【黄昏カタストロフィ】



 すっきりと快調な目覚めだ。朝起きて、普段は霞む景色がくっきりと見えるのは疲れがとれた証拠だ。気のせいかもしれないが、身体も軽く感じる。
 昨夜は風邪をひいたかと早めに寝て正解だった、とルルーシュは内心で喜んだ。自分が倒れればナナリーに迷惑がかかってしまう。それは由々しき問題だ。
そう主張して昨夜はC.C.も追い出した。(私は優しいだろう?等と抜かしていたが)久々に広々としたベッドに寝た。もともとルルーシュの寝相は悪くない(寝ている間は殆ど動いていないようだ)だが床を共にする相手が悪い。共寝の相手は寝相の最悪なピザ女か、自分よりガタイの良い軍人だ。いくらルルーシュが動かずとも狭いものは狭い。そんな事を思いながら身支度を済ませる。だが、途中で机の上に置いてある制服の金ボタンを見て明日だな、と思う。
 もちろんルルーシュのものではない。ルルーシュの制服の胸ボタンは入学してこの方一度しか取れたことはないが(縫製が雑過ぎる、と吐き捨てたのは一年以上前の事だ)今もしっかりルルーシュの胸元にある。
 このボタンはスザクの物だった。
 生徒会室に落ちていたものだが軍務で早退したスザクを除いてメンバー全員その場で確かめ、取れていないことを確認した。
 そのスザクは一週間は軍に居続けだと言った六日前から一度も学校には来ていない。七日の言葉が本当なら明日には学校に来る筈だ。昔と違いきっちりしたスザクの事だ、明日は早めに来てボタンを探しに来るだろうから朝渡してやればいいだろう。クラスメイト兼生徒会役員の中で一週間もこれを紛失せずに保管できそうなのはルルーシュしかいなかった、だからこれはここにある。
別に特別な意味なんてないさ。
 ルルーシュは心中で呟いて部屋から出た。

「お兄様、今夜もお出かけですか?」
 クロワッサンをちぎる手を止めてナナリーがルルーシュに尋ねた。
「いや、今日はまだ本調子じゃないんだ、」
 暫くは家でナナリーと夕食が食べられるよ、と言えばナナリーは嬉しそうに微笑んだ後、困ったように眉を下げた。
「…あの、お兄様?」
「なんだい、ナナリー?」
「今夜、ちょっとお出かけしてきても良いですか?」
「お出かけ?何処に?」
「お兄様には言えません…あの、咲世子さんが着いて来てくれます、って」
「そうか、」
 内心、少しショックだったルルーシュだ。だが、咲世子も一緒と聞いて、きっと兄には言えない秘密が出来たんだなと、些か筋違いな悲しみと喜びを噛み締めて納得の様子を見せた。



 クラブハウスから校舎まで、僅かな道程を歩く。いつの間にか黄色い葉が乾いた音を立てて落ち始めている。秋が終り、冬の空気の清涼さが胸を満たす。
 ぞろぞろと歩く登校途中の生徒も心なしか背中が丸い。
 本国は比較的温かな気候で四季が移り変わる。エリア11の乾燥した冷たい空気には慣れていないものが殆どだ。
 だから、いつもは真っすぐな背中が多少丸まっていてもそれは仕方ないことだ。
「お早う、シャーリー」
 生徒会役員だ。他人ではない。例え向こうがルルーシュの事を一切覚えていなくとも。
 だから挨拶を交わすのは当然で。
「ル、ルルーシュ?お、おはよう!」
 話し掛けると戸惑った様に返されるのもいつもの事だ。だが。
「ごめん私今日日直だからっ!」
 先行くね!大きな声で叫んで、脱兎の如く駆け出した。
 ルルーシュは、なんだ?と首を傾げながら教室に向かった。


 昼休み、いつもの様にリヴァルと連れ立って食堂へ行こう、と促した。リヴァルとまともに話すのは、朝は遅刻したリヴァルは休み時間中教師にこき使われていたので、まともに話すのは今日はじめてだ。
 教室の中にシャーリーが居ないことを確認してリヴァルに話し掛ける。
「なぁ、シャーリー、今日変じゃないか?」
 殆ど真っ白なノートに蒼白になっているリヴァルの斜め前に立ってやっとの事で疑問をぶつける。
「変だって?いやぁ、ルルーシュ君。キミったら何しちゃったのよ」
「別に俺は何も!」
 不名誉な(下世話な)濡れ衣にルルーシュは思わずかっとなったが、リヴァルは期末試験前だというのに真っ白なノートに見切りを付け、そういえば俺会長に呼ばれてたんだった!と尻尾を振りそうな勢いで教室を出て行った。
 教室を見回したがカレンも友人と食事に行ったのだろう、姿は見えない。
 ノートを机にしまうニーナを見つけてルルーシュは声をかけた。
「リヴァルが会長に呼ばれたって走って行ったんだけど、仕事でもあるのかな?」

 気持ち柔らかい口調を心掛けて問う。だがニーナはびくりと肩を揺らし、ルルーシュを見上げて大きな目を見張り(話し掛けられるとは思っていなかったのかもしれない)勢い良く立ち上がるとごめんなさい!と一声叫んで教室を出て行った。


 此処まで来れば確定だ。午後の歴史の授業を頬杖をついた姿勢で何とは無しに聞きながら、昼休みの事を思い出す。結局四人は、本鈴が鳴る直前まで帰ってこなかったのだ。

―――おもしろくない。

 一人でいるのは慣れていても、理由もないまま粗末に扱われることには慣れていない元皇子だ。

 五限が終わり、六限が終わった。秀麗な顔に刻まれた眉間の皺にルルーシュの不機嫌さを感じ取ったのか、リヴァル達はルルーシュを遠巻きにしているばかりで六限の鐘が鳴ると同時に教室から消えた。
―――こんな苛々を持ったまま生徒会室に顔を出せば、誰彼構わず八つ当たってしまいそうだ。

 よし、今日はさぼろう。
 そう決めて、帰り支度をする。明日会長に何を言われたって知るものか。 今日はナナリーも居ない。昔賭けチェスで巻き上げたワインを空けよう。体調も万全とは言い難い、ほら、スザクの幻が見え、


―――っは、

 幻か?シャーリーと話しているのは幻か?


 そんな馬鹿な!


「スザク?」

 名を呼んだ。エントランス前でシャーリーと談笑していたスザクはその笑顔のままな振り返り、ルルーシュの姿を見て少し慌てたように表情を繕い―――逃走した。

(何故逃げる?!)
 しかも一週間ぶりの恋人(舌を噛みそうだ)を前にして?!

 スザクの、困ったな、と言うようなその表情を見た時点で、軍務はどうしたんだ、嘘をついていたのか、などという諸問題は文字通りルルーシュの中から蒸発していた。
 駆け出したスザクを追って、ルルーシュもまたスタートを切る。
「あ、待っ、ル…」
 シャーリーの前を通りすぎようとした時、何か言いかけた様だったが、ルルーシュの意識はどうやったらスザクを追い詰められるかに絞られていて、すまないシャーリー、と心の中で返すに留めた。

 シャーリーはその後ろ姿を見送って、もう!男の子って仕方ないなぁ!という意図で深いため息を吐き、スザクに言われた言葉を反芻して携帯電話を手に取った。















 ばたばたと、片方は規則的な足音、もう一方はかなり不自然な足取りの音が響く。
 スザクは少しもペースを落とす事なく一階と二階と三階を、端から端まで駆けては階段で階を移動した。一フロアはそれほど広くはないので助かったが、階段はきつい。
 息も絶え絶えに上り下りて、呼吸が苦しい。
 ルルーシュは始めこそムキになってスザクを追っていたが次第に疑問が沸いてくる。
 おかしい。
 認めるのは業腹だが、ルルーシュの体力でスザクに着いていける訳がないのだ(速度も持久力も)であるのに先程から、前を走るスザクとの差は広がりもしなければ縮みもしないのだ。
 まさか怪我でもしているのか?


 だが、直後に三つ目の階段を昇り、ルルーシュの脳が余計な事を考える酸素を惜しんで思考はまとまらない。






 角を曲がると、突然スザクが消えていた。
 突然姿を消したように見えたが、何の事はない、スタート地点、もとい昇降口に戻って外に出ただけだった。
 ルルーシュも後を追った。


 風に運ばれて来たのだろう、黄色く色付いた葉が寒風に舞う。並木道は地面の色が見えないほどで、一歩踏み出すたびにぱりぱりと乾燥した音を立てている。高い音を立てて、梢の隙間を通る木枯らしの様な風は、まるで先を行く筈の姿を隠そうとするよう。



「スザク!」


 ルルーシュは名前を呼んだ。しかしスザクは振り返ることなく一定のペースで走り続けた。
 なんでこんな必死に走ってるんだ?
 不意に煮えたぎった頭の裏側、一部分だけ冷えた脳裏でふと疑問に思う。
 一度そう思ってしまえば、追い掛ける重い足は少しずつ速度を落し、歩くよりも遅いスピードになった後、

 止まる。





 当然だが、追い掛けて来た背中はない。






 そうだ元から、見える範囲に追い掛けるべき背中などなかった。







 小さな温もりは常に背中にあった。







 守るべきものはいつも後ろにあって、ルルーシュには振り返る暇もなかった。
 だからだろうか、妹は兄から離れ、

(寒い)


 日の入りが速くなった、冬の透明で冷たい斜陽は、身体を温めてくれる気配もなく、ただ橙の光で視界を満たした。
 冷たい風と、その光が目に痛みを齎してルルーシュは瞬きを繰り返す。前だけを見ていたルルーシュは瞬きする事も忘れていたようで、瞼を閉じるとじわり滲みる熱と刺すような痛みが視神経から脳神経に津波の様に押し寄せた。

(寒い、)

 ルルーシュは目を閉じて、身を守るように腕を抱いた。

―――背中が冷たい。


 熱は奪われていく一方に思えた。今は血行良く温かい指先もいずれ冷えきってしまう事が容易に想像が着く寒さに身を震わせる。だが疲労を認識した脳はなかなか足を踏み出す指令を出してはくれず。







 不意に込み上げた不快な熱に、身を折ろうとした瞬間だった。
 視界を過ぎった黒のラインと、ふわりと背をくすぐる温かな空気と。
「ルルーシュ?」

 身体に回された腕の温もりがこんなに沁みるなんて、思ってもみなかった。



































 次に目が覚めた時には、部屋のベッドの上だった。見覚えのある天井に、薄暗くなった室内。
 薄墨がかった部屋の中、やはり沈痛な面持ちをしたスザクが顔を覗き込んで来た。

「背中が」
「なに?」

 訥訥と言葉を吐息に載せる。

「おまえの背中が見えなくなって、」
「…うん、」

「追い掛ける背中も、ナナリーも居なくて」
「うん、」

「一人で生きるのはまだ、」

「どうして一人だと思うの」

「…そんなの」
「僕が君を守るから、」

「、は、」

「ナナリーがしっかり一人で立てるようになって。君が、背中が軽くて寒いって言うなら、僕が君の背中を守るから」

 だから泣かないで、とこめかみに落ちた涙をスザクの温かな手が拭った。


 君を守るために戦う楯。
 君を温める事も出来る。


「ね、僕ってお買い得だと思わない?」

 今日、一名様に限り予約受付中なんだけど、どう?

 そう言って、スザクはくすりと笑った。突飛な言動に視界をさ迷わせて、部屋の一点を見たルルーシュは、全ての合点がいってスザクの言葉に乗る。
「さっきのマフラーがプレゼントじゃなかったのか?」
「チャンスだと思って。」
 こんなに弱ったルルーシュなんてそう滅多にないだろ?
 にやりと笑って、続けた。「因みに君用にカスタマイズ済みだから。君に捨てられたら僕は廃品だよ」
「受付中なんだろ、」
「限定一名様とも言ったよ」
飄々と減らず口を叩く。

「ふん、減らず口の多い楯なんてお断りだ、何処へ行ってもな。仕方ないから拾ってやる。感謝しろ。」


 そう言ってルルーシュは、今度はゆるゆると目を閉じた。
 あぁ、ボタンの事を言うのを忘れた。まぁ、良いか。

 また明日。
 また明日、だ…


「おやすみ、ルルーシュ。…おめでとう」




HAPPY BIRTHDAY Lelouch !

――――――――――――――――――――――――――――――――――

20071205



 結局、ミレイ会長のサプライズパーティーは翌日に持ち越されましたとさ。スザクは会長からのプレゼント設定。ナナリーは言わずもがな。
 ルルーシュがこんなに不安定なのは風邪のせいです。




ブラウザバックでお戻りください