さえ三メートルほど前の真紅の絨毯を茫漠と(他人からしたら睨むように)見つめていたルルーシュの視界にひょいと入り込む、紺のハイソックスに包まれたすらりとした脚。 「お、まえ」 「何?」 「そのスカートは何だ!」 「えぇ?」 これ?制服だけど、とぴらっとマイクロミニ丈の裾を摘んで持ち上げて見せるスザクの手を払い、ルルーシュはスカートを下ろさせた。 「やめろ、はしたない!」 「は、したないって言われても…」 スザクはぱちぱちと瞬きをして伺うようにクロヴィスを見た。 「どうしたんだいルルーシュ。そんなに取り乱して。よく似合っているじゃないか」 「ありがとうございます殿下」 にこやかに仲裁に入るフェミニストの義兄と、素直に礼を言う幼なじみに痛む頭を抱えてルルーシュが烈火の如く怒鳴る。 「そういう問題じゃありません!今だって、階段を下りる時」 「下りる時?」 「見えそうで」 「見えなかったでしょう」 「それはそうだが!」 「もう、ルルーシュは頭が堅いんだから!これが制服なんだ、学校に行ったら皆着てるんだよ?それとも君は学校の女生徒に片っ端からそう言って回るつもりなのかい?」 「そんな訳はないだろう!」 「じゃあルルーシュが気にしすぎ!パンフレット見たけど、皆こんな感じだったよ!」 「こんな感じって…」 ルルーシュは渋面でスザクの足元を見た。 上は良いのだ。シャツにネクタイ、ジャケット。ボタンの位置のせいで強調される胸元は、覆われているだけ目をつぶろう。だが、スカートは。 (何故こんなに短いんだ) マイクロミニ丈のスカートは、スザクの普段は表に出ない綺麗な肌と、疲れを知らず走っていけそうなしなやかな筋肉、それを覆う僅かな脂肪を滑らかに載せた大腿を惜し気もなく曝している。足元もぴたりとしたハイソックスに絞まった細い足首、踵の低いローファーと、カモシカのような俊敏性を備えた脚線美は少女の健康的かつ肉感的なプロポーションを教えていた。 激しく眉間に皺を寄せてそこまで考え、ふっと視線を上げたところにあるスザクの表情を見てルルーシュは慌てた。 「ス…」 「ごめんルルーシュ、僕着替えてくるよ」 見苦しいもの、見せてごめん、先に行ってて良いからジェレミアさんよろしく、そう言って踵を返すスザクにルルーシュは声を掛ける事ができなかった。 階段を上るスザクの後ろ姿を見送って(中はぎりぎり見えそうで見えなかった、ほっとした)肩を叩かれてはっと義兄を振り返った。 「謝っておいで」 「謝る?」 「何が悪かったかわからないかい?なら女性を泣かせた事、それ自体が罪だ、と思いなさい。」 ほら、行きなさい。背中を押され数歩進む。 「しかし、学校が」 「どうせもう二日も休んでいるんだ、少しぐらいの遅刻は気にするな」 クロヴィスはにっこりと笑って言った。皇族らしいと言えばらしい言い分に苦笑を漏らしたルルーシュは僅かに頷いて、階段を上った。 「なんだ、何が言いたいジェレミア」 「いえ、私は何も!」 そうか?と疑いの目で見られ、至極真面目に真っ当な学生時代を過ごしてきたジェレミアは途方にくれた。 「スザク!」 部屋に入る直前にスザクを捕まえる。スザクの部屋はルルーシュの続きの間、一つ手前の扉だ。 「ルルーシュ、学校は?」 振り返ったスザクの目は平素の穏やかさを取り戻していて、ルルーシュは何とつなげるべきか迷った。 「その、さっきはきつく言い過ぎてすまなかった」 「ううん、従者の身分を弁えなかった僕がいけなかったんだ、あんなところで大きな声を出させてごめん」 人の上に立つ者は、そう簡単に声を荒げるものではない。下に従うものにいらない動揺を齎すからだ。少なくともルルーシュは、冷たい声で対応することはあっても感情的に怒りの感情を怒鳴り散らす事はなかった。 「いや、動揺したのは俺の未熟さだ。済まなかった…ところでお前、着替えるって何を着て行くつもりだったんだ」 「え、っと、アッシュフォードのトレーニングウェアとか」 朝水溜まりで転んだとか言えば平気かな、とか。 「…却下」 「…じゃあ、ルルーシュの制服を借りる?」 「性別まで偽るつもりかお前は」 「個性って言ってよ」 「教室より先に生徒指導室に呼ばれるな」 「あ!」 「今度は何だ」 「…別に僕が生徒になる事はないんだ、SPだって言って張り付いてさえいればいいんだから」 「ばか。お前が張り付いていたりしたら学校に行く意味がないだろう、誰も近付いてこないだろうからな俺に」 「そっか…」 途方に暮れた様にスカートの裾を下に引っ張りながら少しでも脚を隠そうとするスザクの俯いたつむじを見た。 「別に隠そうとしなくて良い」 「でも、見苦しいだろ」 「見苦しくはない。はしたないと言ったんだ。…だが、それは宮廷に出入りする高貴な御婦人の話だったな」 「え?」 不思議そうな顔でスザクがルルーシュを見上げた。何言ってるのさ、ルルーシュ。訝しむ表情だった。 (素直すぎる、か、だが) 「俺達は唯の学生なんだ。皆その制服なんだから構わないだろう」 「…そう?」 「そうだ。」 「うん…ルルーシュが、それで良いなら。」 スザクがふわりと笑った。 「っ、だがスザク」 「うん?」 「階段を下りる時は俺の後から下りろ」 「え?」 「上る時は先導をしろよ」 「え?え?」 スザクにとっては突拍子のない事を言われて、だが主の言い分に戸惑いながらもYes,Your Highness.と返す。ルルーシュは満足気に頷いて踵を返した。 「ほら、早く行くぞ、遅刻だ」 「あ、本当だ」 スザクは慌ててルルーシュの後について歩いた。 「もう一つ、スザク。」 「何?」 「あまり大股で歩くな。あと走るな」 「二つになってるけど、」 「揚げ足をとるな!とにかく、わかったな」 「保証は出来ないけど、頑張るよ」 よし、と頷いてルルーシュは階段を降りた。スザクは首を捻りながらあとを追う。 思春期を男所帯同然のアカデミーで過ごしていたスザクは在学中も卒業後も軍のアカデミーの制服を基本に、男性に近いものを着用していた。女性らしい思考とも所作とも縁遠いが、その身体は間違いなく女性のもので、先日それを重い知らされてしまった身としてはそのギャップが心配の元だった。 まぁ、スザクの事だ、本意でない行為であれば自力で切り抜けられるだろうが。 自身の体力にコンプレックスを抱くルルーシュは複雑な心境で内心呟き、だが首を振った。スザクにだって不調な時や、どうにもならない場合はあるだろう、その時には (俺が) 守られるばかりではないのだ。守りたいと思う心は嘘偽りない真実。そのために不穏の元となる芽は摘み取る、もしくは生やさないに越したことはない。 「普通の学校なんて、久しぶり」 かつてこの地がまだ日本と呼ばれていた頃には、スザクとて学校に通っていたのだ。軍学校には一般教養もあり、他の学生は皆名誉ブリタニア人だったから、それなりに仲間意識も出来て楽しかった。だが、そこにはルルーシュが居なかった。 「楽しみだな」 日本人らしくない眼の色を持っているとしても、名誉ブリタニア人と言うのは名前を聞けばすぐにわかってしまうだろう。それがどんな波紋を生じさせるか、スザクにわからないはずがない。スザクの入学を許可したアッシュフォードの老翁の本意はどこにあるのか、それはわからないけれど。 (ルルーシュだけは傷付けさせない) スザクは小さく拳を握った。 似合わない訳じゃない!ただ、視線のやり場に困るだけだ! ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20080114 ブラウザバックでお戻りください |