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 一瞬、何が起きたのか、ルルーシュにはわかりませんでした。ただ、つむった瞼の裏にも届くほどの光の明滅があったことは確かです。

「す、スザク?」

 周囲を見渡します、が、スザクの姿はどこにもありません。

「スザク!?」

 その時です。足元から何とも言えず情けない風情の鳴き声が聞こえてきました。
 ルルーシュが足元に目をやりますと、茶色いふわふわの塊の姿になってしまったスザクが、呆然としたふうにくりくりとした緑の目を瞬かせています。

「スザク?一体何が?!」

 ルルーシュがスザクを手に取ると、スザクも訳が分からないとばかりに首を振りました。
 しかし、ルルーシュ達には原因を究明している暇などありませんでした。先程までガラスの靴に集中していた眼下の人々の視線が、今の光のせいでルルーシュ達の居る窓の方へ集まっていたのです。
 そして、更に厄介な事に、その時のルルーシュは、シャツ一枚、コルセットを付けていなかったのです。

「いたぁ!」

 兵士を引き連れていた風の銀髪の男が、ルルーシュを指差し、嬉しそうに叫びました。

 三人の兵士達の動きは迅速でした。人垣を抜け、ランペルージ家に侵入してきます。

 階下で、どたばたと兵士が走る音が聞こえました。
 幸い、屋根裏に昇る梯子は二階の奥まった場所にあるので、僅かではありますが時間稼ぎにはなります。

「くそ、どうやって逃げれば…!」

 ルルーシュが唇を噛んで絶望の表情をした時です。

 スザクが注意を引き付けるように一声鳴き、柱にくくりつけた縄を指しました。
 縄は、先程までスザクがよっていたものです。スザクはもしもの時の準備をしっかりしていました。誤算は一つ、縄を降りるのがルルーシュと言うことでしたが、ルルーシュは肉付きも薄く体重も軽いので、縄を伝いおりることはそれほど困難ではないでしょう。

「これを伝って降りるのか!」

 ルルーシュは時間稼ぎに、跳ね戸の上に椅子を置いて重しをした後、窓の下に縄を下ろしました。スザクがルルーシュの服にしがみつきます。
 縄は、一階の天井辺りまでしか長さがありませんでしたが、ルルーシュの高い身長なら飛び降りることも難しくありません。
 広場に兵が居ないことを確認して、ルルーシュは意を決して、壁を伝い縄をおり始めました。

 広場には、ざわめきが渦巻いていましたが、ルルーシュが飛び降りると、ミレイが駆け寄ってきました。
「ルルーシュ!」
「義母上、申し訳ありません、今は急いでいますので」

「お黙りなさい、この嘘つき!」
 ミレイは小娘のように一声甲高く叫び、ルルーシュを突き飛ばしました。
「お前なんか、うちの子ではありません!この恥知らず!」
 ルルーシュはよろよろと後退りましたが、不意に何かに気付いた顔になると、そのまま広場を抜け走り出しました。






 家と家の間の薄暗く細い路地を駆け抜け、ルルーシュは走り続けました。 スザクはその肩に、振り落とされないよう必死で捕まります。
 ルルーシュのシャツの胸ポケットには、ミレイが押し込んだメモと鍵が入っていました。それには、とある家の番地が印されています。ルルーシュはその番地を探してここまでやって来たのです。

 やっとたどり着いた家は無人でした。ミレイに渡された鍵を使って入ると、中には人が住んでいたそのままの状態で家具が配置されていました。
 暖炉の上には、ミレイと、今よりも幼い風情のカレンとシャーリーの写真が飾ってあります。

「義母上達の昔の家、か」
 そういえば、一年半前、彼女達はほぼ身一つでランペルージ家へやってきたのでした。
「義母上…」
 義母は、一体どんな思いでこの家の鍵をルルーシュに渡したのでしょう。 あんな暴言を吐いたのは、ルルーシュのかわいい義妹達に被害を被らせない為でしょう。けれど、それだけなら、ミレイはこの場所…幸せな顔をして義妹達を抱き寄せる写真に象徴されるこの場所をルルーシュに教える義理もなければ責任もなかった筈なのです。

「…義母上…」


 ルルーシュが、初めて感じた義母からの気遣いに気付き、罪悪感からうなだれると、肩の上に乗っていたスザクが、小さく鳴きながらルルーシュの首元に頭をこすりつけます。
「慰めてくれるのか?ありがとう」
 ルルーシュがスザクを手に乗せて近くにあった木製の丸テーブルに乗せた時の事です。


「派手な逃亡劇だったな」


 ライトグリーンの不思議な光沢の髪を広げ、魔女が姿を表しました。
「C.C.!」

「元気になったようだな。熱は下がったのか」
「そんな事はどうでもいい!お前、スザクに何をした!」
 ルルーシュは食ってかかりました。先程は逃げるのに精一杯でしたが、僅かに落ち着いた今、今度はスザクが心配でなりません。
 C.C.は足を地面に付けると、テーブルに歩み寄ってスザクと視線を合わせました。
「お前、ルルーシュにキスしたのか」
「なっ?!」
 C.C.の口から零された言葉に動揺したのはC.C.の背を見つめていたルルーシュでした。

 そんなルルーシュに、楽しそうな笑みを向けると、C.C.は再びスザクに向き直ります。
「しかもお前から」

「ど」
 うしてそんな事がわかる!と言いたいルルーシュの意図を的確に読み取ったC.C.は、やはり視線を不思議そうな様子のスザクに向けたまま、でこぴんを食らわしました。スザクの小さな身体は一回転して止まりました。

「簡単な事だ。ルルーシュ、お前からのキスがあったならコイツは人間になれた筈だ。正真正銘のな。だが、コイツは鼠に戻った。コイツからキスを求めたからだ」

 キスで魔法が解けるのは、大昔からのお約束だろう?

 ルルーシュは呆然としました。なんて不条理なのでしょう!しかしもともと魔法なんて、この世の常識では測れない不思議なものなのです。

(貴女は、初めて会った時に、ルルーシュと想いが通じたら人間にしてやる、と言いましたね。それは、どういう意味だったのですか)

 スザクは尋ねました。あの場で鼠に戻ってしまったことは、スザクにとっても不本意極まりない事だったのです。
 C.C.はふっと笑って言いました。
「古来よりキスは魔法を解くスイッチだ。だが同時に世界を変える鍵でもある、という事さ。」


 その時、不意に扉の向こうからバタバタとした複数の足音が聞こえました。



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200706XX

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