Hello、Hello、Again



 ただ、虚無を抱えていた。
 カチコチ、とレトロな置き時計の秒針が音を響かせ、時折長机を挟んで斜め前に座っている彼の手元で、本の頁がめくられる音が混じる。
 パソコンや、コンピューター普及の時代になっても公式証書は相変わらず書類仕様だし、重要な事は紙の上に印さねば証拠として用を成さない。いつまでたっても紙媒体はなくならないな、と頭の片隅で益体もないことを考えながら、もう一方の端では現実逃避だと断じる声が響いている。

 そう、こんな事を考えているのも現実逃避。

 学校に来たのも現実逃避。

 いや、学校に行けというのは主の最期の言葉でもあった。結局自分で舵を取ることが怖くて、人の言うことに諾々と従ってしまうのが己の本性なのか。そして思い通りにならなければ壊す。力でもって排除する。父をそうしたように。本当の自分は、とても醜い。人の為といいながらその実は自分が無為に生きているのが耐えられないだけなのだ。父を殺した。日本を滅ぼした。大切なものは何だったのか。皆が平和に暮らせるばしょ。
 幼い頃から枢木の嫡子として、父の事をそれなりに尊敬していた。何期も続いた、枢木政権。その大きな名前は、自分にとってとても大きな背中であり、絶対の正義だと思っていた。だが、父は、優しい彼を、殺そうとした。 光を失い歩行すら困難な幼い妹と、そんな彼女の為に国に捨てられることを甘んじて認めた、可哀相な優しい皇子を。だから。
 父を殺したのだ。
 正しくない事を行おうとする父を止めたかった。父の背を見て培われた正義が、兄妹を害そうとする父を殺させた。しかし子供の自分は無力だった。 だが、スザクは真の意味で全くの無力ではなかったのだ。嗚呼、まさか人がこんなにも簡単に死んでしまうものだったなんて!!
 沢山の死を見て来たつもりだった。初めて投入された人型の装甲兵器による虐殺は、その火力と圧倒的な力に因って人々の遺骸を無惨に晒した。大きな力によって奪われた命を見て来た。けれど、違った。本当は、人の命を奪うのは強大な力を持つものだけではないのだ。鉛玉一つ、鉄の棒一本で事足りてしまうのだ。
 父の大きな背中が血に染まって、父の目が信じられない、というように見開かれるのを、言葉もなく呆然と眺めていた。呆気ない。人の命とはこうも簡単に失われてしまうものなのだと、目の前でどすん、と音を立てて転がった父を見た。最初は実感がわかなかった。けれど、父の背中から刃を引き抜き、どっと広がる紅に、後戻りはできないことを知った。父も、そうだったのだろうか。

 このままいけば、日本はブリタニアと戦うしかなくなる。そして玉砕する。誰の目から見ても判る、それほどまでに新型装甲兵器、KMFの力は強大だった。連日枢木の家を訪れる大人達は、ブリタニアへの悪口雑言を並べ立て、具体的な計画は全て失敗に終わっていたようで苛立ちからか常にせかせかと、肩を怒らせて歩いていた。
 幼いナナリーが怯えてしまうといけないからと、ルルーシュとスザクは土蔵の中に引きこもることが多くなった。外の様子や情勢が判らないと不安に曝されるルルーシュを見兼ねて時々は外にこっそりと抜け出したりもしたが。

 そして見た世界は、茜色をしていた。
 イメージの問題であるが、侵攻された国の、まさしく夕暮れが広がっていた。
 海に囲まれ、小国ながらも独自の文化を持ち、時代の最先端技術を担う資源国家の、斜陽の時だった。
 そして焼かれる、日本人達の遺体。
 丸太に組まれ、可燃性の燃料を注がれ、黒い煙を立てて轟々と燃える中朧げに見える人影が目に焼き付いて離れなかった。
 もう、誰にも死んでほしくなかった。

 スザクが父を殺したこと、枢木首相の死は敗戦シナリオをとうに読んでいた桐原翁以下京都六家によって秘匿され、日本国最後の首相枢木ゲンブは、徹底抗戦を称える鷹派を押さえるため自ら割腹自殺をしたのだと伝えられた。
 父を殺したスザクの罪を罰してくれる者は居なかった。
 だからスザクは自らを断脚しなければならなかった。
 父を殺した直後、空っぽだった頭の中に、桐原翁の言葉は焼き付いた。

 だから、ルルーシュ達を守ろうと思った。守って死ねたらいい。彼らのためにだけ、自分は力を振るおう、と。
 ルルーシュは、それを否定しなかった。けれど、力の向かう方向にひねりを加えることで、スザクをも守ることになる理論に、なきたくなった。絶対に、守る。新たな決意を固めた。
 しかし、そのルルーシュとも引き離され、スザクは桐原翁に軟禁された。
 連日聞かされるブリタニアへの批難と、軟弱と罵られるかつての師匠の名。耳を塞ぎたかったが、それは許されないことだった。枢木の嫡男として。父を殺した男として。国を敗戦に追い込んだ責任を、小さな子供に償わせる事はなかったが、守りたいと願った自分が、今度は戦争の旗頭にされていると気付いた。

 今となってはわからないが、周囲はいつか来る日本再興の時、悲劇の生き残りとして自分を担ぎ出すつもりだったのだと思う。
 父の呪縛からは逃げられない。父の生前、自分は散々甘い蜜を吸っていたのだから。

 守るために、大人達の会話に耳を澄ませていた。自分の近くで、自分の知らない事がある事は許せなかった。普通の子供なら、知るべくもない沢山の事を聞かされ知った。ありがたいとも思わなかったが、決意を固めるには十分だった。

 不義を罵られようとも、自分はもうここには居られないと思った。自分がいるから、ここを訪れる人々は、武力に依る日本奪還を諦め切れない。徹底抗戦を唱えた枢木ゲンブの息子が存在するから!

 だからスザクは、家を出た。
 名誉ブリタニア人になった。
 自分が率先してブリタニアに膝をつく事で、武力で訴える日本奪還は無意味なのだと…新たな悲しみを生むだけなのだと、気付いてほしかった。そして、ブリタニアの中で、日本を取り戻したいと思ったのだ。


 その思いを同じく、理解をしてくれたのは、亡き主、ブリタニア第三皇女、ユーフェミア・リ・ブリタニアだった。誰からも否定されたスザクの意思を聞いてくれ、認めてくれた。ルルーシュにさえ否定された考えを!
 しかし、その彼女ももう居ない。
 行政特区日本を設立し、地域制限付きとは言え、日本人という呼称を認め利権を認められる、小さな日本。
 小さいけれど、今までナンバーズの台頭を認めずに弾圧という形で治めて来たブリタニアにしてみれば大きな一歩だと言える。だが、この旧日本地域に現れた、組織的な反ブリタニア勢力「黒の騎士団」のリーダー、スザクにしてみれば二度、過去に助けられた借りを持つ謎の仮面の男、ゼロ。
 ユーフェミアは、彼に殺された。彼自ら手を下したのを、スザクは見た。血に染まる主君を、スザクは助けることが出来なかった。


 死の間際、ユーフェミアと話したが、少しの錯乱状態と、直前の記憶の欠落が見られた。思えば、ゼロの出現当初から、それに類似する状態は多々見られていたのだ、関係づけられていなかっただけで。
 スザクにも確かに覚えはあった。ならば、ユーフェミアの最期の命令は彼女本人の言葉ではないのではないだろうか?
 スザク自身、心当たりのあるその時には、自らの心と正反対の言葉を紡ぎ、行動を起こした。ユーフェミアもそうだとしたら?誰かが、否、状況からゼロしか有り得ない、彼に拠って捩曲げられた、ユーフェミアの意思。


(許せない)






 パラリ、と雑誌がめくられる音が響いた。随分と思考の海を漂っていたのか、彼の手にある雑誌の頁はすでに終盤だ。
「…ねえルルーシュ」
「何だ」
 雑誌に落とした目線を上げない侭、ルルーシュが答えた。正直有り難い。この、憎しみに凝り固まっているだろう顔を、彼には見られたくなかった。
「もしも、もしも、だよ。今ナナリーが死んでしまって…殺されてしまったら、君はどうする?」
「有り得ないな」
 即断。考えるまでもない。彼は、ルルーシュは、持てる力全てを賭けてナナリーを守ろうとするだろう。そして、ナナリーよりも後に逝くつもりも、ないのだ。
 ルルーシュが死ぬのは、ナナリーを守る時なのだろう。母を亡くした時、自分だけが無傷で生き残った、その後ろめたさもあるのかも知れない。だが、どんな理由であってもルルーシュにそこまで思われているナナリーが少しだけ羨ましい。
「だが、もしも、その時は」
「うん」
「俺は俺の生を全うして逝く」
「…え?」
 思ってもみなかった事を言われて、戸惑いがそのまま口をついた。
「何をそんなに驚いているんだ」
 いつの間にか雑誌から目を上げてスザクを見ていたルルーシュと目があった。スザクの間の抜けた顔にルルーシュの顔が苦いものを孕んだ。
「…多分、お前は、俺がすぐにナナリーの後を追おうとするんじゃないかと思っただろう」








 スザクは答えなかった。顔を再び俯けてしまう。先程からじっと、残った片目で雑誌ではなくスザクの様子を探っていたのを、スザクは気付いてもいないに違いない。静寂の中でスザクの表情は、その大部分が影となって見る事は適わなかったが、纏う雰囲気が思考を顕著に表していた。
 再会してから纏っていた穏やかさをかなぐり捨て、暗く憤る、白い騎士。

「だが、ナナリーは、何を望むだろうかと最近考えるんだ」
「…ナナリー、が?」
「ナナリーは、俺が後を追う事を許してくれないんじゃないか。…後を追う事を許してくれるなら、望んでくれるなら、俺は喜んで後を追うさ。けど、ナナリーは、俺がやりかけた事を放棄して後を追う事を許してはくれないんじゃないかと思う…勿論、只の想像だが」
 ふ、と苦笑を漏らしたが、スザクは無反応だった。


 一つ、起爆剤を落としてやる。


「俺の知ってるユフィなら、やはり同じ様に思うんじゃないかと思うぞ」
「…」
「後を追ってほしい、なんて、思いもしない筈だ。…お前を学校に通わせるように言った偉い人って、彼女なんだろう?」
「…うん」
「なら、彼女が望む事もわかるだろう?」
 だから、お前はここに来たのだろう?そう、ユフィの望みの通り。それを思うとルルーシュの心は複雑だった。スザクの主への嫉妬と、自分達を選んでくれた事実に、僅かの優越。
 スザクが、例え上官の命令に反しても、己の正義を貫く人間であることは七年ぶりに再会した日に起こった事を考えれば分かる。
 そして、ルルーシュはゼロとしてスザクに相俟見えた時に、彼の口から直接聞いているのだ。

 ここに来たのはユフィの望みでも、それを受け入れたのは、スザク自身がそれを望んでいたからなのだ。

「勿論、彼女の望みの侭に振る舞う義務も、もうない。お前はお前だ。お前の為に生きたっていい。むしろユフィは、それを望むんじゃないか?…お前が、お前自身を好きでいられる為に」
「…!」
 スザク、お前はお前の選ぶ道を選べば良い。ルルーシュは心の内で呟いた。
 そう、俺はもう、選んでしまった。
 きょうだいを手に掛け、血塗られた王道を進む事を。そしてその道は、スザクと重なる事はないのだ。
 どちらかの夢が叶えば、一方の理想は潰える。ルルーシュとスザクの望みは同じでも、その手段は、基づく理念は正反対だった。
 ルルーシュは一度、スザクの意思を曲げる、ギアスを使ってしまった。ギアスの有効期限はまだ実験途中だ。だから、尚更スザクには自分の選んだ道を進んで欲しいのだ。例えそれで、スザクと戦わなければならないとしても。

 いつしか、耳を震わせる鳴咽の声が、聞こえていた。ルルーシュはそっと席を立ってスザクの肩に手を置いた。
「スザク」
「ルルーシュ…」
「泣けば良い。いずれ、涙は止まるさ。その時に自分が何をしたいのか…考えればいい」
「僕のやりたいこと…」
 ルルーシュの脳裏に、白い面影が浮かび上がる。ランスロット。ルルーシュの、ゼロの、そして黒の騎士団の敵。どの口が言う。心は、正反対の言葉を紡いでいる。本当はスザクの理解が欲しかった。出来るならルルーシュの選んだ道を、進まなくて良い、肯定して欲しかった。だがそれはもはや叶わない。決定的な断絶は、義妹の死と共に横たわる。ゼロと――。

「ありがとう、ルルーシュ。」

 スザクがルルーシュの腕の中で体を反転させた。立ち上がって、顔を上げる。スザクの両頬は涙の筋を残してはいたが既に渇いていた。






「別に…いつまでもお前が落ち込んでると、ナナリーが心配する」
「うん、…さっきも、ありがとう。僕のやりたい事、わかった気がする。…ねぇルルーシュ。目を…どうしたの?」
 スザクの右手が、左の眼帯に延ばされる。
「ちょっとな…。」
 ふい、とルルーシュはその手から逃れる様に顔を逸らした。
「ケガとかじゃ、ないんだよね?」
「心配するな、たいした事じゃない」
「そう…」
 スザクは僅かに赤くなった翠眼を細めてわらった。










 ルルーシュは、温かい。腕の中の体は、呼吸の度に上下して生きている事を知らせてくる。


 ゼロを殺す。
 主は、ゼロとも分かり合えると、その態度で語った。
 けれどその信頼を踏みにじったゼロを許すわけにはいかない。
 そして、それは、ひいてはブリタニア人である兄妹を守ることにも繋がるだろう。

 これは私怨だ。
 けれど、それでいい。
 守りたいものが守られるのならば、その為に鬼になっても構わない。

 自分の足元にはすでに、父の血が流れているのだから。




20070414
20070509 改














これが本当の 最後の一幕。



「ルルー…シュ?」
「スザ、ク」

 ありがとう、と彼が微笑んだ。
 刃を支える指先が、電流が走ったように震え、はなせなくなった。

 最後に見た顔が苦痛に歪んだ顔なら良かった。悪いことをした認識が持てた。だがこんな幸せそうな顔を見たら、勘違いしてしまいそうになる。

 自分がした事が、彼の望んだ事、だったなんて。幻想。
 そんな事は有り得ないのに。




 ゼロという鏡に映った自分は、とても嬉しそうな顔をしていた。そんな顔をみていた ルルーシュ も、 わらった。


「さよなら」

「ああ」



 Hello、Hello、Again

 次に会う時は
 どうかその顔でわらっていて










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