ある男と少年











 From another Angle.




 黒川が枢木スザクと出会ったのは、二年前の事だ。
 二年前、黒川は、妻と、その半年前に生まれた息子と共に名誉ブリタニア人となった。日本がイレブンと呼ばれるようになって五年が経った頃である。
 当時、東京でサラリーマンをしていた黒川は、ブリタニアの侵攻から辛うじて逃げ延び、シンジュクゲットーで暮らすようになった。そうして四年が経つ頃、妻が懐妊した。
 エリア11が日本であった頃には待ち望んでいた子供であったが、今の苦しい生活下では、明日の食事も満足に摂る事が出来るかも危うい。だが、親切な隣人の老夫婦のお陰で妻は無事、2300グラムの男子を産んだ。子供の名前を悩んだ末に、イズミ、と名付けた。
 だが、イズミには持病があった。度々熱をだし、湿疹が出来る。小児アレルギーである。シンジュクゲットーに居たのでは満足な治療も施すことができない。
 黒川は、老夫婦と妻に相談し、名誉ブリタニア人となって租界内に住居を移すことを決めた。
 幸い、黒川は身体能力に優れていたので、軍に所属することを条件に家族毎の移住が許可された。


 黒川が枢木スザクに初めて会ったのはその時だった。


 一等兵は、武器の所持も許されない下級兵である。名誉ブリタニア人、この場においては元イレブンで構成されたその部隊は、エリア11総督にして神聖ブリタニア帝国第三皇子クロヴィス・ラ・ブリタニアの親衛隊の直属下部組織に組み込まれる事になった。
 第三皇子による人気取りの為のパフォーマンス。黒川達の部隊はその為に集められた役者なのである。ブリタニアはナンバーズを弾圧、社会的弱者になどせず、列記とした戦士として扱っているのだ、と。だがその実態は、作戦時に武器の携帯も許されない、過酷な事態に堪え得るようにと課せられる、厳しい訓練の日々だ。所詮は使い捨てと、軍人達の八つ当たりのはけ口にもなっていた。

 実際本国や、特に純血派と呼ばれるブリタニア人で構成される上層部はクロヴィスのこの案に反対だったのだ。ナンバーズを区別することはブリタニアの国是であり、弱肉強食を謳う皇帝にとって戦争に敗れた日本など弱者でしかない。
 だが、統治に優れているとは言えない第三皇子はイレブンの反乱を何よりも恐れ、皇族らしくない融和政策を打ち出した。名誉ブリタニア人を親衛隊直属にするのも、彼の人気取りの一環なのだ。

 その名誉ブリタニア人部隊に、枢木スザクは一人、異色の存在として浮いていた。構成員に年齢は関係がない、が、枢木スザクは間違いなく最年少の部類に区分されるだろう。

 そして、異色な点。

 部隊構成員はそれぞれがそれぞれの理由を持ってここにいる。
 ましてやこの時期の入隊は、今まで頑なに反抗して来たブリタニアの支配に、何らかの理由で遂に膝を屈した人間がおおよそだ。集った人間に一律して同じ点、それは皆何処かに鬱屈としたものを抱えている事である。故に皆、自分の事を語りたがらない。語れば不幸自慢が始まるか、ブリタニア人への批判になるかのどちらかだ。
 前者はプライドが、後者は体制が許さない。

 だが、枢木スザクには付き纏う不健全さがない。
 凛とした佇まいはそれだけで異色だが、まだ幼いと言える顔立ちに湛えた厳しい表情は新米兵士が浮かべるものとは一線を画していた。

 佇む姿は真っ直ぐで美しく、稚い風情であるのに何事にも動じない百戦を修めた武士のような雰囲気。例えるなら、打ち立ての若々しい日本刀のような。


 整列する時、枢木は黒川の左隣に居た。初めての点呼の際、呼ばれた枢木の名に、その場に居た兵士達の間には一瞬のどよめきが起きたが、枢木は何事もない顔をしてやりすごした。たいした鉄面皮だと思う。
 兵舎の部屋割でも枢木とは同室になった。だが、特別何かを話す訳でもない。
 枢木は部屋に居れば黙々とトレーニングをし、時々ふらっと外に出ては人気のない場所で瞑想にふけっているようだった。
 過去一度だけ、その場に踏み入ってしまった事がある。














 ざり、と足元の砂利同士がこすれて音を立てた。その瞬間、数十メートルは離れていた筈の枢木の背中がこちらを振り返った。
「…すまない、邪魔するつもりはなかったんだが」
「いえ、逆に気を使わせてしまったみたいで、すみません。」
 一緒に涼みませんか、と枢木が笑った。年に数回ある演習の為に山中に来ていた。

 テントの中は蒸し暑く、涼を求めて抜け出して来たのだが、他の人間は昼間の演習に体力を使い果たし、暑さも気にせず眠っている事だろう。
 明日も演習がある。黒川も本当なら眠らなければ明日に差し支えると分かってはいたが、暑さは一度認識すると堪えられるものではない。
 我慢し切れずテントを抜け出そうとして、同室者がいない事に気付き、涼を求めてせせらぎのする方へとやってきたのだ。
 枢木から数メートル離れた所に座りながらその姿を改めて観察する。
枢木は成長した。
 時々家に帰って目にする我が子の成長は目を見張るものだったが、この二年で枢木も大分変わったと思う。棒の様に細かった体に厚みが出来て来た。
 初めはきつい光を宿していた目が柔らかなものを孕むようになり、頬はそげたが持つ雰囲気は随分柔和になったと思う。

 軍に入って柔和になった、なんておかしなものだが、始めが始めであったし、強張りが溶けてきたと考えればなにもおかしな事ではない。
 隊員達だって、始めは苦しい過去を引きずり荒んだ目をしていたが、今ではそれなりに会話をするし、苦しい訓練に精一杯で過去を思い出す暇もないのが正直な所である。

「どうしたんです、こんな時間に」
「寝苦しくて起きてしまったんだ。そういう君は」
「同じです。別に黒川さんの寝相のせいじゃありませんから気にしないでください」
「言ったな」
「?何がです?」
「…いや、別にいい。」
 付け足そう、枢木は天然だ。


「それはそうと、昼間はやってくれたな」
「え?」
「河上の事だよ」
「あぁ、別に…あのままあそこに置いてくるわけにはいかないじゃないですか。後続の部隊にも迷惑が掛かりますし」

 昼間、あまりの蒸し暑さと過酷な山中訓練に意識を失った同じ班の河上を、枢木は背に負って一時間ほどを行軍した。
 河上は班の中で最年長の男だ。だが、演習で脱落すれば、さらに訓練が課される。名誉ブリタニア人部隊は、そういう場所だった。
 結局河上は一時間ほどで目を覚まし、後は自力で動く事が出来た。幸い、監視のブリタニア上級兵士に見つかる事もなく済んだが、正直黒川は行軍中、冷やりとした物を感じざるを得なかった。
 そういう弱いものを放り出せないところが枢木には、ある。
 若さゆえの潔癖か、情に篤いのか、それとも。

 黒川は小さく頭を振って、話題を変えた。
「そういえば、昼間に演習でこの辺に来た時、君はやけに川を気にしていたな」
「…気付いてたんですか?やだな、恥ずかしいです」
 笑う枢木に言ってやる。
「俺はお前の相棒だぞ、わからなくてどうする。…何が気になったんだ?」
「たいした事じゃないんですよ。ただ、子供の頃に、こんな感じの川でよく遊んだなっていうのを思い出したんです。友達と三人で。」
「ほお」
「僕と、兄と妹のきょうだいで、兄の方が僕と同い年だったんです。始めは、僕が勘違いして、喧嘩してて。けど、いつの間にか三人で遊ぶのが当たり前になってました。夏に、こんな川で水遊びをしたなって、思い出してたんです」
 懐かしいな、と微笑む枢木が、歳相応の顔をしているような気がして、黒川も頬を緩めた。身を乗り出して、枢木の天然パーマを更に鳥の巣にする。
「うわ、何するんですか!」
「いや、何と無くだ」
「何と無くって…」
 情けない顔をして呟くものだから、黒川は愉快な気分になって笑った。
「いや、君も、まだちゃんと子供らしい部分もあるんだなと思って安心したのさ。大事な思い出と友達だったんだろ?」

 悪気があって言った言葉ではなかった。美しい過去の追想を語る彼の様子がとても子供らしい純粋さに溢れて見えたのだ。

 だが。

「そんな事ないです。彼の事も、この川を見て、久しぶりに思い出した位なんです。昔は、もっと頻繁に彼の事を思い出していたのに。」
 そう思うと、僕って、とても薄情な、酷い奴なんじゃないかって思うんです。

 そう俯く。
 しばらく、せせらぎの音だけが二人の間に響いた。

「なぁ、枢木。お前は、なんで軍に入った」
「…父さんの作った平和を壊さない為です。あそこにいると、僕は…自分は、反ブリタニア勢力の旗頭にされてしまうと思った。だから…」
「…そうか。お前は、まだ若いのに沢山のものを背負ってるんだな」
 そんな事ない、と言おうとする枢木を遮って続ける。
「けどな、枢木。人一人に背負えるものなんて、たかが知れてるものだと、俺は思う。」
「…」
「俺は、妻と息子の為に軍に入った。俺の背負うべき大切な宝だ。全てを賭けて守りたい。だからブリタニアに頭を下げて、こうして従ってる」
「ええ」
「俺には二人を守だけで精一杯なんだ。けど、お前は自分の大切なものだけじゃなく、父親の背負ったものや、それ以上に沢山の人間を背負い込もうとしてる。重過ぎないか?」
「でも、原因は自分にあるんです」
「それでお前自身が潰れてちゃ、お話にならないだろう。いいか、枢木。何もかもを背負おうとするなよ。今のお前は軍人なんだ。抱えられるものは、そう多くない。見極めるんだ、大事なものを。でないと、全てを失いかねないぞ」

 それは、自分や大切な者の「死」。

 黒川はそれを何よりも恐れていた。妻と子を置いて死んでしまうことが何よりも深い恐怖だ。罪悪であるとすら考えている。
 けれど、枢木は、彼はそうではないのか。
 横たわる沈黙に、いたたまれなくなる。枢木を窺うと、彼は視線を川面に滑らせてじっと動かない。

 痺れを切らせて、黒川は立ち上がった。

「すまない、差し出がましい口をきいた。今のは俺の個人的な見解だ、お前にはお前の見方があると思う、それを否定することは俺には出来ない。…先にテントに戻る」
 口早に言って、歩き出す。枢木は身じろぎすらしなかった。


 結局、テントにかえってきてからも寝ることは出来なかった。枢木も帰ってこない。まんじりともしないまま、夜明けが来た。
 黒川はついに訪れなかった眠気に見切りを付け、キャンプの誰より早く起きて火を起こした。
 湯を沸かしていると、漸く枢木が姿を表した。
「おはようございます」
「あぁ」
「…昨夜はありがとうございました。僕なりに、一生懸命考えてみたんですけど、やっぱり僕には、皆大切なんです。だから、どれかなんて選べない。切り捨てる位なら…」
 そこで枢木は言葉を濁したが、黒川には何と無くだが続きが読める気がした。

「けど、昨日の貴方の言葉で、少し気が楽になりました。ありがとうございます。それと、心配をおかけして済みませんでした。」
「ああ、いや」
「あ、朝食の用意、手伝います。」
 その後の枢木は、全くいつも通りだった。
 だが、それこそが、枢木の持つ強固な仮面の証のようにも黒川には思えた。

 枢木の背負うものが重く苦しいものであることは、その一晩で何と無く読み取ることができた。そしてその晩は枢木と黒川の決定的な違いが露呈した日でもあった。
 黒川は、枢木の選択を否定も肯定もしない。だがそれは無関心であるのとは違う。
 ただ、この数奇な宿命を背負う青年を見届けなければならないと思った。黒川の独断であり枢木には全く関係のない事ではあるが、同室同班の縁と、大切な思い出の一端を聞いた者の端くれとして。そして、一児の父として。
 息子に重いものを背負わせないために、黒川は此処で死ぬわけには行かないと、枢木を見る度に思うのだ。




 そして。





 第三皇子クロヴィスを枢木が暗殺した報が流れたのは、その三ヶ月後の事だった。







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 20070519





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