Fragment of broken WING


 蝉が鳴く頃日本に来て、淋しくなっていく景色に胸を締め付けられ、寒い冬を越し、新たに萌え出ずる新緑に感嘆し、少しずつ上がっていく気温に不快指数が上昇し始める梅雨の最中、たまの雨上がり。
 元々が活発な人間であるらしいスザク少年は、苛々しているようだった。ルルーシュは、もともとの性状故にいくら室内に篭っていても苦にならない。(洗濯物の渇きにくさに辟易してはいる)冬の間に枢木の別邸に居を移してからは、ルルーシュ達ブリタニア兄妹も母屋に共に暮らせるようになっていた。
 おかげで、今までよりもスザクと共に過ごせる時間は増えた。
だがその増えた時間中、スザクは外を眺めながらぼうっとしているか、空元気で賑やかに騒いでいるか、隣接された道場で素振りをしているか…。口には出さないが、昨年の夏の姿が本当なら、スザクは活発な人間であるはずだ。近頃幾分大人しいのは、雨の夜の出来事のせいと、やはりこのじめつく天気のせいなのだろう。
 今も、ナナリーに物語を読みながら、開いた障子から外を眺めるスザクを横目で眺めると、苛立ちが燻っているのが透けて見え、甚だ居心地が悪い。


「芋虫は少女に言いました。"私の下にあるきのこ、縁を食べれば小さく、真ん中を食べれば大きくなれる"。けれど、少女は言いました"あなたがいては、私はきのこを食べることが出来ないわ"。その言葉を聞くと、芋虫は突然怒り始めました。体を膨らませて、背中が盛り上がっていくと、真ん中から皮膚が破れ、中から美しい羽を持つ蝶が生まれました。"お前が私を怒らせるから、私は蝶になってしまった、私はまだ芋虫でいたかったのに"芋虫だった蝶は、飛び去っていきました…ナナリー?」

 ふと、文字列から目を離して目前に座るナナリーの様子を見ると、ナナリーはこっくり、と舟を漕いでいた。すうすうと小さな寝息も漏れ聞こえていて、眠ってしまったようだった。
 時計を見れば、午後三時過ぎ。ちょうど昼寝の時間だった。ルルーシュは小さく笑って、和室の押し入れの下段からナナリー用の布団を出して敷き、ナナリーの小さな体を抱えて布団に横たわらせた。
 ナナリーの平和な寝顔を見ていると、不意に、背を向けていたスザクの抑えた声がルルーシュを呼んだ。
「ルルーシュ」
「…なに、」
「雨が上がった」
 外に行こう。



 どうして、とは問わなかった。




 玄関に回るのは面倒で、裏口から外に回った。裏口は雑木林に繋がっていて、冬に落ちた葉が、この長雨に腐って、地面はふわふわとしていた。
 ルルーシュははっきり言って、この感触があまり好きではない。足の下に何がいるかわからない不気味さは、怖気が走る。
けれど今は、ルルーシュの前をずんずんと歩くスザクの姿に着いて行くしかない。スザクは袴で、白い胴衣が曇天の薄日に滲むように見えた。
じっとりと熱を篭らせた、水気を多分に孕む空気が頬を撫で、羽織った白いシャツを肌に張り付かせる。
 ずっとスザクの後ろ姿を見て歩いていると、足元の不安定さも手伝って、くらくらと眩暈を覚えた。
 瞬きをして気を抜いてしまったら転んでしまいそうだ。じっとりした空気は服の内側に入り込み、皮膚を濡らして冷やす感覚や足元の悪さへの嫌悪、そして黙ってルルーシュの手を引くスザクの態度に不安が込み上げて来て、胸に不快感が溜まり、腹部が痛む心地がした。



 歩いていたスザクがふいに足を止めた。スザクの背中だけをひたすらに見て歩いていたルルーシュは、スザクの背中にぶつかり、分厚い生地が吸った湿気を伝って感じたスザクの高い体温に総毛立ち、慌てて離れた。
 同時に、掴まれていた手も取り返す。
「どうしたんだ、スザク」
「蛹だ」
「は?」

 左手前に見えていたスザクの肩位の背丈の若木に近づき、葉の上に満たされた雫が散るのも気にせず、スザクは葉を退けた。

「あぁ、蛹か」
 ルルーシュは先ほど読んでいた物語を思い出した。


 芋虫から、蝶になった道先案内人。
 彼女は、蛹にならずに大人になった。
 その姿はこの世のものとも思えない美しさ。
 夜の闇より深い漆黒と閉じ込められ死んだ宝石の最後の一声を熔かし混んだ繊細な羽。


 蛹は枯れた茶色をしていた。若木の幹に、糸で体を括り付け、羽化する日を夢見て眠っている。
−−−強固な揺り篭の中で。



「これってさぁ、中はどうなってるんだろ」
「は?」
「開けてみよう」

 ジュースを飲むのにプルタブを開けよう、と言う位の軽さでスザクは言い、ルルーシュは一瞬理解が追い付かなかった。
 しかし、言葉が脳に染み込み、理解すると同時に嫌な汗と頭痛がしてくる。
「やめろよ」
「なんで。」
「生きてるんだぞ」
「こんな時期にまだ蛹でいるのんびりした奴は、どのみち腐るか、さっさと鳥に食われておしまいだって」
「それでも、」
「じゃあお前は向こう向いてればいいだろ」

 スザクの常磐の目が、常軌を逸したように輝いているのが気持ち悪い。

 スザクは地面を探って、先端が鋭く裂けた枝を持ち上げた。葉の張り付くそれは、濡れて黒々としている。
 スザクは葉を払って落とすと、再び若木の枝を退けて数度、突く。
「やめろって言ってるだろ」
「じゃあ止めてみろよ」
 もう遅いけど。

 言葉と同時に、蛹の背中を木の幹に押し付けるように、小枝に力を込めた。小枝が撓む。

 足が縫い留められたように動かなかったルルーシュは、その瞬間、顔を背けて力のかぎり目をつむる。緊張に、こめかみの血管がどくどくと脈打ち、皮膚が引き攣るのがわかった。冷たい汗が、髪の隙間を流れて血管を冷やす様に流れ落ちる。

 雫の垂れる音に紛れて、メリ、とか、バリ、だとか、そういう音は聞こえなかった。
 そうっと、顔を元の位置に戻すと、スザクが小枝を捨て、退かした葉をがさがさと戻した所だった。

 やっと動くようになった足をぎこちなく動かしてルルーシュはスザクの傍に寄る。葉で隠されて、蛹は見えなかった。

 スザクが、熱い手で再び、ルルーシュの腕を握った。
「戻ろう、ルルーシュ。ナナリーがもう、起きてるかもしれないし」
「!あ、うん…」
 びくりと震えて、足を踏み出す。 
 
 立ち去る寸前、スザクが歩き出す間際、蛹の居た場所を見た。 
 
 葉の隙間から僅かに見えたの は、

 白濁に塗れ形の崩れた、褐色の葉のような―――抜け殻



――――命、の。








 下腹部がひくりと痙攣した。
 胸が塞がれたような苦しさと、引き絞られる眼球の痛みに堪えられず、ルルーシュは握られた手を振り払い、スザクを追い越し、雑木林の出入口まで駆け戻った。
 裏口に据えられている流しに向かい、堪えていたものを吐き出す。

 きもちわるい――――かなしい。

 嘔吐き、昼に食べたものをびしゃりと吐き出した。
 それが先ほど見た命の残滓に見えて、口の中に満ちる酸の刺激が更に胃を痙攣させた。

 吐瀉物は既に形を崩していた。
 生きるために摂取されたそれが、先ほど失われたそれに重なって見え、体内にそれがあることが心底恐ろしく悍(おぞま)しく、許せなくなった。

 己の中から排除されたそれが排水溝に姿を消すのを見て、胸に支えたものがなくなると、スザクが背後に立つ気配に気付いた。

 スザクが堪らなく怖かった。
 肩に、背中に宛がわれた手は、優しげにルルーシュを撫でている。
 けれど、その手が、先ほど無抵抗の命を奪ったのだと、自然の淘汰には逆らえないだろうと口走ったのだと思うと、何故か、無性に怖かった。

 スザクがどんな眼でルルーシュを見ているのか。何も言わないスザクが怖くて振り返ることが、ルルーシュには出来なかった。


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20070724






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