Chrysalis turn into Butterflies. 父を殺して、最初の梅雨。 何をするのにも足を踏み出せない。けれど時々爆発的に高まる罪悪感と、それを押し殺す得体の知れないエネルギーとを外に発散することも出来ず、人恋しさと人への嫌悪で揺れていた頃。 梅雨の合間の午後、ルルーシュを連れ出して雑木林をさ迷い、がむしゃらに歩き回った。 掴んだ手は熱く震えていて、命の放つエネルギーを感じるのと同時に世界で最も触りたくない物にも思えて、思考はぐちゃぐちゃだった。 蝶になるはずの小さな命を奪った時、こんなものか、と思った。 紅く彩られた父の死の凄惨さに比べれば、蛹の中の白濁とした液体が命であったなどとは信じられなかった。匂いもなく、目に痛い毒のような色もない。 こんなどろどろが、揚羽蝶になるなんて、もっと信じられない。 何の為にそんな事をしたのか。ルルーシュには聞かれなかったから、少し安心していた。その時は特に理由なんてないと思っていた。常軌を逸していたと、今なら思う。 そして今なら、あの時わからなかった行動に、理由が付けられるような気がしている。 刀をしまえないなら、その刀で何を守る?どう決着を付ける? 蛹はルルーシュ達だった。淘汰の果てに消え行く命。あの頃、確かにルルーシュたちは、淘汰で消されるのをただ待つだけの存在だった。 蛹は殺せた。けれど、それに背を震わせるルルーシュは、殺せなかった。何故かはわからなかった。でも、殺せない事実があればこそ、守ろうと思った。 真ん中を食べれば大きく、縁を食べれば小さく。 父を殺した時、自分がもっと小さければ、父は死なずに住んだかもしれない。 父を殺した時、自分がもっと大きければ、父を別のやり方でとめることが出来たかもしれない。 ―――総ては仮定の話だ。過ぎた時間に“If”はない。 ランスロットのファクトスフィアーが、巻き上がる粉塵の中、熱源を素早く感知し、ゼロを乗せた無頼の爆発に紛れて、イジェクションシートを強制作動させたのがわかった。発射角が悪かったのか、本来は緩やかな放物線を描くはずのコクピットブロックは、見捨てられ老朽化したゲットーの工場区画の壁をぶち抜き、外に飛び出した。 ランスロットには未だイジェクション機能が完備されていないので、スザク自身経験したことはないが、脱出時、シートは後ろ向きに射出される。壁に穴を開けた衝撃はかなりのものがあった筈だ。 主を殺したゼロを討つ。 ユーフェミアを失ったスザクは、いつしか過去の出来事を他人の物の様に感じ始めた。それは、憎しみに乗っ取られて動くのがスザクなのか、それとも置いてきたものがスザクなのか、それすらも曖昧にした。 スザクの自我は極限まで削ぎ落とされている。 主を殺した、ゼロを殺す。非常にシンプルな行動理念。そう、もともと自分は個人主義だった。一つあれば生きられる。一念だけで生きていけるのだ。 その後のことは、今考えるべきことではなかった。 スザクは粉塵が収まるのを待ち、ランスロットを壁に開けた大穴へ向かわせる。 たいした損壊もないランスロットで、瓦礫に埋まった無頼のコクピットを掘り起こした。ハッチを無理矢理剥ぎ取り、スザクは刀を手にランスロットから降り立った。この刀は、コーネリアから下賜された物だ。本来なら名誉ブリタニア人が自国の武器を持つなど許されない。それが許可されたのは、一重に妹を殺された怨みを一番に共有出来たのがスザクであった事、ゼロを追い詰める可能性が自身の他にはスザクがもっとも高い可能性を持っていたからだろう。 瓦礫の壁を抜けると、澄み切った夜空の下、コクピットの座席に当たる位置に、背後の椅子と同化するような黒いマントと仮面が、星の光にくっきりと浮かびあがって見えた。 スザクは、念のため腰の後ろに付けたホルダーに収められた銃を確認すると、気を失っているらしいゼロに無造作に近付いた。 憎らしい仮面。何度悪夢に見た事か。 スザクは傍らに立つと、刀を抜いた。 いつか、父を殺した同じ武器で、父と同じ様に周囲を欺き人を犠牲にし続けたゼロを、変わらない自分が殺す。 無意識に自嘲を漏らしながら、ゼロの僅かに上下する胸に切っ先を宛がった。 星の光に、切っ先がきらりと光を反射する。 目を射るそれを眇める事で回避して、逆手に握った柄を垂直に胸に突き立てた。 「さようなら、ゼロ」 突き刺した瞬間にびくりと痙攣した体は陸に揚がった魚の様に跳ね、刃を胸から抜こうとするように手に握ったが、地面に縫い付けるが如くに突き刺さった刃は抜ける筈もなく、ゼロの黒い手袋を裂き、女の様に白く細い指先を露にした。 ゼロの抵抗は、だが、それだけだった。 じわりじわりと広がる紅は、スザクの足元に達し、錆のような鋭い臭気を放つ。 やがて落ちた手が力を失い、仮面が仰のいた。 それを確認して、スザクは装着したヘッドセットを操作し連絡を入れる。 後は処理班が来て如何様にも処理してくれるだろう。 処理とは様々なものをさす。戦場となった場所の処理、味方のみならず敵の遺体をも回収し、厄介事の目を摘む。 ―――もしかすると、自分も共に処理されてしまうかもしれない、と思ったが、それならそれで構わなかった。星を見ながら思う。 あぁ、夜だ。 ふと思い付いて、ゼロの遺体に近寄る。そういえば、ゼロとはどのような人間であったのか、スザクは全くと言っていいほど仮面の下に興味を持つことはなかった。 一度、ロイドが言った。 「ゼロって可哀相な人だね」 「仮面の下が透明人間でも僕はおどろかないよ」 この国のしてきたことを考えればね。 その時は、何を馬鹿な事をと思いながら、それは透明人間じゃなくて、幽霊とか怨霊とか言うんじゃないですか、と言ったら何故かイレブンの文化に詳しい上司はそう、それそれ!と嬉しそうに言った。 血溜まりに踏み込んで、仮面に手をかける。外し方は外す様子を見たことがなかったからわからなかったが、仮面を前後に動かしたら後頭部の部分が外れた。 現れた漆黒の髪に、凪いだ心臓が、一度ドクリと疼いた。 ごまかすように、勢い良く仮面を取った。からん、と仮面の落ちた音は、スザクには聞こえなかった。現れた、血の気のない白皙。固く瞑られた瞼の下の色を、自分は良く知っている筈だった。口の端に飛び散った鮮血は、口の中を噛み切ってしまったのだろうか。 そんな筈はある訳無いのに、益体もないことを思って、スザクは呆然と立ち尽くした。 急に、足元に触れる紅が恐ろしくなって、スザクは足を踏み出した。けれど、覚束ないままに踏み出した足は冷えたそれに取られ、びしゃりと地面に着いたグローブを汚した。 白いパイロットスーツに、暗赤色は目に映えた。 そう、この色は、ルルーシュの命の色。 もう一度ゼロの姿を視界に写す。黒色でカラーリングされた無頼のコクピット、広がったマント。いっそ滑稽な程に正義を標榜するゼロ、彼が用いる黒という闇の色は、喪われ逝く命への弔意かと、昔誰かが言った。 ―――蝶になれなかった蛹を思い出す。 堅い殻の中は、原初の生命で満たされていた事。 ―――夜色の堅い仮面の下で、君は命の産声を上げていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 20070724 ブラウザバックでお戻りください |