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ルルーシュは、突然現れた見知らぬ青年に手を引かれ、階段を駆け降りていました。頭上では、四つ目の鐘が鳴っています。
「待って」
「ごめん、待てない!」
前を行く青年は、早さを緩めません。けれど、とても必死な様子が伝わって来ていましたので、ルルーシュは腕を振り払うことが出来ませんでした。
「あ!」
ルルーシュは思わず小さな叫び声をあげました。意図しない叫びでしたので、小さかったそれはけれど、手を引く青年には聞こえたらしいのです。
直ぐさま手を離して拾いに行こうとした青年の、繋いだ手を放さずにルルーシュは先を急ごう、と、もう片方のガラスの靴も脱ぎ捨ててしまいました。
「良いの?!」
「良いんだ!」
今度はルルーシュが手を引く番でした。が、元々の素質の問題か、或はドレスのせいでしょうか、いつもの早さが出せません。頭上に聳える時計台が八つ目の鐘を搗いた時、青年は焦れたようにごめん、と囁き、ルルーシュを抱え上げました。所謂お姫様抱っこと言う奴です。
あまりの事にぎょっとなりましたが、回した素肌の腕に触れる僅かに汗ばんだ首だとか、今は近い位置にある心臓の鼓動の早さだとか、なによりその瞳が真剣そのものでしたので、ルルーシュは彼に身を委ねました。
青年の走る早さはいや増し、もしかして始めからこうしていた方が早かっただろうか、などとルルーシュが思い始めた矢先、青年の足は地面につきました。
頭上では、十一の鐘が鳴った所です。
下りて来た階段は言わば裏口であり、地上には、一台の馬車しか寄せられていません。その一台とは、もちろんルルーシュが乗って来た魔女の馬車です。
青年は馬車の扉を開けてルルーシュを座席に座らせると、そこにいつの間にか置いてあったシャツを、ドレスの上から羽織らせました。
何処から持ってきたものでしょうか。それは確かにルルーシュのシャツでした。
「これ…」
「良いから、羽織っていて」
青年を問い詰めようと、真っ正面からまじまじと青年を見詰めたルルーシュは、青年の瞳が美しい翡翠であるのを初めて知りました。
青年は、外で鳴り響く最後の鐘の音を、沈痛な表情で聞いています。
「どうしたんだ?」
そのお顔が余りにも辛そうに見えたので、ルルーシュは、つい席を立ち、青年の腕を掴み引き寄せました。
青年はビクリと体を震わせましたが、やがて小さな声で、家を出るの、と尋ねました。
鐘の音は響いています。が、密着した体を直に伝わって、会話は成り立ちました。
「出ていかないさ。私は今の家が好きだ」
「…そっか」
よかった、と青年は呟き、顔を上げてにっこりと笑いました。
途端、ルルーシュの鼓動は暴れ始めます。
(なんだ…!)
みるみる頬が熱くなるのを感じます。青年はそんなルルーシュを見て、不思議そうな顔をしましたが、ルルーシュはその顔を見られるのを厭い、あらぬ方へ顔を向けました。
「…ルルーシュ」
「?」
自分は青年を知らないのに、何故青年は自分を知っているのか不思議に思いながら、手持ち無沙汰な手を持ち上げて、茶色いふわふわの髪を撫でます。
けれど、青年は突然その手を取り、顔をあげました。
握られた手の大きさに反して幼く見える顔立ちの中では、大きな緑の目が殊の外目立ちました。
その緑の瞳を瞬かせることなく、青年はルルーシュを見つめます。
最後の鐘の余韻が消えつつありました。
「僕はルルーシュが好きだ」
「!!」
―――大きな音を聞いた後特有の、耳が痛くなるような静寂の中。
青年が言葉を告げたと同時に、ルルーシュは白い煙に包まれ、気付けば暖炉の灰に藁を被せたベッドの置かれた、自分の部屋に戻って来ていました。
ベッドの上に座り込み、コルセットの上に青年が羽織らせてくれたシャツを纏い、一人茫然としたルルーシュは、何故か突然胸にぽっかりと空洞が出来たように淋しくなり、膝を抱えて、父を亡くした時にも流さなかった涙を一滴だけ落としました。
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200706XX
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